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ltnishinomiya

1月10日(主の洗礼)の礼拝と説教

主の御名を讃美いたします。


関西2府1県における緊急事態宣言の要請がされました。

兵庫県においても連日過去最高の感染者数をカウントしています。皆様におかれましても心配な状況が続いています。

明日の礼拝については、予定通り10時30分から短縮式文で執り行います。明日から聖書朗読についても福音書のみの朗読といたします。

明日も10時20分頃から下記のフェイスブックのページで配信を行います。

様々にご心配な方が沢山おられることと思います。

どうぞ体調や感染のご心配のある方はご無理なさらないでください。

それぞれのところで神様の恵みに与かってまいりましょう。


また、緊急事態宣言が2府1県にも追加で発令された場合は、運営委員会で直ちに話し合いを行い、皆様に礼拝の有無をお知らせいたします。

もしも自粛となりましても礼拝はライブ配信で継続してまいります。


礼拝に来られる方は以下のことを厳守していただきますようお願いいたします。 1.検温をお願いいたします。37度以上の方は出席をお断りさせていただきます) 2.受付に備え付けの消毒液で手指消毒をお願いいたします。 3.マスクの着用をお願いいたします。ご自身が無症状で罹患されているかもしれないという可能性があることを考慮していただきますようお願いいたします。 4.着席の際には、座席の十字架のしるしがある所にご着席ください。十分な間隔を空けて座りましょう。 フェイスブックの配信をご覧になられる方は以下のリンクを選択してご覧ください。 https://www.facebook.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E6%95%99%E4%BC%9A-284764385794229 YouTube(ユーチューブ)の映像をご覧になられる方は以下のリンクを選択してご覧ください。 https://www.youtube.com/channel/UCzbeaT4xiANne1wCKYqhUzg?view_as=subscriber どうぞ皆さんの上に御子に示された神の愛が豊かにありますようにお祈りしています。 引き続いて寒い日が続くそうです。どうぞくれぐれもお体ご自愛ください。皆さんの心身の健康が守られますように。 牧師 礼拝式文 主の洗礼主日 2021年1月10日(日) 1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって  会衆)アーメン 3. キリエ  司式)主よ、憐れんでください。  会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。  会衆)主よ、憐れんでください。 4. 主日の祈り 全員)光の創造主すべて善きものを与えられる聖なる神様。御声は水の上に響いています。私たちを恵みに浸し、聖霊によって造り変え、御子に従う者としてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 5. 聖書朗読 福音書 マルコによる福音書 1章4節‐11節 (新)61頁 1:4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」 イエス、洗礼を受ける 9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。10水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。11すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 6. 讃美歌 56番(教会讃美歌) 1節


7. 説教 「私の愛する子」 竹田 大地牧師 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 私たちは待降節、ご降誕の時を覚えるクリスマス、そして、顕現の出来事を覚えて、今日与えられている主日の御ことばはキリストがヨハネから洗礼を受けた場面です。主日の名前も「主の洗礼」と特別に覚えています。その様な中で福音はマルコの記事からです。マルコは、このキリストの洗礼の出来事からキリストのご生涯の始めを書き記しています。つまり、この出来事がキリストの福音伝道、宣教の道において、延いては私たちにとってもいかに重要かを顕していると言ってよいでしょう。この与えられた御ことばを通してどのような神の御心が語り掛けられているか耳を傾けてまいりましょう。 洗礼者ヨハネのもとに多くの人々が押し寄せていました。彼は「悔い改めの洗礼」を宣べ伝えていました。「悔い改め」とはギリシャ語で直訳するならば「心を向き直す」となります。即ち人々の思いが神に向いてはいないという真実を映し出します。と、同時にヨハネのもとに来た人々もまたその事を痛感せざるを得ない状況にあったのです。罪を犯し、神から離れてしまっている罪人の自分が如何にしたら救いへと至るのかという不安、悩みがあったからこそヨハネの言葉を受け入れて「悔い改めの洗礼」を受けていたのです。 そういう渇望が人々の心に溢れていたからこそ「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆」とマルコが記したのではないでしょうか。救いへの渇望、平安を得たいという願い、しかし自分は罪人にすぎないという深い絶望感が人々の心を覆っていました。そして、実生活においてもローマ帝国とヘロデによる二重の苦役を強いられていましたから、信仰的にも、実生活においてもユダヤの人々の心も体も疲れ果てていた、深い闇が覆っていたのです。 このように人間の罪からくる暗い影が落ちていたところへキリストは来られました。そして、キリストは己を低くされ、本来であれば悔い改めの洗礼など必要のない方であるにもかかわらず、ヨハネから洗礼を受けたのです。このことを通して顕されることは、キリストは何か遠く離れたところから救いのみ手と御業を成し遂げるのではなく、私たちのもとに来られ、しかも罪人の私たちの上に立つのではなく、私たちの下に立つことによって救いを成し遂げようとされている。その前触れの出来事としての洗礼なのです。 また洗礼は、一度水に浸ることによって行われます。それは言うなれば一度死ぬということを現し、そして、水から上げられるということは、死んだ者が復活する姿を現します。すなわちこれはキリストの十字架の死と復活をさし示します。キリストの洗礼のお姿から私たちはキリストの十字架の救いの御業を見るのです。 そして、この出来事から示されることは、私たちの洗礼もまたこのキリストと同様に罪人である私たちが水を通して一度死に、水から上げられることによって、古い自分は死に、新しい命に生きる者とされていることを示します。新しい自分、新しい命とは、自分が生きるのではなく、キリストの命と一つにされ、パウロが証しているように、もはや生きているのは私ではなく、キリストであるという恵みを与えられるのです。 それは言うなれば、今日与えられている第一日課の天地創造の初めに「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」とあるように、私たちの心や思いが闇の深みにある中で、神の「光あれ」という御ことばによって秩序が生まれ、世が光に溢れたように、私たち一人ひとりの命が神によって光のうちに歩む者とされることを現します。 なぜそのようなことが言えるのかというならば、洗礼を受けた後にキリストに降った「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という言葉に示されています。これはこの時、キリストのみに聴こえた神の言葉でした。しかし、今や私たちはキリストが私たちの救い主であり、十字架の死と復活を通してそれを成し遂げてくださったことを知らされています。ですから、この「あなた」は、洗礼を通してキリストと一つとされている私たち一人ひとりに向けられた神からの祝福と約束なのです。 あなたが罪人であっても、キリストの故に赦し、キリストへの信仰のゆえにあなたは私があなたを豊かにし、何にも代え難い存在として愛し抜いているということを約束する御ことばとして、全ての人に与えられている神の福音なのです。 何よりもこの神の祝福の言葉において大切なことは、神は御子イエスを愛しておられるという真実です。そして、その愛する子を私たちの救いのために、十字架の死に献げられたということこそがこの御ことばに響く福音なのです。罪人である私たちを救い出すために、愛する御子を献げてくださり、救いを成し遂げようとしている。私たちに何かを求めるのではなく、神ご自身が私たちのために自らが心と体に深い傷と悩みを負ってくださることによって、それは成し遂げるのだという神の御心が示されています。 我が子を献げることの苦悩を私たちはアブラハムの姿からも教えられていますし、また普通に考えても我が子をいくら人間を救うためとはいえ、無条件で差し出すことはできません。ですから、この主の洗礼の出来事には、神による救いの奥義、神の私たちに対する深い愛が豊かに示されているのです。洗礼とは、ただのキリスト教入信の儀式ではないことが明らかにされます。 なぜならば洗礼を通して私たちがあまりにも多くのことを受け取っているという真実を映しだすからです。神の救い、神の愛、神の犠牲、神の赦しを豊かに与えられている存在とされているという驚くべき恵みを覚えるのです。人生でたった一度きりの洗礼という出来事が、私たちの人生の初めから終わりまでを包み込み、神の内に生かされている。神と共に生きているという喜びを与えます。 今、私たちを取り巻く状況はまさに闇が深い。この先どういう世界が待ち受けているのか予想もつかないような状況が一年近く続いています。開き直って、騒いでいる人もいます。まるでノアの方舟の直前の人間の姿のようにも映ります。また、死という存在が本当に近くに迫っているという不安が覆っています。キリストの時代の人々のような状況でもあります。 そのような中で洗礼の恵みを私たちは今日御ことばを通して改めて覚える機会を与えられました。マルコが主の洗礼から福音を書き記したのは、ことに御子のこの出来事を通して、十字架の死と復活が前もって啓示されていること、キリストの宣教の始めから、神の御心が私たちを愛し抜き、私たちのためにお働きくださり、救いをもたらそうとしてくださっていることを伝えるためだったのです。 この豊かな神の恵みと愛のうちに生かされていることを改めて心に刻み、この闇のうちに神の光が輝いている。満たすということを覚えていきたいと思うのです。暗闇が包み込みそうな状況に私たちは置かれています。新型コロナウイルスによって様々な事柄において変化を強いられ、生きづらさを覚えます。死がこんなにも近くに感じたことがないような状況にも置かれています。 しかしその中で「わたしの愛する子」とされている何にも変え難い希望が私たち一人ひとりに与えられている喜びがあることを御ことばは伝えています。死は洗礼の恵みを通して滅ぼされる、延いてはそれが十字架の死と復活を指し示す。神の大いなるご計画と御業、御手の内に私たちの命があるという確信を与えてくださっています。この神の福音を賛美し、感謝してこれからも神に依り頼みつつ歩んでいき、またこの希望に生かされているのは、この世にあるすべての人に向けられていることを覚えていきたいと思います。 そして、この神の御心が成りますように、神の福音がすべての人に与えられ、希望に溢れさせてくださいますようにという祈りをもって歩んでまいりましょう。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

8. 信仰告白 (起立) 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン) 9. 献金 10. 教会の祈り 11. 主の祈り (起立) 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン) 12. 祝福 (起立) 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆)アーメン、アーメン、アーメン。

13. 後奏

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