主日の祈り
全能の神様、あなたはあなたの霊によりイエスの洗礼を聖別し、あなたの愛する子であることを示しました。水と霊から生まれる者すべてが、あなたの忠実な僕として、神の子と呼ばれる喜びをいただくことができますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
讃美唱 詩編 29編 (旧)859頁
29:1【賛歌。ダビデの詩。】神の子らよ、主に帰せよ/栄光と力を主に帰せよ
2御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。
3主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。
4主の御声は力をもって響き/主の御声は輝きをもって響く。
5主の御声は杉の木を砕き/主はレバノンの杉の木を砕き
6レバノンを子牛のように/シルヨンを野牛の子のように躍らせる。
7主の御声は炎を裂いて走らせる。
8主の御声は荒れ野をもだえさせ/主はカデシュの荒れ野をもだえさせる。
9主の御声は雌鹿をもだえさせ/月満ちぬうちに子を産ませる。神殿のものみなは唱える/「栄光あれ」と。
10主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。
11どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。
聖書日課
第一日課 イザヤ書 43章1節‐7節 (旧)1130頁
43:1ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
2水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。
3わたしは主、あなたの神/イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。わたしはエジプトをあなたの身代金とし/クシュとセバをあなたの代償とする。
4わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。
5恐れるな、わたしはあなたと共にいる。わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り/西からあなたを集める。
6北に向かっては、行かせよ、と/南に向かっては、引き止めるな、と言う。わたしの息子たちを遠くから/娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。
7彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し/形づくり、完成した者。
第二日課 使徒言行録 8章14節‐17節 (新)228頁
8:14エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。15二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。16人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。17ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
福音書 ルカによる福音書 3章15節‐17節,21節‐22節 (新)106頁
3:15民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。17そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
イエス、洗礼を受ける
21民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、22聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
【説教】「愛する子とされる」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
サマリア人とユダヤ人は、とても仲の悪い間柄にありました。ユダヤ人の立場からするならば、かつてイスラエルが南北に分断されたときに、サマリアのユダヤ人たちが異邦人と交わり、混血の民となったこと、また他の神を拝むという十戒における最も大切な戒めを破っていることなどに由来していました。律法によるならば、彼らは罪人であり、彼らと交われば自分たちも罪の内に落ちると考えていました。元々同胞であるにもかかわらず、歴史的な経緯、宗教のゆえに彼らはお互いを敵対視して決して交わることは無かったのです。
本日与えられている使徒書の出来事は、当時のユダヤ人にしてみれば信じられないような出来事だと思うのです。また、サマリア人たちにしても、ユダヤ人の言うことを受け入れる人々が居ることに驚きを禁じ得なかったことでしょう。互いに憎み合い、いがみ合い、長い歴史の中でこじれにこじれた関係性は修復の難しい状況にあったと言えます。
こういった対立の構造には、人々が造りだした枠というものが存在します。同じ人種、同じ信仰、同じ性別、同じ学校、同じ趣味など様々それは存在します。それらの性格は枠の中の人には非常に優しく、社交的で、協力的ですが、枠外の人々に対しては、敵対視し、枠の中に入れないようにという力が働きます。こうして相手が居て、それを認識してればいいのですが、酷い時には無関心を装って無視すらしてしまいます。また、同じ枠の中に生きている人でも、意に沿わない、嫌い、ルールを破ったなど様々な理由で枠外に放り出すこともあります。
人はいつもこの何かの枠の中で生きようとします。何故このように人は枠を作り出してしまうのでしょうか。
それは、そこに居れば一応安心できるからです。同族や、同じ趣味など、何かを一にするものがあって、それを媒体に繋がっていられると感じるからでしょう。本当の孤独を味わって生きたいと思っている人間はそうは居ないでしょう。
そして、この枠は教会の中にも存在します。聖書にもコリントの信徒たちが分裂した様子を伝えています。また、現代においても教会の中に枠を形成して存在しています。
そして、先にも申し上げたようにその枠にはまらない人はたとえ同じキリスト者であっても排除したり、排斥し、避難し、追い出したりしてしまうということもありますし、枠に対して疑義を唱えて自ら出ていってしまうということもあるでしょう。ルーテル教会の誕生も正にルターがカトリックと云う枠から飛び出したことによってできたものです。
教会は、神によって召し集められ、神の憐みと愛において結び合わされている群れであるにもかかわらず人間は、そうして自分たちで枠を作り出し、神の御心に沿って、神の群れとして歩むことができない。たしかに神学の見解の相違などはありますが、それでもやはり神の群れとして一致して歩み、神の御ことば、福音を宣べ伝えるという上では私たち自身がそれを阻止し、弊害となっていることを思わざるを得ません。私自身の実感としても「あの教会は~」「あの教会のあの人は~」とつまらないことに拘って大きな声で話している言葉を私自身幼少期より何度も聞いてきました。これが私たちの真実です。
しかしながら、私たちを真に一致させるしるしが与えられているという真理を今日の福音は伝えています。それが「洗礼」という神のしるしです。今日の福音が示すように、洗礼とは聖霊の恵みを神から受ける喜ばしい賜物です。そして、今日のイエスの洗礼の出来事に示されているように、洗礼の業が成るその場には父なる神と御子イエスと聖霊が臨在しています。すなわち、私たちの主なる神がそこに存在し、この神が私たちを清め、新しい命へと招き、キリスト者としてくだるのです。
私たちは枠を作り、分裂し、一つとなれない罪人に過ぎないにもかかわらず、この洗礼において神は「私の愛する子」と語り掛けてくださるのです。神に愛されている存在、いのちであるというしるしを洗礼によって啓示してくださっているのです。つまらない枠にこだわり、互いに腹の中を探り合っているくだらない人間を「わたしの愛する子」と語り掛けたもう神の福音が洗礼において鳴り響くのです。
「わたしの愛する子」としてくださった。この一点で私たちは一致できるはずです。
数年前にカトリック、聖公会、ルーテル教会の一致に向けた一つの合意は「洗礼」を起点にされました。目白にある東京カテドラルで三教会の代表者が洗礼においては「父と子と聖霊の御名」によって為される共通のしるしであることを確認しました。すなわち、それは同じ神によって愛する子とされている恵みと喜びを確認するということです。
かつて交わるはずのないユダヤ人とサマリア人が一致できたのは、まさにこの洗礼の恵みによるものであり、あなたも私も神にとって「わたしの愛する子」とされていることを確認したからにほかなりません。
この一点において神の愛を受け、神の愛において結ばれた群れであるという信仰によって私たちは真の一致へと至り、互いに祈り合う群れとされたのです。
私たちの間にいくつも存在するくだらない枠を軽々と飛び越え、打ち壊して神は私たちを一致へと招き、神の愛による一つの群れとしてくださっています。しかしながら、実際、私たちは未だに一致を見ません。争いがあり、批判や非難の応酬があります。教会においても一致を見ることはできていません。しかしながら、真の一致のためにペトロとヨハネが祈り、キリストもまた神の愛における一致が与えられるように祈ってくださったように、私たちも祈り求めていきたいと思うのです。
自分自身が未だに枠に囚われていることを深く省みながら、互いの枠を、自分の枠を唯一打ち壊す洗礼による恵みを受けて一致へと歩んでいくことができるように共に祈ってまいりましょう。
私たち自身が、そして世界中の人々が「わたしの愛する子」とされている恵みと喜びを受け取り、あらゆる枠を軽やかに飛び越え、時に激しく打ち壊していくことができるように洗礼によって示された神に愛されているという福音を一致して宣べ伝えていきましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
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