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1月17日(顕現後第2主日)の礼拝と説教

更新日:2021年1月23日


17日から兵庫県に対して発令された緊急事態宣言を受けて礼拝の公開を自粛しております。詳しくは、当ホームページのトップページをご覧ください。


日本福音ルーテル西宮教会のブログをご覧の皆さま


主の御名を讃美いたします。


関西2府1県における緊急事態宣言の要請がされました。


明日の礼拝から、礼拝堂に集っての礼拝を自粛いたします。

礼拝に集うことを自粛することに伴い明日からしばらくの間は10時20分頃から下記のフェイスブックのページで配信を行います。

様々にご心配な方が沢山おられることと思います。

それぞれのところで神様の恵みに与かってまいりましょう。


フェイスブックの配信をご覧になられる方は以下のリンクを選択してご覧ください。 https://www.facebook.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E6%95%99%E4%BC%9A-284764385794229 YouTube(ユーチューブ)の映像をご覧になられる方は以下のリンクを選択してご覧ください。 https://www.youtube.com/channel/UCzbeaT4xiANne1wCKYqhUzg?view_as=subscriber どうぞ皆さんの上に神様の御守りがありますようにお祈りしています。 牧師


礼拝式文 顕現後第2主日


1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって  会衆)アーメン 3. キリエ  司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。 4. 主日の祈り 全員)慈しみ深い贖い主、主イエス・キリスト。あなたの言い尽くせない祝福と恵みに感謝します。私たちがもっとあなたを知り、日々あなたを心から愛し、誉め讃え、従う者としてください。父と聖霊とともに、あなたは永遠に唯一の主です。アーメン 5. 聖書朗読 福音書 ヨハネによる福音書 1章43節‐51節 (新)165頁 フィリポとナタナエル、弟子となる 1:43その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。44フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。45フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」46するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。47イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」48ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。49ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」50イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」51更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」 6. 讃美歌 338番



7. 説教 「救いを見る者とされる」 竹田 大地牧師 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 本日の御ことばは、フィリポとナタナエルがキリストの弟子として召される場面です。キリストの宣教の始めは、ヨハネからの洗礼から始まり、弟子たちを召し出すことへと移っていきます。そうして、キリストは多くの弟子を従えながら宣教の道を歩まれました。顕現後の教会暦では、キリストの宣教の歩みを覚えながら私たちは過ごしていきますが、今日与えられている御ことばから神がキリストを通して示されるみ心を共に聴いてまいりましょう。 さて、今日の讃美唱では詩編の139編が与えられています。その一節に「主よ、あなたはわたしを究め/わたしを知っておられる。」(1節)という賛歌によって神の知が私たち人間にははかり知ることができないということを告白しています。 そして、今日の福音においてもキリストがナタナエルと出会ったときに「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」と語り掛け「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と彼が既にキリストによって知られていたことが明らかにされています。 ナタナエルは、この時初めてキリストと出会ったにもかかわらず、キリストは既にナタナエルの存在をご存知であるということは、すなわち彼がキリストに依って既に捉えられていた存在であるということを指します。また同時にキリストは、詩編に「わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。」(139:16)と証されているように、私たちが造られる前からご存知であるという神の知を有しておられる方であるということも示します。 翻ってそれは、この神の知に私たち自身も与かり、神から私という存在が造られる以前から知られており、その神に私は初めから捉えられているということを指すのです。この神の知が私たちの信仰を起こさせるのです。私がキリストと、神と出会う前から私は神の御手の内にあったということを神の知は気づかせると言ってよいでしょう。 ですから私たちがキリストの弟子として歩むという決断は、既に神の知の内にある御業であるということです。私がこの方の言葉や行いに触れたから弟子とされる、弟子となるのではなく、神が既に私をご存知であるという神の側の業であるということを示すのです。弟子とされるという出来事は真に神主体の出来事だということを御ことばは示します。 ですから、この弟子の召命の福音の中心は、人間の決断が信仰において大切なことであるということではありません。その中心は、イエスは、キリストであり、この方が神の知を有し、私たちを召し出しておられる方であるという真実を告げるのです。そして、この御ことばによってイエスは私たち人間と同一でありながら、神と同一であるということを啓示しているのです。 だからこそ、キリストは、「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」と語るのです。この方を媒介にして、この方を通じてこそ神との出会い、神との親しい交流が生まれる。 キリスト無くして私たちは神の御業も、神の知恵も、神のみ恵みも見ることも、知ることもできない。だからこそキリストは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)と語ることができるのです。 私たちに豊かに、惜しみなく啓示し、私たちを喜びに溢れさせてくださる方が私たちを「わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。」捉えて離さずにいてくださいます。 私たちが救いへと導き、天の御国で共に生きる者としてくださっています。よって重ねて申し上げますが、弟子として召されることは、全くの神の御業であり、この恵みの内にいつまでも私たちの命があることです。 それは、パウロが「主に結び付く者は主と一つの霊となる」と語られている通りです。私たちは、キリストの弟子とされ、キリストの救いの御業に与かり、キリストの復活の命に与かる、神の知など知りもしない、知りえないにもかかわらず、キリストと一体とされることによって神の計り知れない知と恵みと喜びを受ける者とされるという不思議で大きな恵みに与かっているのです。 同時に今もキリストは「わたしに従いなさい」と語り掛けておられます。この御ことばに従うことの喜びを知らされた今こそこの「従いなさい」という呼びかけの奥深さ、神の救いの恵みと平安があるということを心に刻みながら歩み、多くの人々がこの恵みに与かることができるように、私たちもまたキリストの弟子たちがそうであったように、神の御ことばを讃美し、宣べ伝えてまいりましょう。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 8. 信仰告白 (起立) 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン) 9. 献金  ※それぞれのところで神様の恵みを覚えて、またご一緒に集える時にお献げください。 10. 教会の祈り 11. 主の祈り (起立) 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン) 12. 祝福 (起立) 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆)アーメン、アーメン、アーメン。

13. 後奏

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