主の御名を讃美いたします。
久しぶりの雨となっています。
大地を潤す恵みの雨であればいいのですが、北陸などにおける豪雪被害が心配です。
どうぞ寒暖差もありますから体調にくれぐれもお気を付けください。
先週から引き続いて礼拝堂に集っての礼拝は自粛しております。
明日からは、ユーチューブで配信をいたします。
以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」を10時20分頃にクリックしていただければご覧になれます。
礼拝後には、録画をユーチューブに掲載いたします。
赤丸の部分をクリック(選択)していただくとリストが出ます。
それぞれのご都合のつく時間に神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。
新型コロナウイルスの影響によりなかなか思うようにいかない毎日ではございますが、イスラエルの民が荒れ野で、またバビロン捕囚で信仰を通して苦難を耐え忍んで神様の救いを見ました。
どうぞ神様への信仰をもって歩むことの希望を希望として歩んでまいりましょう。
皆さんの健康と生活がいつも神様と共に在って守られますように。
在主
牧師
礼拝式文 顕現後第3主日
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)
2. 祝福の挨拶
司式)父と子と聖霊のみ名によって
会衆)アーメン
3. キリエ
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
司式)キリストよ、憐れんでください。
会衆)キリストよ、憐れんでください。
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
4. 主日の祈り
全員)全能の神様。あなたは、ただ恵みによって私たちを僕として召し、受け入れてくださいます。聖霊によって私たちを強め、あなたの召しにかなう者としてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
5. 聖書朗読
福音書 マルコによる福音書 1章14節‐20節 (新)61頁
ガリラヤで伝道を始める
1:14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
四人の漁師を弟子にする
16イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。17イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。18二人はすぐに網を捨てて従った。19また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、20すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。
6. 讃美歌 250番
7. 説教 「悔い改めて福音を信じる」 竹田 大地牧師 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 私たちは神から離れる者です。神に100パーセント信頼することができるならば、私たちは決して死ぬことなく、神の救いに至ることも聖書の御ことばを通して知らされています。またどのような苦難に遭おうとも詩編の一節に「神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。」(62:2)、「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。」(23:4)とあるように揺らぐことのない思いでいられるのです。 しかしながら、私たちは弱い。だからこそ揺り動かされます。神を土台として生きるならば岩の上に家を建てているようなのに、私たちはつい自分の思いを優先して砂の上に家を建てる者でしかありません。揺り動かされる私の魂は、ますます神から離れて行ってしまいます。例えば、苦しみの最中にあって、助けてくれる人も居ない状況が続けば、誰しもが神も仏もないと思ってしまいます。聖書的に語るならば、神が共に在るにもかかわらず、私たちは苦難に眼がくらんで神を見ることができなくなってしまうのです。 そうして、私たちは罪の内に生きるほかない、罪人でしかない。そうであるならば、私たちは罪の作用として「悪」しか行うことができなくなってしまうのです。理性的に素晴らしいことをしていても、一見して信仰的な行いだとしても、私たちの業は純然たる悪でしかない。私たちの霊(心)も体もそういう力に囚われているのです。 では、私たちが霊も体も悪に囚われているのであれば、どうして神の御救いに与ることができるでしょうか。どうして神の恵みに与かることができるでしょうか。その答えがイエスの「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という御ことばに示されます。ここで示されていることは「時は満ちた」ということです。この「時」という言葉はただ単に時間を数えるとかそういう概念ではなく、決定的な時、転換点としての時です。 すなわち、このイエスが語られている「時」とは、「神の国は近づいた」という時であり、それは救いの時が近づいているという決定的な転換点です。その時は、イエスが活動したその時代を示すのではありません。それはどのような時代であってもイエスの御ことばを聴いた時、それがその時なのです。 それは、今、語られている神の言葉を聴く、神の恵みが満たされている今を生きるということです。そして今、この時に神が語られている御ことばは「悔い改めて福音を信じなさい」という御ことばです。 霊も肉も悪に囚われ、罪しか犯すことのできない自分、悪しか行えない自分、罪人であり、神の御心を成しえない自分、自分の思い、世の思いに囚われ揺れ動いてしまう自分、苦しみに囚われ神を見ようとしない自分。その自分を神の方へと向き直させ、「わたしの救いと栄えは神にかかっている」(詩62:8)と聖書に記されているように、神にこそ救いと栄えがあるという信仰に立つこと生へと転換する時が今なのです。 過去の自分を捨てて、今語り掛けたもう神の御ことばを信じ、従う生き方へと私たちは導かれています。最初の弟子たちは「「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」というイエスの言葉に「すぐに網を捨てて従った。」とあるように、過去の自分をすべて捨ててキリストに従いました。自分の限界や、境遇、世の中の事がらそれを無視して、神の時に生きていく歩みを始めました。 それは先ほども申し上げたように神の恵みが満たす時の中で生きるということです。人は過去の結果としての今を生きることしかできません。しかし、神の時に生きるならば、その先にある神の国を仰ぎ見ながら、先の命、永遠の命を生きることになります。 過去が悪であったとしても、それを包み込み、それにも優る神の善きもので満たしてくださる信仰に生きる恵みを私たちは今日の福音から教えられます。 神の時を生きましょう。過去の自分、過去のすべてを捨てて、今、語り掛けたもう神の御ことばに従う恵みと喜びを覚えてまいりましょう。悔い改めて福音を信じるということは、そういう決定的な時の転換点にいつも生きる神の時の内に生かされる恵みを見る者とされるということなのです。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 8. 信仰告白 (起立) 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン) 9. 献金 ※ 日々の恵みを覚えて、再び共に集える時が来ましたら、この間の礼拝が守られたお気持ちをお献げください。 10. 教会の祈り 11. 主の祈り (起立) 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン) 12. 祝福 (起立) 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。
13. 後奏
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