10月18日(聖霊降臨後第20主日)の礼拝と説教
- ltnishinomiya
- 2020年10月18日
- 読了時間: 12分
主の御名を賛美いたします。
急に寒くなりました。
しとしとと降る雨が一段と寒さを演出しますね。
寒暖の差が激しくなっていますから、どうぞ皆さん体調管理にお気を付けください。
次週は、宗教改革主日、11月1日は全聖徒主日です。どうぞ覚えてご予定ください。またご家族、お知り合いをお誘いくださって、伝道の機会としてまいりましょう。
全聖徒主日では、お写真を聖壇に並べて、先に召された方々を覚えます。どうぞ先に召されたご家族のお写真をご持参ください。
10時30分から短縮式文で礼拝を執り行ってまいります。ご一緒に神様の恵みに与かってまいりましょう。
出席適わない方は、いつも通りフェイスブックで配信を致します。どうぞそれぞれのところで神様の恵みに与かりましょう。
https://www.facebook.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E6%95%99%E4%BC%9A-284764385794229 また、礼拝後は教会のYouTube(ユーチューブ)に掲載しておきますので、そちらからでもいつでもご覧になれます。以下のリンクを選択してください。 先週は、映像を保存できていなくてアップロードできませんでした。申し訳ございませんでした。 https://www.youtube.com/channel/UCzbeaT4xiANne1wCKYqhUzg?view_as=subscriber 牧師
礼拝式文 聖霊降臨後第20主日
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって 会衆)アーメン 3. キリエ 司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。 会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。 4. 讃美唱 詩編96編1節‐9節 96:1新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。 2主に向かって歌い、御名(みな)をたたえよ。日から日へ、御救(みすく)いの良い知らせを告げよ。 3国々に主の栄光を語り伝えよ/諸国の民にその驚くべき御業を。 4大いなる主、大いに賛美される主/神々を超えて、最も畏(おそ)るべき方。 5諸国の民の神々はすべてむなしい。主は天を造られ 6御前(みまえ)には栄光と輝きがあり/聖所(せいじょ)には力と光輝(こうき)がある。 7諸国の民よ、こぞって主に帰せよ/栄光と力を主に帰せよ。 8御名(みな)の栄光を主に帰せよ。供え物を携(たずさ)えて神の庭に入り 9聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。全地よ、御前におののけ。 司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、 会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン 5. 主日の祈り 全員)王なる神様、私たちの心の内に聖座(みざ)を据えてください。あなたにかたどられた者として生き、あなたの栄光のために行動し、贖われた者として、あなたのものをあなたにお返しすることができますように。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 6. 聖書朗読 第一日課 イザヤ書 45章1節‐7節 (旧)1135頁 45:1主が油を注がれた人キュロスについて/主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り/国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ/どの城門も閉ざされることはない。 2わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし/青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り 3暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。あなたは知るようになる/わたしは主、あなたの名を呼ぶ者/イスラエルの神である、と。 4わたしの僕ヤコブのために/わたしの選んだイスラエルのために/わたしはあなたの名を呼び、称号を与えたが/あなたは知らなかった。 5わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。わたしはあなたに力を与えたが/あなたは知らなかった。 6日の昇るところから日の沈むところまで/人々は知るようになる/わたしのほかは、むなしいものだ、と。わたしが主、ほかにはいない。 7光を造り、闇を創造し/平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。 第二日課 テサロニケの信徒への手紙一 1章1節‐10節 (新)374頁 挨拶 1:1パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。2わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。 主に倣う者 3あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。4神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。 5わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。6そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、7マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。8主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。9彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、10更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。 福 音 書 マタイによる福音書 22章15節‐22節 (新)43頁 皇帝への税金 22:15それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」22彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。 7. 讃美歌 392番

8. 説教 「神と人とに仕える」 竹田 大地牧師 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 私たちは様々なものに囲まれて生きています。まず自分自身、家族、友人、富、権威、政治的信条など様々に姿かたちを変えてそれらは私たちに影響を及ぼします。そしてそれらのものを絶対視してしまう傾向にあります。そうして、各々が絶対視しているものに囚われ、汲々と生きている、何だか束縛されて自由でなく、窮屈に人は生きてしまっているように見えます。 そのような思いに囚われているのは、何も現代人の私たちに限ったことではなくキリストの時代のキリストの周辺に生きている人々もそうでした。今日与えられている福音にはファリサイ派とヘロデ派の人々がキリストを陥れようとして問答を繰り広げていきます。実は、ここでありえないことはファリサイ派とヘロデ派の人々が協力しているという事態です。なぜならば彼らは、同じユダヤ教徒でも宗教的グループと政治的グループだったからです。 ファリサイ派は、純粋に律法を厳格に守り、信仰を大切にするグループでした。そういう信条を持つグループでしたから、異教徒の支配下にある現状を許容できず、反ヘロデのグループでした。一方でヘロデ派とは、親ヘロデの姿勢をとって、ローマ支配下の中でユダヤ人の権利を守ろうとしたどちらかというと政治的なグループでした。 本来であれば相対するユダヤ人グループだった二つの勢力がキリストを陥れるという唯一の点で一致し、キリストのもとにやって来て「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」と問うたのです。この答えに彼らは注目していました。もし、「皇帝に」と言えばファリサイ派は、救い主がそんなことを言うはずがない、お前を虚偽を語っていると言えますし、「神に」と言えばヘロデ派たちがお前はローマに反す不届きものだと訴えることができます。 そういう一見窮地に立たされているキリストなのです。一種の緊張がその場を支配していたことでしょう。しかしキリストは、そのような思惑を見抜いておられました。そこで語られた言葉は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」という答えでした。この御ことばに示されている神の御心とは何か。 今日のイザヤ書に目を向けてみますと、そこにはかつてバビロン捕囚から救い出した神の御手について述べられています。キュロスとは、ハッキリ言うならば異邦人です。しかしその異邦人を神は召し出し、力を与え、イスラエルの人々を捕囚から解放する者として立てたと語られます。 しかしながら、それを人は知らなかった。しかしながら、主の救いに与っている者は、「知るようになる」のです。この世のあらゆるものが神が創造され、神が力を与えていることに。 そういう神の創造、神の賜物という視点を与えられるとき、私たちが心を奪われ、囚われているものは神の御手のもとにあることに気が付かされます。 と、同時にそれが永遠でないことも知るようになる。永遠ではないということは、それはまさに「むなしい」のです。そのむなしいものを絶対視し、神としてしまっている私の罪にも気が付かされます。そして、何よりもこの「むなしい」と訳されている言葉は「終わり」という意味があります。その意味をくみ取るならば、このイザヤ書の御ことばは「わたし以外は終わる」ということになります。 すなわち、永遠に私を捕らえ、支配されているのは神であるという真理が語られているのです。この世の見えるものに私たちはつい目を奪われますが、それは永遠ではありません。富も権威も、名声も、家族も友人も、そして自分自身もいつかは終わりを迎えます。そういう限界があるにもかかわらず、私たちはそれを絶対視し、信頼し、同時に裏切られ、傷つけられます。しかしながら、神の支配は、すべての人に力を与え、豊かにし、養い、永遠の命へと導きます。 私たちを支配しているのは、神です。私たち一人ひとりに力を与えられているのは神です。それはイザヤ書でキュロスに与えられた託宣によって明らかにされています。様々に私たちを悩ますこと、惑わすこと、迷わすことがあります。今日のキリストとファリサイ派、ヘロデ派との論争に窮してしまうこともあります。 そのような中で真実は、神の支配のもとにある。そうであるならば、この世のものはこの世に置いておけばよい、それに囚われる必要もないことに気が付かされます。すなわち、世から自由とされているのです。その背後には神の永遠の支配があるからです。その神から私たちは賜物を与えられ、力を与えられ、立てられている者です。 その様な中でキュロスの働きを通して人々が神を知るようになると神が語られているように、同じ神が私たち一人ひとりに働いているのですから、私たち一人ひとりの働きを通して多くの人が神を知るようになると神は語られています。 神の支配こそが確かであり、永遠であり、私たちを喜びと平安へと導いてくださっていることを私たち自身の思いと言葉と行いを通して顕しているのです。 ですから、私たちは真に信頼し、委ねるべき方が誰であるか、そして、真に自分自身を帰していく方は誰なのかを覚え、それを顕し、すべての人がキリストの救いの恵みと、神こそが真の支配者であり、この方がすべてを満たし、すべてを与えてくださっているのだと知るように働く者として立たされているのです。 その時に働くのは、私の思いや言ではありません。キュロスがそうであったように、すべての力の源は神であり、私を通して神が働かれるのです。神と人とに仕えるという説教題を付けましたが、それをなさせるのは神です。神らか与えられる信仰によって神に従い、仕え、神が私たちのために世に降ってこられて仕えてくださったように、その神が私の内で働き人に仕える者としてくださる。 徹底した神の働きと力づけを与えられている命であることを知らされています。その神が永遠に支配し、私たちを養い、育ててくださっています。 現在、私たちは大きな苦難に直面しています。新型コロナウイルス、政治の混乱、教会の課題も山積しています。信徒の高齢化、減少、牧師不足など挙げればきりがなく、途方に暮れそうになってしまいます。 そのような中で「暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。あなたは知るようになる/わたしは主、あなたの名を呼ぶ者/イスラエルの神である、と。」という託宣を与えられています。絶望することはないのです。闇と思えるそこには宝、隠された富、すなわち神御自身がそこに現れてくださっています。この真理を見つめる信仰を与えてくださいと祈り求めてまいりましょう。 そして、重ねて申し上げますが、このことを知らされ、知った者として、私を通して豊かに神が顕され、すべての人が「わたしのほかは、むなしいものだ、と。わたしが主、ほかにはいない。」ということを知るように、すなわちすべての人が神の支配と救いを喜ぶように主に従い、一つに仕え、隠された神の宝を輝かせる働きをご一緒に担い、新しい歌を讃美しながら、喜んで歩んでまいりましょう。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 9. 信仰告白 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン) 10. 献金 11. 教会の祈り 12. 主の祈り 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン) 13. 祝福 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆)アーメン、アーメン、アーメン。
14.後奏
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