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ltnishinomiya

10月3日(聖霊降臨後第19主日)の式文と説教

主のみ名を讃美いたします。


朝晩は涼しくなってきましたが、日中はまだ汗ばむ天気が続いています。

私は、月曜日に抜歯をして、痛みと戦う一週間でした。

また、先日受診した健康診断の結果が出ました。

肥満の改善と、いつものように(中学時代から)心電図で引っ掛かりWPW症候群という心疾患です。この疾患は心房と心室にケント束という正常な器官以外に電気を伝える異常な伝導路があるため、心房と心室の間を電気の興奮がくるくると回って頻脈を起こしてしまうそうです。

正直、自覚症状も中学以来無いので放っておいてます。

健康について自覚せざるを得ない中で出張など外出も多く、ちょっとしんどい一週間でした。

本当に健康第一だと痛感します。

このままちゃんと運動を続けて、健康的な食事を続けてより健康体を目指したいと思います。


さて、緊急事態宣言が解除されましたので、礼拝の自粛を解除して、皆さんで礼拝堂に集っての礼拝を再開いたします。

嬉しいことです。しかしながら、コロナウイルスは無くなったわけではありません。皆さんどうぞお気をつけてお越しください。

健康にご不安のある方は、どうぞご無理なさらないようにしてください。

暫くの間は短縮式文で礼拝をいたします。


ユーチューブから礼拝の模様を配信しています。10時20分から始まります。 以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。 式文につきましては、申し訳ございませんが、流れのみを概要欄に掲載しています。聖書などはご自身のお用いいただくか、朗読をお聞きください。どうぞご了承ください。 日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube 新しい一週間皆さんの生活と健康が守られますようにお祈りしています。 在主 牧師


聖霊降臨後第19主日礼拝

礼拝式文 聖霊降臨後第19主日


1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)


2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって 会衆)アーメン


3. キリエ

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。

 会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。


4. 主日の祈り

全員)いと高き神様。あなたは私たちを愛し合う交わりの中に創られました。変わることなく誠実に生き、幼子のように信頼し、御子の姿を映しだすことができますように。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


5. 聖書朗読 

第一日課 創世記 2章18節‐24節 (旧)3頁

2:18主なる神は言われた。

「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。20人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

21主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。22そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、23人は言った。

「ついに、これこそ/

わたしの骨の骨/

わたしの肉の肉。

これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/

まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

24こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。


第二日課 ヘブライ人への手紙 1章1節‐4節,2章5節‐12節 (新)401頁

神は御子によって語られた

1:1神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、2この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。3御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。4御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。


救いの創始者

2:5神は、わたしたちが語っている来るべき世界を、天使たちに従わせるようなことはなさらなかったのです。6ある個所で、次のようにはっきり証しされています。

「あなたが心に留められる人間とは、何者なのか。また、あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。

7あなたは彼を天使たちよりも、/わずかの間、低い者とされたが、/栄光と栄誉の冠を授け、

8すべてのものを、その足の下に従わせられました。」

「すべてのものを彼に従わせられた」と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていません。9ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。

10というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。11事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、12「わたしは、あなたの名を/わたしの兄弟たちに知らせ、/集会の中であなたを賛美します」と(言われます。)


福 音 書 マルコによる福音書 10章2節‐16節 (新)80頁

10:2ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。3イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。4彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。5イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。6しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。7それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。9従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」10家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。11イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。12夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」


子供を祝福する

13イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。15はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」16そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。


6. 讃美歌  507番



7. 説教

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


時折、イエスは私たちの救いについて花婿と花嫁、結婚に譬えて語られることがあります。

それは喜びの時です。それは二人が一つとされるという喜びに由来します。それまでは赤の他人であったのに、愛し合うことによって相手と共に生きていけるという喜びが溢れるからです。

もはや自分が孤独でない、愛する人と共に居られるということ、そして、その姿は家族、友人をも喜びに満たします。

神との繋がりは、愛による繋がりです。神が愛してくださって、その愛によって生きていけるという喜びと希望、それが命を活力に溢れさせます。それを聖書は度々、結婚関係と結び合わせたり、婚礼の席で花婿のもとに花嫁が来るという描写をもって現そうとしてるのです。


さて、そのような麗しい人間関係、神との関係は果たして私たちの間で本当に成立しているかと言うならば、決して「イエス」と言えない現実があります。だからこそ、神は私たちに最も小さな社会である夫婦関係についても律法をお定めになり、私たちに与えたのです。この二人という小さな社会でさえ私たちは完全に愛し合うことのできない罪人であることを神はご存知だからです。


それは神と人との関係においても同様です。今日の福音に示されている「頑固」という言葉は、マルコ福音書においては16章14節「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」とあるように、私たちは復活のキリストを信じ切ることができない心の持ち主なのです。


神との関係においてそのような振る舞いをしてしまう私たちなのですから、それは人間同士においても同様です。離縁について語られた後に子どもを祝福するという出来事も知らされています。この時、弟子たちは子どもを連れて来た人々を叱りつけました。なぜそのようなことをするのかと言いますと、子どもはユダヤ教の社会においては、役にたたないもの、知恵のないものと見做されていたからです。不完全であり、神の御心に叶わない者と考えられていました。


だから弟子たちは、そのような者を師であるキリストに近づけることを叱ったのです。そのような態度に愛があるでしょうか。神の愛は深く、広く、高いのです。どのような者であっても、その御胸に引き寄せ、愛によって抱いて下さる方です。そのことを弟子たちは理解していませんでした。即ち、彼らはユダヤ教の規範から脱却できず、その当時の概念、通念に縛られた存在だということを表しています。


私たちは、自分を救い出し、大いなる力を持つキリストに希望を見出します。そして、この方に従いたいという思いを抱きます。キリストに従った弟子たちはまさにそのような思いに駆られた人々です。漁師に「人間を獲る漁師にしよう」と語り、徴税人に「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と語りかけ、自分の命に価値を見出し、希望と喜びに溢れさせていただいたのです。この人に従えば、それまでの思い悩みは打ち消される、この方にこそ救いがあるという燦然と輝く希望です。


しかし弟子たちですらもこの偉大な方、多くの奇跡を起こし、驚くべき教えを語る方に仕えているうちに、そのような思いを忘れて、以前の状態に戻ってしまう。世の概念や通念に縛られ、そこから抜け出せない不信仰な者であることを露呈していくのです。そして、自分たちが神の救いに近い者としてのつまらないプライドが芽ばえ、神の救いに与ろうとする者を神でもないのに峻別してしまう。そういう傲慢な姿さえこの出来事では露わにします。


またファリサイ派の人々にしても、律法に記されていることを一言一句守り、その生活と信仰を守っていました。そして、この律法を行うことによって自分は正しい者となり、神の救いに与かるのだと考えていましたし、逆にそれらを守ることのできない人々は神の救いに与かることができない人々だと考えていました。彼らの考え方は、救いについて自分たちが獲得していくものと考えていたということです。


ですから弟子にしても、ファリサイ派にしても神の救いについて大きな間違った考え方をしていたのです。本当は、人間の側に救いが在るのではありません。救いとは、完全に神の出来事です。私が何をしたから、これをしないように心掛けたから救いに至るのではありません。


救いとは、罪人である私たちとキリストをまさに「神が結び合わせてくださった」のです。本来であれば、私たちは神との関係は破れ、分離してしまっています。そして、その破れの原因は、私たちの側にあります。しかしながら、神はそのような私たちを捨て置かれませんでした。アダムとイブにしても、アブラハムにしても、モーセやイスラエルの民にしても何度も神から離れ、神の御心にそえず、罪を犯してしまいましたが、いつも手を伸ばし、祝福し、守り、導いてくださっていることを聖書は伝えています。


つまり、私たちは神によって救いと結び合わされてこそ救いに至るのです。この結びつきを切ることなく生きることを神は求めています。罪人であり、神とのかかわりの内に生きることが本来許されない存在であるにもかかわらず、神は私を求め、私と関係し続けて生きてくださると語り掛けたもう神が居られるのです。

私たちの中には分裂があり、差別があり、各々の思いに縛られていますが、神はあらゆるしがらみや通念を超えます。


私たちの心の内にある溝を超えて神は来られます。私たちと神との関係を回復に導き、罪から救い出し、神の栄光、恵みに与かる者としてくださいます。この関係に結び合わせたもう神の御手の中に私たち一人ひとりの命があります。この恵みをまさに子どものように純粋に受け入れていきたいと思います。

幼子のように、父なる神から受けた御ことばを聴き、語り、乳飲み子のように純粋に母から与えられるもので成長し、安心していくような信仰をもって歩んでいきたいと思うのです。


私たちは神との関係が破れてしまっています。その私たち一人ひとりの手を取り、命をすくい上げ、すべてを御許に引き寄せて、神との関係に結び合わせてくださっています。この御手の導きを信じ、委ねて歩んでまいりましょう。私たち一人ひとりの命が死ぬ者から命ある者へと造り変えたもう神の御業を喜び、感謝しつつ歩んでまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

8. 信仰告白 (起立)

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)


9. 献金


10.聖餐式

聖餐の讃美歌 206番(1,3,5節)




11. 主の祈り (起立)

司式)祈りましょう


 全員)天の父よ。

 み名があがめられますように。

 み国が来ますように。

 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

 私たちの犯した罪をお赦しください。

 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

 (アーメン)


12.配餐と感謝の祈り


13. 教会の祈り


14. 祝福 (起立)

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。


 会衆)アーメン。アーメン。アー メン。


13. 後奏

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