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11月1日(全聖徒主日)の礼拝と説教

ltnishinomiya

主の御名を賛美いたします。


明日の礼拝は全聖徒主日となります。

皆さんで西宮教会の先に召された兄弟姉妹、関係の方々を覚えてお祈りを合わせてまいりましょう。


明日も10時30分から短縮式文で礼拝を執り行ってまいります。ご一緒に神様の恵みに与かってまいりましょう。

出席適わない方は、いつも通りフェイスブックで配信を致します。どうぞそれぞれのところで神様の恵みに与かりましょう。


https://www.facebook.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E6%95%99%E4%BC%9A-284764385794229   また、礼拝後は教会のYouTube(ユーチューブ)に掲載しておきますので、そちらからでもいつでもご覧になれます。以下のリンクを選択してください。 https://www.youtube.com/channel/UCzbeaT4xiANne1wCKYqhUzg?view_as=subscriber 早いものでもう11月となりました。秋の紅葉も始まっています。 どうぞ、朝晩の冷え込みもありますし、これからはコロナに加えてインフルエンザなどの流行病も流行ってきます。どうぞお体ご自愛ください。 皆さんの健康と生活が主の守りの内にありますようにお祈りいたします。


全聖徒主日礼拝


1.    前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)

2.    祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって  会衆)アーメン

3.    キリエ 

司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。

讃美唱 詩編34編2節‐11節&23節

34:2どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。

3わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。

4わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。

5わたしは主に求め/主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。

6主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。

7この貧しい人が呼び求める声を主は聞き/苦難から常に救ってくださった。

8主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。

9味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。

10主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。

11若獅子は獲物がなくて飢えても/主に求める人には良いものの欠けることがない。

23主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は/罪に定められることがない。

司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、

会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン

4.    主日の祈り

全員)全能の神様、あなたは、御子、主イエスの神秘のからだの交わりに民を編み込み、一つにしてくださいました。信仰と献身を貫いた聖徒たちに倣って、あなたを愛する者たちに用意された言い尽くせない喜びに与らせてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 

5.    聖書朗読

第一日課 ヨハネの黙示録 7章9節‐17節 (新)460頁

白い衣を着た大群衆

7:9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、10大声でこう叫んだ。

「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。」

11また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、12こう言った。

「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」

13すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」14そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。

15それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。

16彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。

17玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」

第二日課 ヨハネの手紙一 3章1節‐3節 (新)443頁

3:1御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。2愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。3御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。

福音書 マタイによる福音書 5章1節‐12節 (新)6頁

山上の説教

5:1イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2そこで、イエスは口を開き、教えられた。

幸い

3「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

4悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。

5柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。

6義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。

7憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。

8心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。

9平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

10義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

12喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

6.    讃美歌 488番


 



7.    説教 「幸いなる命とされて」 竹田 大地牧師

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

私たちに与えられている信仰の恵みは、徹底的に貧しさの内に示されています。それは「死」という出来事において最も示されていると言えます。なぜならば、私たちの救いのしるしは十字架だからです。この出来事は、まさに死の出来事です。誰もが耐えがたく、避けることのできない哀しみと恐れの象徴である十字架の死を通して私たちは神の救いの確信を与えられるからです。

今日与えられているキリストの御ことばは「幸い」について群衆に語られた御ことばです。しかしながら、キリストの語られる「幸い」とは、この世的にみるならば決して幸いと言える状況ではありません。なぜ、そのような状況を指してキリストは「幸いである」と語られるのでしょうか。

それは、キリスト御自身が、これらの悩める私たちの飢え、困窮、不足を徹底的に身に受けたことに依ります。例えば「心の貧しい人々」とありますが、この「心」とは、本来は「霊」と訳されます。

すなわち、私たちは霊は傷つき、卑しく、完全でありえない。それ故に神の救いから遠い者でしかないという真実を浮き彫りにします。

十字架に架けられたキリストは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と叫ばれたように、霊が傷つき、卑しくされ、不完全とされているような状況に立たれました。しかし、この卑しさ、低さに立たれたキリストの内に神の国への道が示されました。

また、「悲しむ人々」とありますが、この悲しみは「喪に服する」という意味での悲しみです。すなわち、この悲しさは「死」と関係する悲しみです。これもまたキリストの十字架に照らしていくならば、キリストの死は私たちに絶望を味わわせ、悲しみに溢れさせます。しかし、復活によって私たちに大きな慰めと希望をを与えてくださいました。

このように、この「幸い」を通して示されている事がらは、すべての事がキリストに帰していることに気が付かされます。それは言い換えるならばすべての事柄がキリストによって成るということを顕しているのです。すべての飢え、困窮、不足を私たちは避けようとします。また、そのような状況に置かれている人々が「幸い」などとは言えない、言わない世に生きています。

しかしながら、それはこの世に心を置き、自分の置かれた状況に対して汲々となっている者にとっては、これらの状況は耐え難く、苦しみでしかありません。しかし、これらの事柄一つひとつがたとえこの世的に「不幸」と映ったとしても、キリストを通して、キリストに依り見つめる時、これらの状況は「幸い」とされるのです。

なぜならば、キリストを通して示される「幸い」は十字架の内に示されているように、どこに「幸い」があるのかと思われる所にこそ輝いているからです。キリストはこれらのこの世的な「不幸」を徹底的にその身に引き受けられました。最初に述べましたように、キリストの十字架は、私たちの貧しさ、困窮、不足を受け取った出来事です。

だからこそ、私たちはキリストのゆえに「不幸」の内に隠された宝を見つめていき、この貧しさを通して神から豊かな恵みと喜びを与えられているという真理を信仰によって受け止めていきたいと思うのです。すべての人間は、貧しさ、困窮、不足の内にあります。いつも満たされない思いに駆られて、汲々と生きてしまっています。しかし、その思いをこの世のもので満たすことはかなわずにいます。

そのような中で神は、その貧しさの内にこそ豊かさがあるという真理をお示しになりました。それは十字架への信仰によって、すべてのことがキリストによって満たされ、いま御国に共に生き、幸いな命とされている喜びを与えられています。

「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」と語られているように、キリストが苦難を負ってくださり、私たちの貧しさを担ってくださったことによって「彼ら」とあるようにこのキリストお一人の十字架の贖いを通して神の「幸い」のうちに生かされて、罪を拭われ、神のみ前で生きる者とされているのです。

だからこそキリストを通して私たちは「幸い」であると信じ、歩んでまいりたいと思うのです。この世的な満たしではなく、キリストを通して与えられるもの、キリストの十字架の苦しみ、悲しみ、嘆きの内に隠されている栄光を受け取ることによって与えられる「幸い」を望みながら、キリストに依ってすべての人の涙が拭われ、「命の泉」の汀にある魂の平安を覚えてまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

8.    信仰告白

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)


9.    献花

10. 聖餐式

聖餐の歌 205番(1、3節)




主の祈り

司式)祈りましょう

全員)天の父よ。

み名があがめられますように。

み国が来ますように。

み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

私たちの犯した罪をお赦しください。

私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

(アーメン)

11. 献金

12. 教会の祈り

13. 祝福

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。



会衆)アーメン、アーメン、アーメン

14.後奏

 
 
 

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