医師会が現在の新型コロナウイルスの状況について第三波であると発表をしています。
三日連続で全国の新規感染者が最多を更新しています。
関西においても大阪府を中心に感染が広がっている状況です。
どうぞ皆さまご無理をなさらないようにしてください。
外出などにご不安のある方は、Facebookのライブ配信、YouTubeなどでそれぞれの場所で神様の御ことばに聴いてまいりましょう。
どうぞ皆様の安全が守られますように。また、この事態に当たっておられる医療関係者、政府関係者の働きをお祈りに覚えてまいりましょう。
牧師
礼拝式文 聖霊降臨後第24主日
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって 会衆)アーメン 3. キリエ 司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。 会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。 4. 讃美唱 詩編90編1節‐8節 90:1【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。 2山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々(よよ)とこしえに、あなたは神。 3あなたは人を塵に返し/「人の子よ、帰れ」と仰せになります。 4千年といえども御目(おんめ)には/昨日が今日へと移る夜の一時(ひととき)にすぎません。 5あなたは眠りの中に人を漂わせ/朝が来れば、人は草のように移ろいます。 6朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯(か)れて行きます。 7あなたの怒りにわたしたちは絶え入り/あなたの憤りに恐れます。 8あなたはわたしたちの罪を御前(みまえ)に/隠れた罪を御顔(みかお)の光の中に置かれます。 司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、 会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン 5. 主日の祈り 全員)憐れみ深い正義の主、地とそこに住むすべての民はあなたのものであり、私たちのものはすべて、あなたからいただいたものです。正義と知恵をもってあなたに仕える心を呼び起こし、あなたが来られる日を喜び迎える備えをさせてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 6. 聖書朗読 第一日課 ゼファニア書 1章7節,12節‐18節 (旧)1470頁 1:7主なる神の御前に沈黙せよ。主の日は近づいている。主はいけにえを用意し/呼び集められた者を屠るために聖別された。 12そのときが来れば/わたしはともし火をかざしてエルサレムを捜し/酒のおりの上に凝り固まり、心の中で/「主は幸いをも、災いをもくだされない」と/言っている者を罰する。 13彼らの財産は略奪され、家は荒れ果てる。彼らは家を建てても、住むことができず/ぶどう畑を植えても/その酒を飲むことができない。 14主の大いなる日は近づいている。極めて速やかに近づいている。聞け、主の日にあがる声を。その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる。 15その日は憤りの日/苦しみと悩みの日、荒廃と滅亡の日/闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。 16城壁に囲まれた町、城壁の角の高い塔に向かい/角笛が鳴り、鬨の声があがる日である。 17わたしは人々を苦しみに遭わせ/目が見えない者のように歩かせる。彼らが主に対して罪を犯したからだ。彼らの血は塵のように/はらわたは糞のようにまき散らされる。 18金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの日に/地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を/地上に住むすべての者に臨ませられる。 第二日課 テサロニケの信徒への手紙一 5章1節‐11節 (新)378頁 5:1兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。2盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。3人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。4しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。5あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。6従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。7眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。8しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。9神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。10主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。11ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。 福 音 書 マタイによる福音書 25章14節‐30節 (新)49頁 すべての民族を裁く 25:14「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。15それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、16五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。17同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。18しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。19さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。20まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』21主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』22次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』23主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』24ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、25恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』26主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。28さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。29だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。30この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」 7. 讃美歌 310番
8. 説教 「終わりを目指して」 竹田 大地牧師 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 教会暦が終わりを迎えようとする中で、私たちは終わりを意識してしまいます。一年の終わりが近づくと誰しもが思うことですし、学校生活や、定年、また人生の終盤という意味でも「終わり」という時は様々な思いが去来するものです。 ではキリスト教における終わりとはどのようなものかと言うならば、先週も申し上げましたように、始まりでもあるということです。 それは聖書に「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」」(ヨハネ黙示録2:3,4)とあるように全てのものが過ぎ去り、新しい神による統治が始まるのです。 そういう時を私たちは待ち望んでいます。そのような中でゼファニア書に目を向けてみますと、終わりが速やかに来るという火急的な表現をもって示されています。それに伴い「その日は憤りの日/苦しみと悩みの日、荒廃と滅亡の日/闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。」とあるようにヨハネ黙示録とは真逆の様相を語りかけています。 しかもゼファニアの活動した時期は、イスラエルが南北に分裂した後で最も神に対し誠実に向き合い、それまで蔓延っていたバアルの祭壇を焼き払い、神に立ち帰ったヨシア王の時代でした。彼の功績は「「彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。」(列王記下23:25)と語られるほどであり、それ故にイスラエルは大きな繁栄と安定を迎えていました。 そのような時代にも関わらず神は「しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった。」(列王記下 23:26)とあるほどにイスラエルの罪に対して激しく怒りを向け、厳しく臨んでおられるのです。 つまり、私たちがどんなに今はいい時代だと思った所で神は、人間の罪深さを見逃さない方だということです。 そういう私たち人間の命の切なさや、儚さ、そして一時の絶頂に陶酔してしまう愚かな者でしかないということを教えられます。時がいいと私たちは何か災いが起こるとも思わないのです。神から与えられている物に満ち足りてしまいます。それはもちろん恵みでしかないのですが、人間の愚かさはそこで与えられたものを活かし、神のために生きることを忘れ、怠惰に陥るのです。 今日の福音のタラントンの譬えは大変有名な譬え話のひとつです。聖書の後ろに記されている当時の単位を見てみますと、1タラントンは6,000デナリオン、1デナリオンが一日の賃金ですから、仮に日当一万円であれば、1タラントンは6,000万円もの大金です。つい、1タラントン、3タラントン、5タラントンと人に依っての差異に眼を向けて、神は不平等なのではないかと勘違いをしてしまいがちな私たちでありますが、実のところ神という方は、誰にであれ非常にたくさんの恵みを与えている方だということが明らかです。 そういう大きな恵みを私たち一人ひとりは神から与えられています。しかしながら、残念なことにそれを喜びはするのですが、それを活かし、神の御国のため、また隣人のために用いることには躊躇をしてしまうのです。得たもの、与えられているものを手放すことの難しさは誰しもが覚えることです。 そのような人間の思いを神はご存知であり、今日の譬え話を通して人間は与えられていることに感謝しながらも、それを活かすことをしない私たちの心に芽生え、はびこってしまう怠惰な思い、緩慢な思いを見透かしている神の眼差しがあります。 私たちは、神から本当に大きな恵みをいただきながら命の営みを日々紡いでいます。しかし、この大きな恵みを与えられながらも、この恵みに気づかずに汲々と生きざるをえず、また得たものを手放せない人間の愚かさを知らずにある人が沢山いることを知らされています。たとえ、それを手放したとて、神の恵みは尽きることなく私たちの命を活かし続けてくださるのですから、与えられたタラントンを私たちは喜んで活かしていきたいと思うのです。 そして、それは用いたことによって無くした、失った、減ったと思っても、終わりのときには3タラントンともう3タラントンを得ることになり、5タラントンに加えて5タラントンを得るというように、より大きく、私たちには測りがたい恵みと喜びを得させる時となるのです。そういう大きな恵みと喜びにまみえる時が終わりの時だと譬えを用いて明らかにされています。 そうであるならば、私たちは、その時を目指しながら、今、お一人おひとりが与えられているものに満足し、手放すことを躊躇するのではなく、それを用い、活かし、神の恵みがこの世に溢れるような生き方、歩みを刻んでいくことの大切さを教えられています。つい、あの人にはあって私には無い、私の方が持っているものは少ないとこの世的な尺度に当てはめてしまいがちですが、そうではなくて、一人ひとりが計り知れない神の賜物によって生かされていることを心に刻みながら、今与えられているこの恵みを十分に活かし、神の御国のため、その時のために走り抜いていきたいと思うのです。 それは、「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピ3:13,14)とパウロが語っているように、闇雲に走るのでなく、キリストが約束された終わりを目指しながら走るのです。 その歩みの先には更に豊かにされるという希望があります。ですから、私たちは今与えられている賜物の豊かさを覚えながら、それを大いに、大胆に用いながら、キリストを通して与えられる恵みが豊かで、尽きることのないものに守り導かれている幸いの命であるということをキリストと共に宣べ伝えてまいりましょう。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
9. 信仰告白
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
10. 献金
11. 教会の祈り
12. 主の祈り
司式)祈りましょう
全員)天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
(アーメン)
13. 祝福
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。
父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)アーメン、アーメン、アーメン。
14. 後奏
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