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  • ltnishinomiya

11月22日(永遠の王キリスト主日)の礼拝と説教

主の御名を賛美いたします。


兵庫県においても連日過去最高の新規感染者数を記録しています。県からも「感染拡大特別期」に入っているという発表がありました。そのような状況ではありますが非常事態宣言はまだ発令されておりません。

教会といたしましては、引き続き感染防止対策を徹底して礼拝は継続をしてまいります。

皆さまには以下のことを教会に来会された際にはお願いいたします。


①手洗いうがい

②手指消毒

③検温(37.5度以上あれば帰宅をお願いいたします)

④マスク着用

⑤礼拝後の会堂の消毒作業の協力

⑥礼拝以外の諸集会の中止(女性会、聖書研究会は再開いたしましたが、再度中止します。)


またこの日の礼拝は教会暦という教会独自の暦における最後の主日となります。

礼拝後に、来週から始まる新しい教会暦である待降節(アドヴェント)の準備をいたします。新型コロナウイルスの第三波の中にあり、不安と恐れを覚える日が続いています。

明日も引き続いて短縮式文での礼拝と、Facebookでライブ配信を致します。

ご一緒にそれぞれのところで神様の恵みに与かってまいりましょう。 出席適わない方は、以下のフェイスブックで配信をご覧ください。 https://www.facebook.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E6%95%99%E4%BC%9A-284764385794229 また、礼拝後は教会のYouTube(ユーチューブ)に掲載しておきますので、そちらからでもいつでもご覧になれます。以下のリンクを選択してください。 https://www.youtube.com/channel/UCzbeaT4xiANne1wCKYqhUzg?view_as=subscriber


難しい状況にありますが、どうぞお一人おひとりの心身の健康が守られますようにお祈りしています。

何かございましたらいつでも牧師までお申し出ください。


牧師


礼拝式文 永遠の王キリスト主日


1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)

2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって  会衆)アーメン

3. キリエ 

司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。

4. 讃美唱 詩編95編1節‐7節a

95:1主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。

2御前に進み、感謝をささげ/楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。

3主は大いなる神/すべての神を超えて大いなる王。

4深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。

5海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。

6わたしたちを造られた方/主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。

7主はわたしたちの神、わたしたちは主の民/主に養われる群れ、御手の内にある羊。

司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、

会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン

5. 主日の祈り

全員)力強さあふれる神様、御子は私たちに仕える道を示してくださいました。恵みの富を受け継ぐ者として、正しいことを知る知恵と、あなたの造られた世界に仕える力を与えてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

6. 聖書朗読

第一日課 エゼキエル書 34章11節‐16節&20節‐24節 (旧)1352頁

34:11まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。12牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。13わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。14わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。15わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。16わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。

20それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。21お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。22しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く。23わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。24また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る。

第二日課 エフェソの信徒への手紙 1章15節‐23節 (新)352頁

パウロの祈り

1:15こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、16祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。17どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、18心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。19また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。20神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、21すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。22神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。23教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

福 音 書 マタイによる福音書 25章31節‐46節 (新)50頁

すべての民族を裁く

25:31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33羊を右に、山羊を左に置く。34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

7. 讃美歌 338番



8. 説教 「終末を生きることは、今を生きる」 竹田 大地牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

今日で教会暦の最後の週を迎えます。一年の歩みを神に感謝するとともに日々、こうして礼拝を通して御ことばを通して信仰が養われてきたことを覚えます。今年は特に、新型コロナウイルスによって礼拝もご一緒に集いままならない状況もありました。非常に困難、苦難を覚えてきた一年であり、誰も経験したことのないような教会生活、信仰生活であったように思います。

そのような終わりを覚えながら、私たちに与えられている福音は、終わりの時の裁きについてです。世の終わりには裁きが起こるとキリストは語ります。そして、羊飼いが羊と山羊をより分けるようにされるというビジョンをお示しになりました。そして、右の者は神が用意してくださっている国を受け継ぐ者となり、左の者は永遠の火に入れられると語ります。

人の願いは、できれば右により分けられる羊でありたいという願いがあります。しかし、この右により分けられた者たちがどのような者であったかと言うならば、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」人たちでした。

ここに示された一つひとつの事がらをキリストの生涯に見ますと、「飢え」とは、キリストがエルサレムに入城したのちに「イエスは空腹を覚えられた」(マタイ21:18)とあります。

「渇き」は、十字架上で「イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。」(ヨハネ19:28)とあります。「旅をしていたとき」とは、キリストの宣教の歩みは、十字架の受難の道でした。「裸のとき」も、十字架上でその衣が引き裂かれ、くじ引きがされた場面を想起します。「病気のとき」とは、その極みである十字架の死を、「牢にいたとき」とは、キリストは裏切られた時、捕らえられ、十字架へと引き渡されていきました。

このように、キリストが語られた「~のとき」というのは、キリストの受難を想起します。そして、これらの時に経験し、体験する痛み、哀しみ、悩みや嘆き、苦しみは、私たち自身も人生の途上で誰もが受ける思いでもあります。空腹という飢えだけでなく、心理的な飢えを覚える時だってあります。孤独な時に、これを解消してくれる何かは無いかという願いがそうでありましょう。

渇きも同様に身体的なことばかりでなく、精神的な事柄としても当てはめることができるでしょう。私たちの旅はある意味で喜びよりも苦しいこと、哀しいこと、辛いことの方が多いように思います。そういう旅路をキリストも歩まれた。

ここに示されている事柄一つひとつが、キリストを指し示すとともに、私たちの命のあり様も示すのです。そういう意味で、キリストは何か超人的で、私たちとは違う方ではなく、私たちと同じであり、私たち一人ひとりと一つであるということに気が付かされます。

そうであるならば、私たちは出会う一人ひとりの内にキリストを見いだします。そうであるならば自ずと「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という最も重要な掟と「隣人を自分のように愛しなさい」というキリストが教えられた二つの掟を全うすることになるのです。

そういう完全さの中に私たちは生きていくこと、今、お一人おひとりの出会う人たちの内にキリストを見いだすとき、それは自ずと完遂されるのです。しかしながら、私たちはこの掟を守ることができません。「あなたに背いた罪のために全世界に散らされて」(ダニエル9:7)しまいました。それは神への背きの故です。ですから、私たちは本来であれば左により分けられる存在でしかありません。これが私たちの現実です。

しかし今日の第一日課の預言にあるように「牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。」(エゼキエル34:12)とあるように、キリストがまさにこの散り々々にされた私たちの魂を呼び戻し、一つの群れとしてくださったのです。

それは、何によってかと言うならば、キリストの十字架の苦難を通してです。罪によって「飢え」「渇き」を覚えながら「旅をし」「裸で」、罪の縄目に囚われている私たちを解放するためにキリストは十字架によって「わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。」という預言を成し遂げてくださったのです。

キリストの救いによらなければ私たちは「永遠の火」によって焼かれ続ける者でしかありません。しかしながら、キリストの十字架によって救い出され、御国を受け継ぐ者とされています。そうであるならば、私たちは先ほど述べましたように、今、自分の出会っている人々、社会や世の中で傷つき小さくされている人々のために生きる生き方にキリスト共にあることを覚えたいと思うのです。

終わりの日の裁きを恐れて何もしない、救われているから大丈夫と高を括るのではなく、もはや生きているのは私ではなく、私の内に生きるキリストと共にあって、キリストの御業を成す者として召されていることを覚え、終わりを目指し、終わりを生きながら、今を生き、キリストの御心は何か、またキリストを隣人一人ひとりの内に見いだす信仰によって歩んでまいりたいと思うのです。

新型コロナウイルスや政治的な混乱、経済状況、教会の宣教の難しさなど色々な困難な状況に私たちはあります。より一層難しい様々な判断を迫られることもあるでしょう。しかしながら、そのような中で、私たちはキリストがそこに居ます。同時に私たちと共に生きておられるキリストの御業、力づけに導かれていることを深く刻みながら、歩み、神の御心を世に顕し、すべての人が、散り々々にされた魂がキリストによって一つとされ、強くされていることを宣べ伝えてまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


9. 信仰告白

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)

10. 献金

11. 教会の祈り


12. 主の祈り(起立)

司式)祈りましょう

全員)天の父よ。

み名があがめられますように。

み国が来ますように。

み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

私たちの犯した罪をお赦しください。

私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

(アーメン)

13. 祝福(起立)

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。



会衆)アーメン、アーメン、アーメン

14. 讃美歌 544番




15.後奏

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