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12月12日(待降節第3主日)の説教

  • ltnishinomiya
  • 2021年12月24日
  • 読了時間: 9分


待降節第3主日

聖書日課

第一日課 ゼファニヤ書 3章14節‐20節 (旧)1474頁

3:14娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。

15主はお前に対する裁きを退け/お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。


16その日、人々はエルサレムに向かって言う。「シオンよ、恐れるな/力なく手を垂れるな。

17お前の主なる神はお前のただ中におられ/勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ/愛によってお前を新たにし/お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

18わたしは/祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。彼らはお前から遠く離れ/お前の重い恥となっていた。

19見よ、そのときわたしは/お前を苦しめていたすべての者を滅ぼす。わたしは足の萎えていた者を救い/追いやられていた者を集め/彼らが恥を受けていたすべての国で/彼らに誉れを与え、その名をあげさせる。

20そのとき、わたしはお前たちを連れ戻す。そのとき、わたしはお前たちを集める。わたしが、お前たちの目の前で/お前たちの繁栄を回復するとき/わたしは、地上のすべての民の中で/お前たちに誉れを与え、名をあげさせると/主は言われる。


第二日課 フィリピの信徒への手紙 4章4節‐7節 (新)366頁

4:4主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。5あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。


福 音 書 ルカによる福音書 3章7節‐18節 (新)105頁

3:7そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。9斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」10そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。11ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。12徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。13ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。14兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

15民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。17そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」18ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。



【説教】聖霊と火による洗礼

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


イエス誕生の時代はイスラエルの人々にとって大変暗い空気が漂う時代でした。今日の出来事において先週に出てきた皇帝ティベリウスの治世は既に晩年に入っていたと考えられています。この時代、皇帝の政敵が親族であろうともことごとく粛清されていました。またイスラエルを統治していたヘロデ大王が死に、その後ユダヤ各地で反乱や暴動が起こっていたのです。


そういう不安定な時代でした。明日自分の命がどうなるか分からないような状況にユダヤ中の人々が置かれていました。ヨハネはそのような思いを抱える民衆に語る言葉がそのことを物語っています。

それは12節からの「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。12徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。13ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。14兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。」という御ことばです。


これは単に何をなすべきかという問いに対する答えではありません。このヨハネの言葉の内には、人々が自分の命のために必死になりすぎて誰かのために分け与えることを止めてしまっている現状を指摘し、徴税人が上がりを取るため規定以上の取り立てをしていることが常習化していることを糾弾し、兵士たちがその立場を利用して弱者をおとしめ、また苦しめていることを明らかにしたのです。


つまり、誰もが自分中心に生きて、自分の欲望を満たすために他者を顧みず、傷つけている状況、そのような状態が一般市民の間でも、お金持ちや、人を守るべき兵士の間でも蔓延っている状況だったのです。

もちろん皇帝や、ローマ属州の統治を任されている王による圧政や、混乱もありましたが、それに乗じて人々同士が傷つけあう状況によってますます人々の心や生活は脅かされ、暗い影を落としていたのです。


そのような中で何の権威も力もない人々は、誰かこのような状況を打破してくれるような人を待ち望んでいましたし、その機運はますます高まるばかりだったのです。そして自ずと民衆はヨハネにかつて預言で語られていたメシア、救い主ではないかという思いを抱くようになっていくのです。

誰とも違う新しい教えを宣べ伝えているヨハネにその姿を重ねて、人間の都合の良いように安易に捉えている心、その期待をヨハネは見抜いていました。


ヨハネはそのような人々に対してハッキリと「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」と民衆に語ります。自分は、水というこの世的な物質でしか洗礼を授けることができない。しかしながら、後から来る方は「聖霊と火」で洗礼を授ける。すなわちそれは天的な御力によって私たちに悔い改めと罪の赦しを与えるのだと証ししたのです。


実際の生活の中で蔓延る不正や、他者を顧みず苦しめる状態、お互いに傷つけあう状況、またそのような暗い雰囲気の中で民衆の心の内に芽生えている自分本位なメシア待望の思いをヨハネ自身感じ取っていました。民衆は神を顧みるのではなく、自分の思いに囚われ、神から心離れていたのです。

そのような人々を「蝮の子」と称し糾弾し、「我々の父はアブラハム」という考え、すなわち神に選ばれた民であるというプライドを断じていき、自分たちが他者にしていることをことごとく糾弾し、暴露して罪を露わにしていきます。


私たちが罪に囚われて、「蝮の子」となってしまっている。創世記に初めて人間が罪を犯したときに罪へと誘うのが蛇です。つまり言い換えるならば私たちは罪の子であるとヨハネは言うのです。そして、人間はその罪を悔い改めていくことそれしかできない。罪の内から生まれて、罪人として生きていくほかない。アブラハムの子孫だから神の救いに相応しい人間だと考えるな。むしろ民衆、徴税人、兵隊たちのどうしたらよいのかという問いに対して、罪を犯し続けている存在でしかないと暴露するのです。


私たちはどうしようもなく罪に囚われています。罪の内に生まれ、罪を背負って生きる者でしかありません。しかしながら、ヨハネは救い主ではありません。彼よりも優れた方が来られ救い出すのです。それがイエス・キリストです。その方は天的な御力をもって私たち一人ひとりに臨んでくださいます。「天的」と言うと何か大事のような感じがいたしますが、その内実は私たちに対する憐み、慈しみであり、愛という一点に集約していきます。


神の愛、これが私たちに注がれるのです。これによって私たちは罪を赦され、神の救いに与かる者とされていく、罪人から造り変えられ、神の御前において義しい者とされていくのです。待降節は悔い改めの時として守ってまいります。しかし同時にこの罪を赦すために来られる方を希望をもって待ち望むときでもあります。滅びるべき私の命が神の御救いの御手によって罪の内から引き揚げられ、永遠の命へと愛によって引き上げられる。そのしるしとして、この神の御業、御心を実現する方が間もなく来られるのです。


神の救いに与かるにふさわしくない私たち一人ひとりが「20そのとき、わたしはお前たちを連れ戻す。そのとき、わたしはお前たちを集める。」とあるように神の御前に集められ、罪の赦しを与えられ、救いに与かるという光栄が差し迫っているのです。この喜びに与かる備えをしていきたいと思うのです。下着に困っている隣人が居れば分け与え、隣人から必要以上を搾取せず、弱められている人々から更に得ようとせず、与えられているものを感謝し、何よりも神の御前において自分自身が「蝮の子」であることを告白し、神の赦しと救いを願い求めていきたいと思うのです。


私を罪の内から救い出す方が間もなく来られます。神の善き知らせ、すなわち神の福音を世に告げ知らせていきましょう。まさに現在私たちが置かれている状況は、当時のユダヤの人々のように暗い影を落としています。将来どうなってしまうのだろうかという先行きの見えない不安が世界中に広がっています。人と人とが信じあえず、奪い合っています。そのような時にヨハネは現れ、キリストの福音を告げ知らせました。


私たち自身、罪の赦しの恵みを与えられる希望に生きながら、同時にこれから生まれ、世に来られるイエス・キリストを通して罪の赦しによる平和と平安がすべての人に与えられています。

「5主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。6シオンに住む者よ/叫び声をあげ、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は/あなたたちのただ中にいます大いなる方。」(イザヤ書12:5、6)とあるように隣人に神から与えられている喜びを力強く宣べ伝え、この世界に主なる神の平和がキリストを通して実現していることを告げ知らせてまいりましょう。

主は近い。主の平安と罪の赦しの喜びが皆さんの上に豊かにありますように。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

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