12月20日(待降節第4主日)の礼拝と説教
- ltnishinomiya
- 2020年12月19日
- 読了時間: 13分
西宮教会の皆さま
主の御名を讃美いたします。
寒波が到来し、北陸や新潟では大雪に見舞われ、高速道路で立ち往生させられるという出来事もありました。すっかり冬本番となりました。
連日新規感染者数が報じられ、西宮市でも直近一週間で100人以上の感染者を出しています。
心配と不安が募るばかりではありますが、礼拝は短縮式文で継続してまいります。
明日は、おひとりの姉妹の洗礼式が執り行われます。どうぞお祈りください。
また、先日愛する姉妹を天に見送りました。どうぞご遺族の上に神様のお慰めがありますようにお祈りください。
礼拝に来られる方は以下のことを厳守していただきますようお願いいたします。
1.検温をお願いいたします。37度以上の方は出席をお断りさせていただきます)
2.手指消毒をお願いいたします。
3.マスクの着用をお願いいたします。ご自身が無症状で罹患されているかもしれないという可能性があることを考慮していただきますようお願いいたします。
4.着席の際には、座席の十字架のしるしがある所にご着席ください。十分な間隔を空けて座りましょう。
今年は24日のクリスマス・イヴ礼拝は18時30分から行います。こちらも短縮式文で行ないます。
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どうぞ皆さんの心身の健康がこれからも主の御守りの内にありますように。
牧師
礼拝式文 待降節第4主日

「受胎告知」 レオナルド・ダ・ヴィンチ/1472年頃/油絵/ウフィツィ美術館蔵
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)
2. 祝福の挨拶
司式)父と子と聖霊のみ名によって 会衆)アーメン
3. キリエ
司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。
司式)キリストよ、憐れんでください。 会衆)キリストよ、憐れんでください。
司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。
4. 主日の祈り
全員)主キリスト。力を奮って来てください。あふれる恵みの力によって、あなたの憐れみを妨げる罪から自由にし、すべての民を贖う愛を喜びをもって届けることができますように。父と聖霊とともに、あなたは永遠に唯一の主です。アーメン
5. 聖書朗読
第一日課 サムエル記下 7章1節‐11節,16節 (旧)490頁
ナタンの預言
7:1王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。2王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」3ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」4しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
5「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。6わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。7わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
8わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。9あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。10わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。11わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。
16あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
第二日課 ローマの信徒への手紙 16章25節‐27節 (新)298頁
神への賛美
16:25神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。26その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。27この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
福音書 ルカによる福音書 1章26節‐38節 (新)100頁 (起立)
イエスの誕生が予告される
1:26六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」29マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。37神にできないことは何一つない。」38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
6. 讃美歌 96番

7. 説教 「救い主が共におられる」 竹田 大地牧師
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
今日は待降節第4主日の礼拝を迎えています。御子キリストのご降誕がいよいよ近いことを覚えます。先週には愛する姉妹荻野眞理姉を天に送る出来事がございました。悲しみも抱える時です。そのような悲しみを覚えますが、今日は礼拝の中で曽賀麻梨子さんの洗礼式も執り行われます。大きな喜びを神は私たちの群れに送ってくださったことも同時に覚えます。
そのような中で与えられている御ことばは、マリアに対する御子キリストの受胎の告知の場面です。大変有名な聖書の出来事です。数々の名画や名曲が生まれています。アヴェ・マリアという曲を皆さんもご存知と思いますが、この曲はまさに今日の御ことばである受胎告知の出来事を元に作られた歌曲です。この告知を受けてマリアが賛美した「マリアの賛歌(マニフィカート)」もバッハをはじめ様々な作曲家がモチーフにしています。このような私たちにとっても、クリスチャンでない方にとってもよく知られたこの出来事からご一緒に神様の御ことばに耳を傾け、神が私たちに伝えようとしている福音が何か聴いてまいりましょう。
マリアはとても若い女性でした。少女と言ってもいいかもしれません。その年齢は15,6歳と言われています。今の私たちであれば、中学3年生か高校1年生の年齢です。そのような若い女性に神のみ使いであるガブリエルが突然現れて「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と告げられるのです。
私たちは出来事の全容を知っていますから、彼女のもとに告げられたこの祝福の言葉について大きな喜びと恵みが告げられていることを知っていますが、マリアにしてみればこの突然の事態に混乱と不安と畏れを抱いたことでしょう。自分には何のことか全く身に覚えのないことだったからです。
彼女がどのような人生を歩んできたかは分かりません。しかし非常に若い時に許嫁を決められ、嫁いでいくという不安は大きかっただろうと想像はできます。当時は珍しいことではないにせよ、彼女はあくまでも市井に暮らす一人の乙女として素朴に生きてきたに違いありません。
夫ヨセフは大工でしたから、きっと彼女の家柄も特段特別な家系でもなかったことでしょう。
そういう自分の生い立ちを考えれば、考えるほど、この出来事は驚きであり、同時に大きな不安、神への畏れを掻き立てられます。果たして自分が「おめでとう」などと言われる所以は何であろうか。しがない、何も持ってもおらず、裕福でもない、特別に素晴らしい素質や地位も無い自分なのにと思っていたに違いありません。
そういうマリアに天使は「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」というとうてい理解しがたく、受け入れ難いお告げを聞くのです。まさに青天の霹靂の言葉です。このニュースはこの時の彼女にとってはバッドニュースです。何故ならば婚姻前の妊娠は、律法によるならば姦淫の罪を犯すことであり、石打ちの刑にあって命も危ぶまれるからです。彼女はこのお告げによってますます窮地に立たされ、肉体的にも、心理的にも、そして信仰においても危機を迎えるのです。
神の喜ばしい言葉、これを福音と言いますが、その福音が彼女を窮地に立たせ命に関わる大問題となるということは本末転倒なことのように思います。
しかしながら、このマリアが経験したあらゆる面での危機は私たちにも人生の途上で訪れることです。今週は特に愛する姉妹を天に送りましたから、悲しみがあります。また病を負っているのであれば、痛みを肉体にも受けますし、病は心も蝕みます。
親や家族の介護に疲れを覚える。これも肉体的、心理的な痛みや傷を覚えます。
今年は新型コロナウイルスのことを抜きにして語れませんが、この病も私たちを大いに苦しめ、不安に陥れています。医療関係者の方々の疲弊した姿、飲食店や販売店の方々の不安も連日報じられています。
そしてこれらの私の人生の途上で味わわねばならない苦難や困難は、信仰においても大きな痛みと傷、それによる嘆きを覚えさせ、恐れと不安に陥れることもあります。
私の経験からお話しさせていただけるならば、学生時代大いに私は迷っていました。将来のこと、当時の自分自身のことなど複雑に入り組んでいて、いま思うととても悩んでいたようです。そのような中で牧師の召しを初めて神から受けた時、私は自分のこの出来事に畏れと不安を覚えました。「神様ホンマですか」「なんで僕なのですか」という思い、また「嫌だなぁ」「この道に行きたくないなぁ」という思いすら持っていました。
これは私の個人的な経験ですが、誰しもが自分に起こった出来事に対してマリアや私が思うような経験をしてきた方はあると思います。信仰的な出来事でなくとも生い立ちの中で問いをもってその出来事に臨むことはありましたし、そのことで深く悩み、傷つき、痛みを覚え、嘆きが溢れ出てきてしまうことはあります。この不安に取り憑かれ、恐れを抱く人間の弱さを神はご存知です。
今日、私たち西宮教会の群れに与えられる姉妹もきっとこれからの信仰生活、そして人生の様々な岐路や、出来事に出会うときに際して様々な思いを抱いて生きていかれることでしょう。しかしながら、そのような私たちが抱える不安を覚える前に神は私たちのもとに現れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」という祝福をもって臨んでくださるのです。
あなたの弱さや不安を私は知っている、あなたに悩みや嘆きがあることを知っている、あなたが弱さを抱えていることを知っている。罪に勝てないことも知っている。死に打ち克つこともできないことを知っている。あなたのことをすべて知っている。この神が私たち一人ひとりに臨んでくださりまず、「おめでとう、恵まれた方」としてくださる。決して恵まれているように思えない自分であっても神は私が恵まれていると宣言されるのです。
なぜ恵まれているのでしょう。それは「主があなたと共におられる」からです。私たちは主によって「恵まれた方」としての命を与えられているのです。この世の何か秀でているからではなく、主が共に居ることによって私たちは恵みの内にあるということをみ使いはマリアに、そして私たちに告げています。
そして、この「主が共に居る」ことのしるしとして御子イエスが与えられるのです。キリストのご降誕によって私たちはこのみ使いの祝福が真実であり、私の命が主イエス・キリストによって悩み、嘆き、苦しみ、不安から解放されるのだということを知る者とされるのです。
新しい命のしるしを与えられる洗礼式をこの後にいたしますが、そのしるしはこの「主が共に居る」ということのしるしです。この御ことばを通して、そして洗礼式を通して、キリスト者となられる姉妹も、既にキリスト者としての歩みを歩んでいる方も、これから導かれていく方も、この見えない御ことばの恵みである福音と、今日は見える御ことばの出来事である洗礼を通して主が共に居られるという恵みを覚えてまいりましょう。
そして、この約束によってか弱く、何もないマリアが御子キリストをその胎内に宿し、産むという不安と苦難に満ちた歩みを「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」という思いをもって受け止め、主に委ねたように、私たちも主が共にあるという強さを信じ、人生の歩みを主に委ね。「この身に成りますように」という誠実な祈りと思いをもって神の出来事に応えてまいりましょう。
今日洗礼を受ける姉妹の上に「神が共におられる」という確信が与えられ、その出来事にまみえる私たちもまた姉妹に与えられた出来事、今日のマリアに与えられた出来事を通して「主が共におられる」というこの恵みを覚え、畏れと不安を抱く者ではありますが、御子イエスを通して与えられる光を目指して、主に委ねて歩んでまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
8. 信仰告白 (起立)
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。
そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
9. 洗礼式
9-1 勧め
9-2 祈り
9-3 聖書
9-4主の祈り
司式)キリストが教えてくださった祈りによって祈ります。祈りましょう。
全員)天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせ給え
御国を来たらせ給え
御心の天に成る如く地にもなさせ給え
我らの日用の糧を今日も与え給え
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く
我らの罪をも赦し給え
我らを試みに遭わせず悪より救い出し給え
(国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり)
(アーメン)
9-5 宣言
9-6 授洗
9-7 受洗者のための祈り
9-8 新しいしるし
9-9 教会員への勧め
10. 聖餐式
10-1 聖餐の歌 206番(1節、5節)

10-2 設定
10-3 配餐
10-4 祝祷
11. 献金
12. 教会の祈り
13. 祝福 (起立)
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。
父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)アーメン、アーメン、アーメン
14. 後奏
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