主の御名を讃美いたします。
2020年最後の主日となりました。
この一年間、新型コロナウイルスによる礼拝の自粛、短縮式文での礼拝、ライブ配信など私たちの生活が一変したように信仰生活においても大きな変化を強いられる一年となりました。
そのような中であっても神様の御ことばによって信仰が導かれてきたことを想い起し、神様に感謝いたします。
また、皆様の様々なお支え、お働きにも感謝申し上げます。
明日も10時30分から短縮式文で礼拝を実施いたします。
既報の通り、2021年の新年礼拝は中止いたします。
どうぞ皆さまご安全にお過ごしください。
明日の礼拝に出席適わない方々も居られることと思います。どうぞよいお年をお迎えください。
礼拝に来られる方は以下のことを厳守していただきますようお願いいたします。
1.検温をお願いいたします。37度以上の方は出席をお断りさせていただきます)
2.手指消毒をお願いいたします。
3.マスクの着用をお願いいたします。ご自身が無症状で罹患されているかもしれないという可能性があることを考慮していただきますようお願いいたします。
4.着席の際には、座席の十字架のしるしがある所にご着席ください。十分な間隔を空けて座りましょう。
フェイスブックの配信をご覧になられる方は以下のリンクを選択してご覧ください。
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YouTube(ユーチューブ)の映像をご覧になられる方は以下のリンクを選択してご覧ください。
https://www.youtube.com/channel/UCzbeaT4xiANne1wCKYqhUzg?view_as=subscriber
どうぞ皆さんの上に御子のご降誕の喜びと平安がありますようにお祈りしています。
牧師
礼拝式文 降誕節第1主日 1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって 会衆)アーメン 3. キリエ 司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。 会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。 4. 讃美唱 148編 148:1ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。 2御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。 3日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。 4天の天よ/天の上にある水よ主を賛美せよ。 5主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。 6主はそれらを世々限りなく立て/越ええない掟を与えられた。 7地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ 8火よ、雹よ、雪よ、霧よ/御言葉を成し遂げる嵐よ 9山々よ、すべての丘よ/実を結ぶ木よ、杉の林よ 10野の獣よ、すべての家畜よ/地を這うものよ、翼ある鳥よ 11地上の王よ、諸国の民よ/君主よ、地上の支配者よ 12若者よ、おとめよ/老人よ、幼子よ。 13主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く/威光は天地に満ちている。 14主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。 司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、 会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン 5. 主日の祈り 全員)全能の神様。あなたは人を奇しき業によって創り、更に奇しき業によって贖ってくださいました。人と同じ姿をとられた聖なる命、イエス・キリストをたたえる私たちを導き、憐れんでください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 6. 聖書朗読 第一日課 イザヤ書 61章10節‐62章3節 (旧)1162頁 61:10わたしは主によって喜び楽しみ/わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ/恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ/花嫁のように宝石で飾ってくださる。 11大地が草の芽を萌えいでさせ/園が蒔かれた種を芽生えさせるように/主なる神はすべての民の前で/恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。 シオンの救い 62:1シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず/エルサレムのために、わたしは決して黙さない。彼女の正しさが光と輝き出で/彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。 2諸国の民はあなたの正しさを見/王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。主の口が定めた新しい名をもって/あなたは呼ばれるであろう。 3あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり/あなたの神の御手の中で王冠となる。 第二日課 ガラテヤの信徒への手紙 4章4節‐7節 (新)347頁 4:4しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。5それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。6あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。7ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。 福音書 ルカによる福音書 2章22節‐40節 (新)103頁 (起立) 神殿で献げられる 2:22さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。 25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。 30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 31これは万民のために整えてくださった救いで、 32異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」 33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 36また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、37夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、38そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 ナザレに帰る 39親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。40幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。 7. 讃美歌 146番(教会讃美歌)
8. 説教 「慰めの時、主の救いを見たからです」 竹田 大地牧師
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
御子イエスのご降誕を喜ぶクリスマスをお迎えし、私たちは降誕節という時を過ごしています。神の御子のご降誕を通して示された救いの出来事を覚えながら過ごす時が与えられています。そのような中で与えられた御ことばは、いわゆるシメオンの賛歌と言われる賛美の元になった聖書の出来事です。今は、短縮式文で歌う機会が減ってしまいましたが、「いま私は主の救いを見ました♪」と救いに与ったことへの喜びを顕す美しい信仰者の歌です。
この出来事を通して私たちに神が語り掛ける福音の恵みを共に聴いてまいりましょう。
さて、まず私たちが今日着目したい点は冒頭の「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」という御ことばです。この一連の事がらは、実は二つのことが混在しています。というのは、子どもを産んだ後、女性は男児を出産した場合には33日間、女児を出産した場合には66日間を清めの期間とし、聖なるものや聖所に詣でてはならないと律法で定められていました。清めの期間が終われば定められた献げ物を献げなければなりませんでした。(レビ記12:2-8)そして、もう一つ人であれ、家畜であれ初子は、神殿に献げるように律法で決められていました。家畜の場合は焼き尽くす献げ物として、人であれば「銀五シェケル」を贖い金として支払う規定があったのです。(民数記18:16)
いずれにしても、イエスの家族もユダヤ教徒でしたから律法に従い、マリアの清めとイエスを贖ってもらう必要があると信じ、行なっていたのです。それは、言うなれば今日の第二日課で「律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」と証されているように、救い主であり、真の神の御子である方、律法を完全に全うしている方が、人の間に宿り、生きた方であり、律法の下に降ってきたことを顕します。
キリストご降誕の恵みは、まずもって神である方が私たちを救うために来られたということです。何から救うためかというならば、罪から救い出すためです。この救いによって私たちは神の子としての命を受け、神の相続人とされる驚くべき御手の業に与かっているのです。本来であれば、私たちは律法の下にありますから、完全に義しくあることはできません。律法を完全に守ることなど誰もできないのです。「律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」と証されている通りです。
そのような人間の罪の姿を露にする律法の下にイエスは降って来たのです。神の子であるのですから、その御力を振るえば救いは簡単に成し遂げられるはずです。しかし神はそうされなかったのです。なぜならば、神は人の罪を贖うために来られたからです。神御自身が人の罪を負うことにこそ救いの恵みがあるからです。
ただ赦すのではなくて、神は私たちの罪から来る、罪の内にあって滅びるしかないという不安や恐れ、律法を完全に守ることのできない嘆きや悩み、律法によって人が死に向かっているという哀しみを「イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。」(34節)とあるように露にするために来られたのです。
しかし、それによって私たちを滅ぼすのではなく、私たちの罪の姿を露にすると同時にこれらの私たちが負う全てをその身に負い、担いすく出すために神は降ってきたのです。そこには、私たち一人ひとりに対する完全な共感があります。私のこの思いをご存知の方が、この私の思いを担ってくださるために来られたからこそ、救いは光に溢れ、命に溢れ、恵みに溢れ、神への信仰を強くするのです。
このために来られた救い主御子イエスとの出会いを私たちは与えられています。シメオンもアンナも年を取っていました。死が近い年齢です。死は平等にやってきますが、年を経ると余計にその闇が迫ると不安が募ります。それがいつなのかという思いに囚われます。そのよう中で私たちのために死の根源である罪を赦し、贖いたもう方が来られたことを知らされ、彼らは心からの平安に満たされ、喜びの讃美の声を上げました。
この平安の源であり、罪と死の力に打ち勝つ方が神から与えられています。罪人にすぎず、死に向かうしかなかった私の命であるにもかかわらず「わたしは主によって喜び楽しみ/わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ/恵みの晴れ着をまとわせてくださる。」(イザヤ61:10)と預言にあるように、神が救いの衣を着せてくださった。恵みの晴れ着をまとわせてくださったのです。
神の御手によって、御業によって私たちの命が救いへと導かれています。私が義しいから、律法を全うしているからではなく、神が私のために具体的に働いてくださっているのです。そのしるしが御子キリストであり、この御子キリストとの出会いによって私たちはこの平安の確信を与えられます。
このシメオンの出来事を元にバッハの作曲したカンタータに「Ich habe genug(我は満ちたり)」(カンタータ82番 BVW 82)という楽曲があります。バスソロの美しい歌です。楽曲全体の曲調もですが、5番のアリアの歌詞には「喜ばしき死よ来たれ、死よとくわれに訪れよ。世の煩いより解き放たるるを得ん。わが身の縄目より」(東京バッハ合唱団HPより 原詞:作者不詳 訳詞:大村恵美子)とあります。
死を私たちは避けてしまいます。しかしながら、御子イエスとの出会いを与えられた者の平安とは、罪と死の恐れから解き放たれ、もはや死は死でなくなるという究極の平安の確信が与えられるのです。死の縄目から解かれ、真の自由とされ、この方にこそ救いがあるという信仰に生きる恵みを私たちはシメオンの姿から教えられます。
今、私たちの世は、新型コロナウイルスによってより一層死が近く忍び寄っているように感じます。大切な人を傷つけないように会いたくても会えないというもどかしさ、電車や街中で隣の人に対する疑心暗鬼など死から齎される様々な恐れや不安に囚われていると言っても過言ではありません。この恐れを取り払う方が来られたのです。この病がなくなるということではありません。しかし、たとえ死が迫っていたとしても、この死がただ私を滅ぼし無にするのではなく、キリスト共にあって、真の平安へと導く死であることを知らされているのですから、死の力は滅ぼされているという確信に基づく平安です。
そして、逆に言うならば、この死への平安が与えられているからこそ、今与えられている命を大切にしていき、この病の蔓延を防ぐことや、隣人への思慮と配慮、愛へと促すのです。死が怖くないから無関心に、何でもしていいということではなく、神の愛を実践する者へと造りかえてくださるのです。
シメオンやアンナは、この平安と神の愛によってもたらされる喜びと恵みの思いを讃美の声を合わせて、栄光を神に帰しました。真の救い主が来られた、死は滅ぼされている。真の平安が与えられている。だからこそ互いに命を大切にし、励まし合い、慰め合い、祈り合い、神の御業を称える者とされました。滅びゆく身を案じるのではなく、死は滅ぼされたという福音を宣べ伝える者とされました。
私たちは新しい年を間もなく迎えます。今年は本当に悩みと苦しみ、嘆き、哀しみが世の中全体を蔓延しています。そのような中で真の救い主が私のもとに来てくださっているという福音がどれほど重要かということを噛みしめます。ですから、私たちはこの福音の恵みに与かった者として、御子ご降誕の喜びを覚え、主を讃美しながら、ご一緒にこの暗闇が迫っている世に神の栄光と死は滅ぼされ、私たちの命は死の縄目から神によって解き放たれ、救いの衣を着させていただいているという救いの御業を証してまいりましょう。すべての人に神の救いが臨み、平安が与えられているという希望を証してまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
9. 信仰告白 (起立)
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。
そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
10. 献金
11. 教会の祈り
12. 主の祈り
司式)祈りましょう
全員)天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
(アーメン)
13. 祝福 (起立)
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。
父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)アーメン、アーメン、アーメン。
14. 後奏
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