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2月21日(四旬節第1主日)の式文と説教

主の御名を讃美いたします。


先日の水曜日に灰の水曜日を迎え、教会暦は四旬節(レント)を過ごしています。

寒暖差が激しく、体調管理も難しい季節となっています。まさに「三寒四温」とは言い得て妙という季節を過ごしています。

同時に、私たちは先にも述べましたように四旬節(レント)を過ごしています。この期間は、イエス様の十字架への道程を覚えていきます。

イエス様がなぜ十字架に架かって死ななければならないのか。十字架に示される神様の御心は何か。日々の御ことばから聴きながら深沈し、黙想と祈りをもって過ごします。

また、この期間は、伝統的には受洗の準備の時として過ごします。

新しい命のしるしを受ける準備の時として過ごすわけですが、皆さんもぜひご自身が受洗をされた時のことを思い出すとともに改めて洗礼の恵みを覚えていただければと思います。

いずれにしても神様への悔い改め、神と人との前において慎ましく過ごし、イエス様の十字架を見つめながらご一緒に御ことばに聴きながら歩んでまいりましょう。


引き続き教会に集っての礼拝は自粛を続けてまいります。非常に寂しく、悲しい思いを抱きます。司式や説教をしていても個人的に味気ない日々が続いていますが、ご一緒にもう少しの辛抱をしていきましょう。


この日もオンラインでの中継をいたします。

以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリックしていただければご覧になれます。 それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。 日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube


礼拝式文 四旬節第1主日

1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって   会衆)アーメン 3. キリエ  司式)主よ、憐れんでください。       会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。   会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。       会衆)主よ、憐れんでください。 4. 主日の祈り 全員)聖なる神様・天の父よ。あなたはノアたちを洪水から救い、荒れ野の誘惑から御子を守られました。洗礼の賜物によって私たちを新たにし、天使たちが共にいて、悪しき敵が私たちに力を振るうことができないようにしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 5. 聖書朗読 福音書 マルコによる福音書 1章9節‐15節 (新)61頁 イエス洗礼を受ける 1:9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。10水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。11すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 誘惑を受ける 12それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。13イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。 ガリラヤで伝道を始める 14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。 6. 讃美歌 335番


7. 説教 「十字架への備え」 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 今日から四旬節の礼拝をご一緒に守ってまいります。イエス・キリストの十字架への道程を覚えながら、何故に神の御子であるイエス・キリストが罪を負わせられ、十字架に架かって死ななければならなかったのかを黙想し、祈り、心静かに過ごす時が与えられています。 その始めの時に与えられている福音は、キリストの洗礼と誘惑を受けた場面からです。この与えられている福音を通して、ご一緒に四旬節にある神の御心に聴いてまいりましょう。 この四旬節の始めの主日、私たちに迫ってくる言葉は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というイエスのご命令であり、御ことばです。先ほども申し上げましたように四旬節はイエスが十字架へと歩まれるその一歩一歩を覚えていく日々として過ごしますが、イエスが十字架に架かって死ななければならなかったのは何故か。そこが大きな問題です。 そこでイエスの荒れ野での誘惑の記事から思い巡らしてみますと、私たちの人生はまさに荒れ野の様でもあります。決して順風満帆、なだらかな日々とはいきません。事の大小はありますが、波があり、山があり、谷があります。そして、その中で悪魔は、罪へと招き入れる力によって、神から離れさせようとします。私たちは試練や苦難が起こると神を疑い、呪ってしまいます。神の方へと真っすぐに進めなくなるのが人間の常であり限界です。 そういう弱き者でしかない人間の姿をこのキリストが受けられた誘惑と伝道開始の場面で露にされているのです。私たちは神の方へと自分の力では向くことができない存在でしかない。しかし私たちはつい自分で義しくあれる、天国へ歩むために頑張れば大丈夫と考えてしまいがちです。そのように考える背後には、現代の成果主義的な考え方が私たちの頭の中にあるからです。勉強を一生懸命すればいい学校に入って、良い会社に入れると言われてきました。また、いかに何かを生み出し、人の役に立つことが素晴らしいことだとも言われています。 しかしながら、先ほどから述べているように私たちは神の御前において義しくなどあれない存在です。もし神が成果主義者であれば私たち人間は誰一人神の御許に行くことはできないでしょう。即ち、私たちは誰一人救われないと言えます。しかし神は裁き主であり、憐みと慈しみに富たもう神です。そのような罪深く、義しくない私を「正しくない者たちのために苦しまれ」「神のもとへ導くため」(一ペトロ3:18)にキリストは私たちのもとに来られ、私たち一人ひとりを救い出すためにお働きくださっているのです。 このお働きのためにキリストは私たちに福音を語ってくださっているのです。私の力ではなく、罪深い自分を深くとらえ、自分が罪人でしかない、誘惑に勝てず悪へと歩んでしまうしかない弱い私、つい成果主義に陥って自分を義しい者と驕り高ぶってしまう私、そういう私を神に委ね、悔い改めていき、イエスの福音を信じていくことの大切さを教えてくださっているのです。 かつて私たちは自らの驕り高ぶりと、堕落のゆえに水で流されました。ノアの洪水は私たちの罪に対する神の裁きを顕します。しかし同時に神は私たちとの間に「水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。」その契約のしるしとして虹を与えられました。そして、水はむしろ私たちの罪を贖う恵みのしるしとなりました。 滅ぼした水が恵みのしるしとなり、死と罪の象徴である十字架が、私たちの救いのしるしとされたように、ことごとに私たちは神の転換によって生かされています。この神の大胆な御救いの御手の内に私たちはあります。自分ではどうしようもできない罪の深さ、闇、苦しみ、悲しみが捉えて離さない中で、神は来られ、その罪を悔い改め、福音を信じる信仰によって生きるのだと語り掛けてくださるのです。 私が行うことによってではなく、福音を信じる信仰によってのみ救いに至る道を私たちのために神は開かれているのです。古の信仰者は、「あなたに望みをおく者はだれも/決して恥を受けることはありません。」(詩編25:3)と告白しているように神こそ救い主であるという信仰に生きることによって私たちには望みがあるのです。だからこそ、私たちは改めてこの四旬節の始めの時にあって、自分の罪を見つめ、心からの悔い改めを神に向け、そこから語られる御ことば、福音を信じ委ねていきたいと思うのです。 そして、福音が指し示すのは常に十字架であると先週にもお話ししましたように、この与えられた時の中で十字架を見つめ、十字架に隠されている神の救いの御光と、神が罪に勝利してくださっている栄光を仰ぎ見ていきたいと思うのです。十字架を見上げ、キリストの御ことばに耳を傾け、心静かに福音に耳を傾け、十字架への備えの時が与えられています。 十字架への備えとは、悔い改めと福音を聴くことなのです。与えられている四旬節の間、どうぞお一人お一人が聖書の御ことばに親しみ、そこから与えられる神の御心に心を向け、今、私に与えられていることは何か聴き、問い、神との親しい交わりの内に生きながら、「主よ、あなたの道をわたしに示し/あなたに従う道を教えてください。」(詩編25:4)と古の信仰者が祈り求めたように真摯に神に義しい道が何かを求め、十字架の恵みを信仰によって豊かに受け取っていくことができるように過ごしてまいりましょう。 キリストの十字架を通して与えられる恵みが豊かに皆さんの上にありますように。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 8. 信仰告白 (起立) 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン) 9. 献金 10. 教会の祈り 11. 主の祈り (起立) 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン) 12. 祝福 (起立) 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。

13. 後奏

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