top of page
ltnishinomiya

2月26日の説教(灰の水曜日)

「私を見ておられる方」

主日の祈り

永遠に生きておられる全能の神様、あなたはお造りになったものを何一つ憎まず、悔い改めた罪人を赦してくださいます。私たちの内に清い心を造り、心から罪を悔い改め、神の憐れみと赦しを御子から受け取らせてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


詩編唱 詩編 51:3-19

3神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。

4わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。

5あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。

6あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。

7わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。

8あなたは秘儀ではなくまことを望み/秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。

9ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。

10喜び祝う声を聞かせてください/あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。

11わたしの罪に御顔を向けず/咎をことごとくぬぐってください。

12神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。

13御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。

14御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。

15わたしはあなたの道を教えます/あなたに背いている者に/罪人が御もとに立ち帰るように。

16神よ、わたしの救いの神よ/流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。

17主よ、わたしの唇を開いてください/この口はあなたの賛美を歌います。

18もしいけにえがあなたに喜ばれ/焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら/わたしはそれをささげます。

19しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。


本日の聖書日課

第1日課:ヨエル書2章1‐2節、12節‐17節 (旧)1422頁

2:1シオンで角笛を吹き/わが聖なる山で鬨の声をあげよ。この国に住む者は皆、おののけ。主の日が来る、主の日が近づく。

2それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。強大で数多い民が/山々に広がる曙の光のように襲ってくる。このようなことは、かつて起こったことがなく/これから後も、代々再び起こることはない。

12主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ/断食し、泣き悲しんで。

13衣を裂くのではなく/お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く/忍耐強く、慈しみに富み/くだした災いを悔いられるからだ。

14あるいは、主が思い直され/その後に祝福を残し/あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を/残してくださるかもしれない。

15シオンで角笛を吹き/断食を布告し、聖会を召集せよ。

16民を呼び集め、会衆を聖別し/長老を集合させよ。幼子、乳飲み子を呼び集め/花婿を控えの間から/花嫁を祝いの部屋から呼び出せ。

17祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き/主に仕える者は言うがよい。「主よ、あなたの民を憐れんでください。あなたの嗣業である民を恥に落とさず/国々の嘲りの種としないでください。『彼らの神はどこにいるのか』と/なぜ諸国の民に言わせておかれるのですか。」


第2日課:第2コリントの信徒への手紙 5章20節b‐6章10節 (新)331頁

5:20bキリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。21罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。6:1わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。2なぜなら、/「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。3わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、4あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、5鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、6純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、7真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、8栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、9人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、10悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。


福音書:マタイによる福音書6章1節‐6節、16節‐21節 (新)9頁

6:1「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

2だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。4あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

5「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

16「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。17あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。18それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

19「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。20富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。21あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」


【説教】

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるよう に。


 詩編51編の言葉に「7わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。」という告白がされています。つまり、私たち人間は、生まれながらにして罪の内に生きるほかないという真実を告白しているのです。


 エフェソの信徒への手紙にも「わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」(2:3)とあるように本来であれば私たちは、神の怒りを受ける者でしかないのです。そして、その結果は「死」でしかありません。


 私たちは死すべきものでしかないのです。そして、そのような者の行いを神は喜ばれません。どんな善いと思われる行いをしたとしてもそれを神は受け取らないのです。また、それが私たちの救い、助けには何の役にも立たないのです。それほどまでに罪の力は私たちを支配し、死の闇に誘い、呑みこんでしまうほど強大なのです。そして、その力に勝つ術を私たちは知りません。


 アダムの子カインは、弟アベルを殺害したことを神に咎められたとき、「わたしの罪は重すぎて負いきれません。」と神に告げています。これは、私たち一人ひとりに言えることです。私たち自身の罪もまた重すぎて負いきれるものではないのです。その罪の重さに圧し潰され、殺されるほかない存在でしかないのです。


 そのことを私たちはこの四旬節のはじめの日に覚えます。この後、塵を受けますが、その時に司式者から塵の十字架と共に受ける言葉は「あなたは塵から造られたのだから、塵に返ることを覚えなさい」という言葉です。初めの人アダムが塵から象られ、神の息を吹き込まれて生きる者となったように、私たちは、本来であれば塵でしかない。何ものでもないのです。


 創造の御業で示されたように、神の息吹なしには生きることができない存在でしかありません。それを驕り高ぶり、時には自分がキリスト者であることさえ驕ります。教会の内外において自分の立場や、先に生まれた、後に生まれたなどつまらないことを振りかざす人間も居ます。しかしながら、私たちは等しく塵でしかない。何もなすことも、何かを遂げることもできない、吹けば吹き飛ぶような者でしかないのです。


 その私に神はご自身の息吹を送り、生きる者としてくださったのです。たったの一息です。しかしながら、この一息が私たちを命の輝きに溢れさせ、真に生きる者としてくださったことを覚えていきたいのです。私たちは神無しには生きることは決して適わないということを覚えていきたいと思うのです。


 そして、神はそのしるしとして主イエスを私たちのもとに遣わしてくださいました。この方が、塵に過ぎないにもかかわらず、驕り高ぶり、罪を犯し続ける私たちの重すぎて担いきれない罪を、代わりに負ってくださり、十字架の上で死んでくださったのです。あの方の死は、私たちの罪のゆえです。その罪を赦すために主イエスは、この四旬節の時、一直線に十字架へと歩み始めるのです。


 イエスが十字架に架かられたのは、私の罪のゆえであったことを心に留めていく40日間です。悔い改めを神はご覧になっています。そして、赦しの恵みである十字架を与えてくださいます。十字架に示されているのは、私の罪であることを教えてくださっています。私たちが十字架を見上げるのは、神の救いと私の罪を見つめるためです。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ」と神が語られるように、神の方へと向き直る時、私の罪が露わにされます。


 神である主イエスが重すぎて負いきれないその私の罪を担うためにいまエルサレムへと向かわれます。罪人の私の同伴者としてではなく、神の御子であるにもかかわらず私に代わって罪人の当事者となられる神が在るということを教えられます。そのことを覚えながら、私たちはイエスの十字架の姿に私の罪が打ち付けられていることを深く自覚し、その罪を告白し、悔い改めていきたいと思うのです。


 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

閲覧数:2回0件のコメント

Comments


bottom of page