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ltnishinomiya

2月7日(顕現後第5主日)の式文と説教

主の御名を讃美いたします。


寒波が到来し、寒暖差の激しい季節となっています。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言もなかなか出口が見えず、見通しが立ちません。

エッセンシャルワーカーの方々が、飲食関係の方々、それに伴うお仕事の方々にとって不安の募る状況が続いています。

ワクチンについても当初の予定よりも遅れ気味になってしまっています。

どうぞ皆さんで祈りを合わせて一日も早い収束を祈ってまいりましょう。


明日の礼拝も引き続き自粛期間中となりますので礼拝堂に集うことは適いませんが、オンラインでの中継を行っています。

以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリックしていただければご覧になれます。

それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。




礼拝後には、録画を掲載いたします。

赤丸の部分をクリック(選択)していただくとリストが出てご覧になりたい画像を選択するとご覧になれます。

皆さんの上に神様の恵みが豊かにありますように。


牧師


礼拝式文 顕現後第5主日




1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)


2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって  会衆)アーメン


3. キリエ 

司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。


4. 主日の祈り

全員)永遠の神様。あなたは弱い者を強くし、よろめく人を支えてくださいます。あなたの癒しと健やかな命の使者として、世界の隅々にまで良き訪れを知らせるために、私たちをお遣わしください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


5. 聖書朗読

福音書 マルコによる福音書 1章29節‐39節 (新)62頁

多くの病人をいやす

1:29すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。30シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。31イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。32夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。33町中の人が、戸口に集まった。34イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。


巡回して宣教する

35朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。36シモンとその仲間はイエスの後を追い、37見つけると、「みんなが捜しています」と言った。38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」39そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。


6. 讃美歌 217番




7. 説教 「福音のために」 竹田 大地牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


キリストの宣教の業について示されている福音から聴いています。キリストは、一つのところに留まるのではなく、「ガリラヤ中の会堂に行き」宣教をされました。そして、キリストは宣教をするために来られたとはっきりと弟子たちに告げています。


キリストの元にはたくさんの病人や悪霊に取りつかれてる人々がやってきました。それは、すなわち当時のユダヤ社会の中で、普通に生きることが許されずに生きねばならなかった人々です。病であれ、悪霊に取り憑かれた状態であれ、宗教の観点からその人を見つめるならば、穢れた状態だったからです。


そして、この穢れた状態であるということによって信仰の観点から見るならば、神の救いに与かることのできない状態です。どんなに自分が神の救いに与って平安を得たいと願ったところでそれが叶わない状態です。また、社会生活においても穢れているが故に市井の人々と交流することを許されず、社会の中から弾き出されている状態です。

この両面から病、悪霊に取り憑かれている状況に置かれている人々は、その存在意義が消失し、生きながらに死んでいるような状況にあったということを示すのです。


今、新型コロナウイルスによって私たちの存在意義が問われています。今まで当たり前だと思っていたことが問い直されています。例えば、会社に行って働くということが当たり前でしたが、それは当たり前ではなくなりました。その他にもたくさんのことが覆り、今まで当たり前にしていたことが何であったのかと思わされます。

多くの人々が大小はあるかと思いますが、自分の存在が問い直され、戸惑いの中に置かれていると思わされることがたくさんあります。


そのような中で私たちは、神の方へと向かって歩むことによって救いへと至る、またそこに安心を得たいとつい考えてしまいます。様々な学び、礼拝の中で信仰のみによって救いに至るということを聴きながらも、どうしても私たちは行い、自分の思いが先行してしまいます。神の御心よりも自分なりの思いが先行してしまうのが常です。


教会の中においても奉仕を一生懸命することは確かに大切なことですが、潜在的にその人の方が素晴らしい人という意識が全体を覆っています。それは、やはり先ほど申し上げたように私たちが意識していようと、無意識であろうとたとえ教会であっても自己保存に陥っている姿です。そうして他者を顧みることができなくなり、神に近づくことが救いへの道であり、いかに自分がどうあるかという考えに至ってしまうのです。


今日の福音においても弟子たちは一人で祈られているキリストに「みんなが捜しています。」と言います。評判のいい状態の今を大切にして、自己保存に走っている姿を垣間見ます。しかしキリストは、「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。」と語られているように、キリストは逆に自分のよい状況や状態に留まるのではなく、さらに歩みを進めてその先にある苦しみや悩みを負っている人々のもとに出かけようとします。


それは神ご自身が私たちに近づこうとしている姿を映し出します。キリストによる宣教の中心は神を示す事であります。しかしその内実は、神の真理を顕すことによってすべての人を困難から引き上げてくださっている姿です。自分の存在意義が揺れ動き、喪失されている中に神が来られ、手を取り引き上げるためにキリストは私たちのところに来てくださったのです。


そのためにキリストは自己保存をするのではなく、次から次へと出かけていくのです。その行きつく先が十字架の死という破滅のように映る出来事であっても、それがすべての人を救うためであるならば、そこへと踏み出していく。それが神の御心ならば、徹底的に神の思いに従い、応えていく姿をキリストに見ます。


ですから、私たちは改めて自分自身を見つめ、自己保存に陥っているところはないか、与えられた恵みや御心に対して本当に従って生きているか問い直さなければならないと思います。それはある意味で今までやってきたこと、安定していることを止めるという決意も伴うことかもしれません。


新型コロナウイルスは、私たちに対して命の危機をもたらしていますが、同時に教会が教会として今、この時にあって今までしてきたことを問い直し、自己保存に陥って、「近くのほかの町や村へ行こう。」というキリストの声に抗ってしまっていないか、宣教と言いながらも留まっていないか確認しなければならないと思うのです。


この時季になると総会を私たちは迎えます。新しい一年の宣教について共に考える時が与えられます。そのような中で「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」というキリストの御ことばに従っていきたいと思うのです。

そして、何よりも大事なことは、その宣教の道程にあってキリストは祈りと共に歩まれたことです。私たちもまた祈りと共にキリストの呼びかけにどう応えていけばいいのか祈りをもって歩んでいきたいと思います。宣教と祈りはセットです。祈りを通して神の御心に聴くことによってビジョンが与えられるからです。


次の町で、所で出会う人を想像しながら、私たちが今なすべき事柄が何か、教会員おひとりおひとりのために、社会のために、地域のためにやるべきことは山積みですが、それに臆して留まるのではなく、「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」とパウロの決意に示されているように福音の使徒として召されている働きに全力でご一緒に神の御心に聴きながら歩んでまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


8. 信仰告白 (起立)

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)


9. 献金


10. 教会の祈り


11. 主の祈り (起立)

司式)祈りましょう

全員)天の父よ。

み名があがめられますように。

み国が来ますように。

み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

私たちの犯した罪をお赦しください。

私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

(アーメン)


12. 祝福 (起立)

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。

会衆)アーメン。アーメン。アーメン。


13. 後奏


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