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  • ltnishinomiya

3月21日(四旬節第5主日)の式文と説教

主の御名を讃美いたします。


土曜日は暖かな一日となりました。春の雨も心地が良いですね。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。私は、スギ花粉よりもヒノキ花粉の方が花粉症の症状が出るので難儀をしています。病院で処方してもらったのですが、なかなか仕事に集中するのが大変で困っています。


明日は、10時30分から礼拝堂に集う形での礼拝をいたします。

どうぞ皆様気をつけてお越しください。健康や、移動に不安をお覚えの方はどうぞご無理をなさらないでください。

礼拝は引き続き短縮式文での礼拝となります。 ご来会の際には、手洗いうがい、手指の消毒、検温、席の間隔を空けての着席にご協力ください。 どうぞお気をつけてお越しください。 明日もライブ配信と合わせて礼拝の録画を礼拝後速やかにYouTubeに掲載いたします。 出席適わない方はどうぞそれぞれのところで神様の恵みに与かってまいりましょう。 以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。 それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。


礼拝式文 四旬節第5主日

1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって  会衆)アーメン 3. キリエ  司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。 4. 主日の祈り 全員)神様。あなたは変わらぬ愛をもって私たちを御許(みもと)に引き寄せ、私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。聖霊の実をもたらすことができるように私たちを強め、生きるにしても死ぬにしても御子のうちに歩むことができるようにしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 5. 聖書朗読 福音書 ヨハネによる福音書 12章20節‐33節 (新)192頁 ギリシア人、イエスに会いに来る 12:20さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」 人の子は上げられる 27「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。31今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。 6. 讃美歌 521番


7. 説教 「一粒の麦、多くの実」

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 キリストの十字架の死と復活の恵みを要約するならば、一人の人の死が、すべての人の命を救う出来事と言えるでしょう。こうして短く表現したとしても、その背景には多くの事がらが示されています。「死」ということ、「すべての人の命」について、「救い」という事がら、これらの言葉についても多くの事がらがその背景には示されています。 どんなに短い言葉であっても、出来事であっても、それが語られるまでに、その出来事が起こるまでに様々なプロセスがあり、考えがあり、それらが複雑に絡み合って一つの出来事となっているということは想像すれば誰もが分かることです。そこで今日は「律法」という言葉から紐解きながら、今日の福音の御ことばに示されている神の御心に聴いていきたいと思います。 今日の第一日課のエレミヤ書には「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。」という預言が示されています。それまでは石の板、そして膨大な量の紙の巻き物に律法が記されていました。そして、ユダヤ人たちはこの律法が神と自分たちを結びつけ、神の導きの内に歩むための大切な指針として大事にしてきました。それは時を経た現在においても同様です。 しかし、エレミヤを通して示されたのは石の板や紙に書かれた文字によるのではなく、「心にそれを記す」と語られているように新しい契約のあり方です。言うなれば私の心に記すのですから、神の御ことばと、極端に言えば神とひとつとされるという事です。 それまでは外的な文字にされた律法を遵守することによる契約のあり方でした。しかし人間はこの律法を守ることができませんでした。それゆえに祖国をバビロンに滅ぼされ、イスラエルの民たちは散り散りになってしまいました。 イスラエルの滅びは、神に対する背信からであり、100%人間の側の罪と堕落が原因でした。それでも神はイスラエルの民を捨て去るのではなく、新しい契約、外的な文字による契約ではなく、内的な契約をもって悲しみと絶望、痛みのうちにある民たちを救い出すという御ことばを告げてくださっているのです。そして、この新しい契約のしるしがイエス・キリストご自身なのです。 キリストは、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」と語られています。「一粒の麦」とはキリストを指し示します。この方の死によって「多くの実を結ぶ」ことによって私たちに新しい契約、救いの恵みに与る光栄が与えられたのです。皆さんもご存知のように、種は地で萌え出て、花を咲かせる。あるいは更に多くの種や実を生らせます。 その源は、一粒の種です。一粒の種の命が死ぬことによって多くの実りをもたらし、喜びの収穫を迎えます。そこで導き出される事がらは、キリストの死により、私たちはその実りとしてキリストと同じ命に生きる者であるという真実を示されているのです。そして、この新しい契約は、今日の福音の場面でギリシア人たちが訪ねてきたことから示されているようにユダヤ人たち固有の契約ではないということです。 本来であれば、彼らは異邦人です。ユダヤ人達からすれば罪人の頭の一人です。しかし、キリストはその人々を退けるのではなく、一粒の麦の喩えを語りかけられ、キリストの十字架の死は、ユダヤ人たちだけでなく、全ての人に与える神からの恵み、新しい契約であるということを啓示しています。 そこで重要なことは「自分の命を憎む」ことです。自分の命を愛するということは、すなわち罪に塗れた命を大事にするということであり、いつまでも罪に囚われている状態です。しかしながら、「自分の命を憎む」ということは、他の何かの命を愛するということであり、その愛すべき命とは、「一粒の麦」であるキリストの命を愛することだとキリストは語っているのです。 この方に自分の命も罪も全てを委ねる時、神の救いは大いなる恵みとして私たちを満たし、喜びに溢れさせる。だからこそ、私たちは自分自身の罪を包み隠すことなく神に悔い改めていくことを毎週の礼拝の中で欠かせない事柄として大切にしてきたのです。 確かに神のみ前に立たされる時、私という存在の全てが打ち砕かれる。骨も身も心も神の義しさの前に打ち震える他ないことです。裁かれる者でしかないという深い痛みと不安、恐れを抱きます。 しかし、その打ち砕かれた心に神の新しい契約が記されます。それは「キリストを信じろ」というたった一つの掟です。他の何かではなく、ただキリストを信じる信仰によりあなたの罪は贖われ、あなたの命は罪の虜、奴隷状態から、キリストの十字架によって買い戻され、自由とされ、永遠の命に生きるのだと神は告げ知らせているのです。 私たちは今、四旬節を過ごしています。来週の主日を終えれば聖週間に入り、いよいよキリストの十字架の死が差し迫っている事を思い起こします。 そのような中で、悔い改めの時として四旬節を過ごすにあたって、私たちは自ずと自分の罪深さ、多さに、大きさに打ちひしがれるばかりです。何という罪を神に対して、キリストに対して犯し続けているのだろうという思いに囚われるばかりです。 罪の力、死の力が私の命を死の闇へと引き入れようとしています。しかしそのような中で今日示されたことは、「一粒の麦」によって与えられた命に連なる者とされている福音です。私の命が、あなたの命がキリストと一つとされ、あなたの命も、私の命もキリストの死による実りである。という確信に基づいて歩む道へと福音を通して招かれているのです。 ですからキリストの共同体とは、それぞれの一人ひとりが違うように見えて、いま前後に、隣に座っている人も、街中で出会う名も知らぬ人も同じキリストの命の内にあって、同じ命に生かされている存在であり、キリストの共同体なのです。 今、世界はワクチンの分配など一つの問題を取っても分断がありますが、福音が語ることは、一粒の麦からもたらされる大いなる恵みと喜びのうちに全ての人が生かされているという真実です。分断ではなく、キリストの命の内に一つである。この独りの方の死によって私たちには計り知ることのできない大いなる恵みと喜び、共同(協働)のうちに生かされていることを覚え、すべての人の命がキリストと共に在って、大いなる恵みの内にある素晴らしい命とされていることを宣べ伝えてまいりましょう。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

8. 信仰告白 (起立) 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン) 9. 献金 10. 教会の祈り

11. 主の祈り (起立) 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン) 12. 祝福 (起立) 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。 13. 後奏

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