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ltnishinomiya

3月28日(四旬節第6・主の受難主日)の式文と説教

主の御名を讃美いたします。

土曜日は、神戸東教会のご近所の方に週報を届けるついでに、1時間ほど歩いてきました。

五鬼城展望公園という神戸東教会の上にある摩耶さんの麓の公園まで登ってきました。

展望台から神戸市内や大阪、大阪湾の向こう側まで見渡すことができました。

気持ちの良い季節になってきました。

摩耶ケーブル駅から桜トンネルの辺りは、桜が満開で、人もたくさん居ました。

密を避けると言っても、なかなか屋外の事では難しいですね。


10時30分から礼拝堂に集う形での礼拝をいたします。 どうぞ皆様気をつけてお越しください。健康や、移動に不安をお覚えの方はどうぞご無理をなさらないでください。 礼拝は引き続き短縮式文での礼拝となります。 ご来会の際には、手洗いうがい、手指の消毒、検温、席の間隔を空けての着席にご協力ください。 どうぞお気をつけてお越しください。

ライブ配信と合わせて礼拝の録画を礼拝後速やかにYouTubeに掲載いたします。 出席適わない方はどうぞそれぞれのところで神様の恵みに与かってまいりましょう。 以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。 それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。




牧師

礼拝式文 四旬節第6・主の受難主日


1. 御名による祝福 司式)父と子と聖霊の御名によって 会衆)アーメン

2. はじめに 司式)私たちの救い主が来られます。主の名によって来られる方、王に、祝福 があるように。 会衆)天には平和、いと高きところには栄光。 司式)これは、主のみわざ。 会衆)わたしたちの目には驚くべきこと。

3. 特別の祈り 司式)憐れみ深い神様、あなたは御子、主イエス・キリストをこの世界に遣わし、御子は、福音を告げ知らせ、十字架の苦しみと死によって私たちの救いを実現するため、エルサレムに入られました。私たちが罪を悔い改め、私たちの心に救い主を迎えることができますように。そして、主の受難を心に刻み、復活の祝いに至らせてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 会衆)アーメン

4. 主のエルサレム入城のみことば 司式:主のエルサレム入城を告げるみことばを聴きましょう。 マルコによる福音書11章1節‐11節 エルサレムに迎えられる 11:1一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。3もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」4二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。5すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。6二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。7二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。9そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。10我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」11こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

5. 結び 司式)主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。 会衆)天には平和、いと高きところには栄光。 司式)主の平和のうちに進みましょう。 会衆)いと高きところにホサナ

6. はじめの歌 78番


7. 主日の祈り 全員)永遠の神様。あなたは主イエス・キリストを人として遣わし、その十字架の苦しみと死によって、限りのない愛を示してくださいました。御旨に忠実に生きた主の従順、そして復活の輝かしい勝利に、私たちが共に与かることができるよう憐れんでください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

8. 聖書朗読 福音書 マルコによる福音書 15章1節‐47節 (新)94頁 ピラトから尋問される 15:1夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。2ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。3そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。4ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」5しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。 死刑の判決を受ける 6ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。7さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。8群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。9そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。10祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。11祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。12そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。13群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」14ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。15ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。 兵士から侮辱される 16兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。17そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、18「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。19また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。20このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。 十字架につけられる 21そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。22そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。23没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。24それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/ その服を分け合った、/ だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。 25イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。26罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。27また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。28†29そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、30十字架から降りて自分を救ってみろ。」31同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。32メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。 イエスの死 33昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。34三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。35そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。36ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。37しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。38すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。39百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。40また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。

9. 讃美歌 262番


10. 説教 「死の内に輝く命」 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 本日は、主のエルサレム入城と受難の出来事を覚えています。いつもと違う形での礼拝となりました。今週から聖週間に入り、いよいよ金曜日にキリストは十字架に上げられます。その始めの備えの時にあってご一緒に御ことばから神の御心に聴いてまいりましょう。 「7主なる神が助けてくださるから/わたしはそれを嘲りとは思わない。」と本日第一日課のイザヤ書50章7節には記されています。このイザヤ書の預言があるからこそキリストは、十字架のご受難において、人々の打たせるままに、またあざけりに対して黙して、その道を真っすぐに歩まれたのです。たとえ人がどんなにか自分を陥れ、罠にかけ、死に追いやろうとも、神の助けがあると信仰によってご自身の身も心も神に委ねたのです。 嘲りを嘲りとは思わない。苦難に際して何という深く、大きな信仰でしょうか。到底、私たちには無い信仰の姿です。私たちは自分自身の苦難や災難の時に、「なぜ私が。」という思いを抱きます。幸いも不幸も神からの賜物であると言えない自分が居ることに気が付かされます。幸いについては言えても、不幸についてはそれが神の賜物であり、不幸から与えられる神の御心に真摯に聞き従うことは中々できません。 なぜならば私たちは罪人だからです。本来であれば私たち自身が十字架に架けられ死ぬべき存在です。それほどまでに私たち一人ひとりが抱える罪は大きく、重く、多いのです。気づいている罪、気づいていない罪、それらが私たちの命を脅かし、死へと誘おうとしています。そして、その力に私というこの弱い存在は抗うことは出来ないでいる。これが人間の本質です。私たちは、常に死に向かって歩んでいる者でしかないのです。 そのような私たちに、神は臨在するのです。マタイ福音書のインマヌエル、神共にというメッセージに示されているように、この罪深い私と神が共に居るという深い神の憐みと慰めと慈しみに富んだ生が与えられている。そして、それは何によって示されているかと言うならば、キリストの十字架です。キリストの十字架を通して私たちは、この罪深い私に神が臨み、神の憐みと慰め、慈しみの内に私の命が在ることを見る者とされるのです。 今日の主日に与えられている詩編31編ですが、これは嘆きの詩編です。苦しんでいる自分、嘆いている自分、迫害されている自分、侮辱されている自分、さまざまな困難に際して苦しみ悶えている詩編作者の思いが滔々と記されています。しかしながら、その苦難の中でこの詩編作者は、主の救いに信頼している信仰とそのような方が居てくださる喜びと讃美を表明しています。 この詩編作者の信仰のあり方から、私たちがキリストの十字架の受難に対してどのように臨めばいいのかということが導き出されます。それは、このキリストの十字架のもとにこそ救いがあるということです。私たちは自分自身では罪の贖いは出来ないと先に申し上げましたが、神はその哀れで、弱い私たちのためにキリストをこの世に遣わし、十字架へと歩ませました。 そして、このキリストの十字架が私たちの唯一の逃れ場であることをお示しくださったのです。この痛ましく、弱く、乏しく、罵られた弱々しいキリストにこそ神の救い、神の憐み、慈しみが、そのお姿の背後に隠されている。その隠された恵みを見る信仰が与えられているのです。 だからこそ、私たちはこの受難の時において、また聖週間を迎える初めの日において、キリストの十字架こそが私たちの救いのしるし、罪人の唯一の逃れ場、委ねるべきところ、委ねるべき方であることを覚えていきたいと思うのです。 そして、この恵みは先週の説教の中でも申し上げましたが、すべての人に開かれています。なぜならば、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」と38節に記されているように、神殿の聖所と人を隔てる物が無くなったからです。すなわち、誰であれキリストの十字架に委ね、神の救いに与る者として神からの招きを受けているのです。 罪深い私です。その本質は変わりません。しかし、キリストの十字架により私たちは救われています。そして、そこに誰もが招かれていることの慰めと恵みを覚えてまいりましょう。私たちには苦しみも、悲しみも、痛みも、嘆きも負いながらも、その思いを一にしてくださるキリストの姿が示されました。この私のために十字架へと歩まれたキリストが共に居られる喜びを覚えつつ、今日から始まる聖週間、キリストの十字架の御許に私たちも共々に集い、祈りを合わせ、心静かに歩んでまいりましょう。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 11. 信仰告白 (起立) 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)

12. 献金

13. 教会の祈り

14. 主の祈り (起立) 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン)

15. 祝福 (起立) 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。 16. 後奏



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