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3月7日(四旬節第3主日)の式文と説教

先週お知らせした通り明日から礼拝堂に集っての礼拝を再開いたします。

引き続き短縮式文での礼拝となります。

ご来会の際には、手洗いうがい、手指の消毒、検温、席の間隔を空けての着席にご協力ください。

どうぞお気をつけてお越しください。


ライブ配信と合わせて礼拝の録画を礼拝後にYouTubeに掲載いたします。

出席適わない方はどうぞそれぞれのところで神様の恵みに与かってまいりましょう。


以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。 それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。 日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube


牧師

礼拝式文 四旬節第3主日

1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって  会衆)アーメン 3. キリエ  司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。      会衆)主よ、憐れんでください。 4. 主日の祈り 全員)聖なる神様。あなたは私たちがあなたを畏れ愛し、勇気をもって行動するように、御子を通して招かれました。あなたの恵みの契約に堅く立たせ、イエス・キリストのみが与えてくださる知恵を教えてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 5. 聖書朗読 福 音 書 ヨハネによる福音書 2章13節‐22節 (新)166頁 神殿から商人を追い出す 2:13ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。14そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。15イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、16鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」17弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。18ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。19イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」20それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。21イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。22イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 6. 讃美歌 76番(教会讃美歌)


7. 説教 「信仰の中心であるイエス」 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 私たちの信仰の要はキリストの十字架への信仰です。これが肝心、要でありキリストの十字架なくして私たちの信仰はありません。まさに四旬節にあって私たちが思いを向けるべきところ、出来事が何かを教えてくださいます。与えられている御ことばを通して私たちに語り掛ける神の御声にご一緒に耳を傾けてまいりましょう。 さて、イエスの時代、旧約の時代において神殿はユダヤ人たちにとって大切な信仰の拠り所でした。過越祭が近づくとこぞってユダヤ人たちは、エルサレムに再建された荘厳な神殿に上って詣でていました。いわゆる巡礼の旅といいましょうか、宮詣と言いましょうか。とにかくエルサレム神殿がその信仰の中心地だったのです。 なぜならば、そこにはモーセに与えられた「十戒」を納めた石櫃が安置されていたからです。十戒はご存知のように神がユダヤ人たちを通して私たち人間に与えられた重要な十個の戒めです。読んで字のごとくですが、このたった十個の戒め、掟がユダヤ教の信仰の根幹であり、この戒めを通していつでもそれを唱えるごとに、想い起すごとに神がユダヤ人たちと結んでくださっている約束と祝福を覚えるしるしなのです。 エルサレム神殿においては贖いの献げ物などを巡礼者が献げるための羊や牛、鳩など売られていました。また、ローマの通貨は外国の通貨でしたからイスラエルのお金に換金するための両替所もいくつもあったそうです。それらを鞭で追い払い、台をひっくり返すということは蛮行のように思いますし、同時に「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という詩編69編の言葉を思い出し、神殿が純粋な祈りの場であるべきであるためにこのようにされたとも思ったと書いています。 しかしながら、果たして本当にそうなのでしょうか。イエスの真意は、そのようなものではなかったと思うのです。そのことを知るために神殿の役割と言いますか、機能が何であるかという側面を考えてみましょう。神殿とは、先ほども申し上げましたように信仰の中心地です。言い換えるならばそこでは神との交流がある場所でした。神に思いを向け、神から赦しと祝福を受ける場所でもありました。即ち、神と人とが出会う場所なのです。 そして、この箇所での中心は、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」という御ことばです。これは「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。」とあるように十字架の死と復活についてイエスが語られたということであり、十字架の死と復活は神が私たちに与えられるしるしであるということをお示しくださいました。 すなわち、かつての旧約の人々にとってのしるしは十戒でした。しかし、キリストにおいてはキリストご自身が「しるし」であるということを明らかにしてくださっているということです。それまでは、神殿においてのみ、神殿に行くことによって、神の出会いの時と場が与えられていましたが、キリストにおいては、キリストの十字架の死と復活を信じることによって神との出会いの時と場が与えられるということです。そして、このことを突き詰めるならば、キリストの御ことばを信じる信仰によってその交わりが起こることを意味します。 ですから、それは空間的な制約はありません。どこであっても神との親しい交わりの中に私たちは生きることになるのです。しかもキリストは、自ら人々の元へと赴き神の御ことばと御心をお示しになりました。それは言うなれば、私たち人間が神の方へと近づき、神へ贖いの献げ物を献げることによるのではなく、神ご自身が私たち人間の元へと来られているということを表します。 ですから、もはや信仰の中心は、神殿ではなくキリストご自身にあるのです。 私たちを救いへと導き、その確かさのうちに生かし、喜びと恵み、慰めと励ましのうちに生かすものは、神殿で詣でる自分自身の行いに依るのではありません。 イエスが私たち一人ひとりの罪の赦しのために十字架を背負い、ゴルゴダに上り、エルサレムの外、すなわち誰からも疎外され、捨てられ、命を賭して自らを贖いの仔羊としてお献げくださったこと、そして3日目に復活し、死の力、罪の力に打ち勝ってくださる方を信じる信仰に依るのです。 十戒を、すなわち律法を行うことによって救われるならば、私たちは自分では気づかないうちに犯している罪が有るとすれば、どう贖えばいいのでしょうか。気づいていようが、気づいていなくとも罪は残ったままです。そうであるならば私たちは罪の力、師の力に服したままです。どんなに神殿に詣でたところで、救いは得られません。 しかし、キリストの死と復活が全ての人の全ての罪の贖いであり、死の力への勝利であることを信じる信仰においては、確かな救いの恵みと喜びを私たちにお示しくださいます。自分の行いによるのではなく、神ご自身が私たちのために仕え、お働きくださっているという驚くべき真実に深い喜びと感謝を起こさせ、私たち自身も自ずと主に倣い、人に仕え、御ことばを宣べ伝える喜びへと導きます。 そういう意味で罪の贖いや赦しは、人が能動的に働くことによるのではなく、むしろ神ご自身が能動的であり、私たちはその働きの恵みを受けることによってのみ救いへと至るという真実をこの「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」という福音の内に示されているのです。 改めて私たちは、信仰とは生きて働いてくださるキリストの内にある事を覚えていきたいと思います。私たちが神殿や教会に行くことによってではなく、いつ何時であろうとキリストの御ことばを信じる信仰により救いへと至る事を刻みたいと思います。 同時に四旬節にあって、この罪人の私を救い出すためにキリストは、出かけ、人々と出会ってくださっていること、それゆえに益々私たちは誠実に神のみ前に罪を悔い改め、キリストの十字架と復活を信じる信仰に生きていく決断をしていきたいと思うのです。 今も生きて働き、私たちの元へ来てくださるキリストが共にある事を覚え、そのお働きに感謝と心からの悔い改めをなし、キリストの救いのしるしである十字架を仰ぎ見、復活の信仰を与えられている恵みを覚えながら歩んでいく四旬節の時といたしましょう。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 8. 信仰告白 (起立) 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン) 9. 献金 10. 教会の祈り 11. 主の祈り (起立) 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン) 12. 祝福 (起立) 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。 13. 後奏

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