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4月19日 復活節第2主日 式文と説教

  • ltnishinomiya
  • 2020年4月18日
  • 読了時間: 8分

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礼拝式文 復活節第2主日

1. 沈黙 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)

2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって

会衆)アーメン

3. キリエ ※ご家族と交唱してくださっても良いですし、お一人の場合は

司式)主よ、憐れんでください。   会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。   会衆)主よ、憐れんでください。

4. 讃美唱 詩編16編

16:1神よ、守ってください/あなたを避けどころとするわたしを。

2主に申します。「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません。」

3この地の聖なる人々/わたしの愛する尊い人々に申します。

4「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず/彼らの神の名を唇に上らせません。」

5主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。

6測り縄は麗しい地を示し/わたしは輝かしい嗣業を受けました。

7わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます。

8わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし/わたしは揺らぐことがありません。

9わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。

10あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず

11命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い/右の御手から永遠の喜びをいただきます。

5. 主日の祈り

全能・永遠の神様。あなたは信じる者の力です。疑う私たちを、見ないで信じる信仰によって、キリストの豊かな祝福に与からせてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

6. 聖書朗読

第一日課 使徒言行録 10章34節‐43節 (新)957頁

第二日課 コロサイの信徒への手紙 3章1節‐4節 (新)371頁

福音書 ヨハネによる福音書 20章1節‐18節 (新)209頁

7. 説教 「キリストの証人として遣わされる」 竹田大地牧師

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

 キリスト者は、キリストの弟子としての召しを与えられ、それぞれお一人おひとりが神によってこの世の働きを与えられ、その事を通して神を証しする者とされています。

 牧師は御ことばと聖礼典の働きを中心にして、医者は、その専門的なお働きを通して、主婦の方も、その置かれた家庭や繋がりの中で、学生もまたその学びの中でキリストを見出すことでしょう。

 私たち教会の使命の一つはキリストを宣べ伝える、すなわち宣教の召しを神から与えられています。何を伝えるのか、それはキリストです。しかしながら、このキリストの何を伝えるのか。それは、私たちの信仰告白にあるように、罪の赦しのために十字架の上で死に、三日目に復活されたキリストこそが主であるということです。

 これが難解なのです。聖書はキリストが死んだことを伝えています。この事実が私たちの理性と対立するのです。なぜならば、死んだ者が生き返るということは、私たちにとっては到底理解しがたい出来事だからです。この対立の出来事が、今日の弟子たちのところにキリストが現れた出来事に集約されています。

 それは彼らが、「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」というその様子にあるようにイエスの死に直面して恐れと不安が彼らの心に充満していました。それは、師であり、先生であるイエスが世の権威によって殺されたことの恐れ、そして、そのことによって自分たちもまたそれらの者に殺されるかもしれないという不安がありました。

 実際に、キリスト者は、その後四百年近く迫害の歴史を辿ります。ペトロやパウロたち使徒も殉教の死を遂げます。しかしながら、彼らが殉教をも厭わずキリストを証言したのは何故なのでしょうか。死の恐れと不安を克服し、キリストに生きることができるようになったのは何だったのでしょうか。

 もう少し、申し上げますと、復活のキリストはトマスに向かって「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と語られます。私たちは死者が復活するという事がらを信じられない者でしかない現実をトマスの姿にも見出すことができます。私たちは、十字架の場面でもそうでしたが、キリスト、神の御ことばを信じ切ることができないのです。

 神の御ことばを信じ切れない人間の現実は、聖書のいたるところで語られています。例えば、アブラハムとサラ夫妻の間に息子が与えられるという託宣です。この夫妻は、み使いからこのお告げを聞いたとき笑いました。その笑みは、嬉しいという思いから溢れる笑みではなく、そんなことがあるだろうかという疑いの笑みです。

 なぜならば、彼らは非常に年老いていました。アブラハムは100歳、サラは90歳になっていたと聖書は記しています。私たちにおいても、そんなことがあるだろうかと疑いを隠せないでしょう。実際にアブラハムの立場で考えてみても、アブラハム同様に疑いの笑みを浮かべることでしょう。

 しかしながら、神はそのような私たちの思いを超えて、サラにイサクを与えました。そして、イスラエルの父祖とするという契約を神が全うしてくださいました。私たちは、科学的、理性的にこの事象を捉えようとする時、この出来事を理解することはできないでしょう。しかしながら、この事がらを信仰の面から捉えるとき、神の恵みが豊かに注がれていることに気が付かされるのです。

 この突破はどのように起こされるのか、その要素が信仰にあるのです。神こそがわたしの命を本当に生かしたもう方であり、復活のキリストを通して死の力、罪が滅ぼされ、永遠の命に生きる、すなわち神と永遠に共にある恵みを信じる時、私たちは理性や科学を突破するのです。

 そして、気が付かされることは、信仰と科学や理性は対立するものではないのです。信仰と理性が対立するならば、信仰は相対的な事がらでしかありません。神が居るのか、居ないのか、復活は在るのか、無いのかという二律背反する命題を相対的にしか捉えることができないでしょうし、科学や理性は、復活を否定するでしょうし、神を否定し、信仰は敗北することでしょう。

 しかしながら、信仰は相対ではなく絶対性を持っています。何にも変えられない存在を信じることによって、私たちは死も復活も、神も、この世のあらゆる事象も、信仰の出来事として内包することができるのです。信仰こそが真に生かし、私たちの命に無くてはならないものとする時、私たちは科学や理性を否定するのではなく、それもまた神の与えたもう事がらであると知らされ、それを否定することもなくなります。

 と、同時に死者からの復活も確かなのだ、神の出来事を信じ、そこに希望を見出す者とされるのです。この信仰を私たちは神から与えられています。科学や理性だけに生きるのであれば、いつまでたっても私たちと神との間には対立が生じるでしょう。しかしながら、その私たちの限界を超えて復活の主は、私たちのただ中に現われ「あなたがたに平和があるように」と和解の言葉を語り掛け、弟子たちを喜びに溢れさせたように、私たちをも希望と喜びに溢れさせてくださっているのです。

 この神の御ことばに委ねる時、罪と死は克服され、滅ぼされていることを知るようになるでしょう。

 そして、復活のキリストとの出会いが「金よりも尊い」ものであり、「言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれ」させます。この世の事がらを越えた復活の出来事、これはどうしても理解しがたい出来事です。しかしながら、これを「金より尊い」ものとする信仰が与えられています。

 このことを知らせるために福音は書かれたとあります。そして、この知らせを宣べ伝える者として私たちは召されています。全ての人が「信じてイエスの名により命を受けるため」に信仰の恵み、その基であるキリストの復活を堂々と、ハッキリと宣べ伝えてまいりましょう。

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

8. 信仰告白

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、お とめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)

9. 教会の祈り

・みことばへの応答

・新型コロナウイルスの一日も早い収束を覚えて。

・西宮教会に集う方々を覚えて

・為政者が神と人々の声を聞くように。

10. 主の祈り

司式)祈りましょう

全員)天の父よ。

み名があがめられますように。

み国が来ますように。

み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

私たちの犯した罪をお赦しください。

私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

(アーメン)

11. 祝福

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。

会衆)アーメン

12. 讃美歌 教団讃美歌154番

1.地よ、声たかく 告げ知らせよ、 きょうイエス君は よみがえれり

いのちの君は あまつ園に われを召して 入れたまえり。

2.とこよのひかり てりかがやく みくらにいます 君を仰がん。

あめより洩るる かちうたにぞ、 地なるわれらも 声をあわせん。

3.あめよ、よろこべ、 つちよ、うたえ、 ものみなともに ほめたたえよ

イエス君きょうぞ よみがえれる。 ああかぎりなき さかえの日よ。

アーメン

13. 沈黙 

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