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ltnishinomiya

4月25日(復活節第4主日)の式文と説教

主の御名を讃美いたします。

兵庫県、大阪府、京都府、東京都に昨日緊急事態宣言が発令されました。期間は24日から5月11日までとなっています。

これに伴い、礼拝自粛期間を9日(日)の礼拝まで延長いたします。

大変な状況が続いています。


大阪府では重症病床使用率が97.2%とけた外れの使用率となり医療崩壊状態です。兵庫県でも75.8%と非常に高い状態にあります。

どうぞ皆さんご自身の健康を守るための行動を心かけていただければと思います。

とはいえ、そんなことは一年以上も続けてきており、疲れと憤りとマイナスの感情ばかりが沸々と湧いてきます。為政者たちの場当たりな発言や行動に嫌気がさしているのは僕だけではないでしょう。


先日NHKで女子医大病院の看護師の方に一年間密着した番組を見ました。

コロナまん延の状況で本当に大切な仕事であるにもかかわらず、彼らの使命感、責任感の搾取をして、国は雀の涙程度の補償や手当をしない状況に本当に腹が立ちました。

仕事をお辞めになる看護師の方が涙ながらに同僚たちに謝る姿を為政者たちはどう見たのでしょうか。

心身に痛みを覚える看護師の方々、また他の医療従事者の姿にどうしたらこのような状況が解消されるのかと、この一週間ずっと頭を駆け巡っています。

しがない一牧師にできることは、福音と向き合い、神の希望を語り続けることだと考え、これからも弛みなく、真剣に御ことばと向き合い発信していきたいと思います。


どうぞ医療従事者の方々の働きのため、そして相応しい助けがあるようにお祈りください。


明日も10時20分からライブ配信をいたします。 以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。 それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。 日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube

皆さんの命が守られますようにお祈りしています。


牧師


礼拝式文 復活節第4主日


1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)


2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって

 会衆)アーメン


3. キリエ

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。

 会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。


4. 主日の祈り

全員)良い羊飼い、主キリスト。あなたは失われた者を捜し求め、群れの中に導き返してくださいます。あなたの羊を癒し、健やかに養ってください。父と子と聖霊の一致の中で、私たちを今も後も永遠に一つにしてください。アーメン


5. 聖書朗読

第一日課 使徒言行録 4章5節‐12節 (新)219頁

4:5次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。6大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。7そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。8そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、9今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、10あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。11この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、/隅の親石となった石』/です。12ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」


第二日課 ヨハネの手紙一 3章16節‐24節 (新)444頁

3:16イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。17世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。18子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。19これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、20心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。21愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、22神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。23その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。24神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。


福 音 書 ヨハネによる福音書 10章11節‐18節 (新)186頁

10:11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」


6. 讃美歌 154番



7. 説教

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


私たちは、破れの多い者です。毎週の礼拝で「主よ憐れんでください、キリストよ憐れんでください、主よ憐れんでください」と三回答唱をしていますが、これは3という数字が完全を意味し、神による完全な赦しを願う祈りと悔い改めとして唱えています。それほどまでしなければ私たちは罪深く、汚れに満ちているのです。


さて、罪人の状態とはどういう状態なのでしょうか。一口に罪と言っても、何がそのようにさせるのか、罪へと誘うのか、呑み込もうとするのか。そのことを理解することは、キリストの福音の恵みを受け取っていく意味でも大変重要なことです。さて、罪人の状態とは私たちが愛を知らないということです。「神は愛です」と聖書に記されているように、私たちは神以外から愛を知ることができません。


そして、その愛が人を完全なものとするのです。罪人であるということは、愛を知らない、愛を持ち合わせていない状態です。そのような状態ですから、人が誰かを傷つけますし、陥れますし、神を神とも思わずに生きる者としてしまうのです。先週の日課にペトロの説教の中で「兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。」(3:18)と語っています。


愛を知らないがゆえに、罪を犯してしまう。救い主であるキリストさえも殺してしまうのです。それくらいに私たちの罪は人を愚かにし、救い主さえも殺してしまうという蛮行をさせる力に溢れているのです。そして、私たちは言うまでもなくこの罪の力に勝つことは出来ません。私たちはいつでも罪の力に晒され、罪の力に誘われ、罪を犯し続ける者でしかありません。


キリストは今日の福音においてご自身を「よい羊飼い」だと仰っています。何故そのように語るのでしょうか。当時、羊飼いとは羊を自分の財産として管理していたのではなく、多くの場合が雇われて羊を世話していただけでした。そのような羊飼いでしたが、羊が獣などに襲われ、強盗によって強奪に遭いそうになればそれらの出来事と対峙しなければなりませんでした。

自分の管理している羊がもし殺されればその証拠を持っていかなければならないと律法で決まっていました。


しかし、キリストの語る雇い人の羊飼いはそのようにして羊たちを心から大切にするとは思えません。獣や強盗が来ても逃げてしまうでしょう。羊が死んだとて悲しむことはないでしょう。自分の責任を果たすどころか、羊を顧みない姿を取ることは想像に難くないことです。何故そのような行動を取ってしまうのかというならば自分の羊ではないからです。自分の羊ではないから、羊を牧し、管理することを放棄するのです。


この雇い人の羊飼いは羊を「心にかけない」とキリストは語られています。この福音は訳し直すとするならば「ケアをしない」「関係ない」とも訳すことができます。すなわち、それは私たちの姿にも共通します。自分の命のためならば人を貶めてでもそれを保とうとするところがあります。物資が不足した時にそれを買い溜める、買い占めるという姿は昨年のマスクが必要だとなった時に起こったことであり、そのことを目の当たりにしています。

その状況が窮状になればなる程に人は、他者を顧みることができず「自分さえ」という思いに駆られます。


そして、「ケアをしない」「関係ない」と他者を自分の外に追いやり、究極的なことを言うならば他者を殺してしまうのです。しかしながら、キリストはそうではありません。キリストは自分の羊を知っている。この「知っている」という言葉には「承認する」という意味があります。

この意味からキリストの福音に聴いていきますと、それは罪人であり、悪の力、罪の力に負けて罪を犯し続ける私という存在、本来であれば神の国、御国の恵みと喜び、慈しみ、神の憐み、赦しに与かる資格など無い私を「承認」し、ご自身の羊として養い、育て、愛してくださっているということを意味しているのです。


そして、この羊飼いは「羊のために命を捨てる」と断言してくださっています。そして、事実その通りキリストは私たちのために十字架の死をもって私たちの命を守ってくださいました。本来であれば罪のゆえに死ぬべき命でしたが、この御子の犠牲によって私たちは生きる者となりました。

そこで自ずと「よい羊飼い」とは何かわかってきます。「よい羊飼い」とは、羊の主人でありながら、羊たちが本当に生きるためにどうしたらよいかいつも心に留め、自分とは関係ない存在としてではなく、自分の命と同等に、時にはそれ以上の存在として考え、慈しみ、優しさをもって、羊のために仕えてくださっているのです。


そういう意味で罪人すなわち羊である私たちは二重の脅威に常にさらされています。一つ目は外的な脅威です。獣や強盗によっていつも命を狙われ、死が近い、死と隣り合わせの状態にあります。そして、二つ目は羊飼いがもし雇い人の羊飼いであれば、その人と思って従ったとしても、雇い人自身の命が危ぶまれれば羊はたちまち捨てられるという危険があるということです。


それ故に私たちが本当に命を養われ、救われ、育て愛してくださる方は「よい羊飼い」以外にありません。つまり、私たち教会が真に従うべきはキリストただお一人です。キリストのみが私たちを真に生かし、平安へと導かれる方であるということを覚えていくこと。世の中に居るいい人、何か命を担保してくれると思えるモノ、また教会の中にいる人や牧師ではなく、キリストが私たちの真の導き手であり、この方の言葉に聴き、従い、信じて歩むことこそ私たちが罪の力から解放され、神の愛を知るようになる唯一の道なのです。


このキリストの名を信じる信仰が私たちを本当に活かしてくださり、本当の平安、平和へと導き、生き生きとした命を与えてくださいます。「よい羊飼い」がキリストであること、このキリストの十字架の死と復活によって私たちが罪を赦され、キリストの群れの羊とされていることを教えてくださいました。これからも私たちは、他のモノや人ではなく、キリストの御名を信じ歩んでまいりましょう。

そして、この名にこそ本当の愛が豊かに溢れ、この愛によって人は生きるようになることを世に宣べ伝えてまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


8. 信仰告白 (起立)

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)


9. 献金


10. 教会の祈り


11. 主の祈り (起立)

司式)祈りましょう

全員)天の父よ。

   み名があがめられますように。

   み国が来ますように。

   み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

   私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

   私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

   私たちの犯した罪をお赦しください。

   私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

   (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

   (アーメン)


12. 祝福 (起立)

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。


 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。


13. 後奏

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