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4月5日の説教(四旬節第6主日 主のエルサレム入城/主の受難主日)

  • ltnishinomiya
  • 2020年4月5日
  • 読了時間: 20分

「苦しまれた救世主」

永遠の神様。あなたは人類への限りない愛によって、御子、主イエス・キリストを遣わされました。主は人となられ、十字架の死を死なれました。御心に従い、栄光の復活をなさった主の生涯に従うことができるよう、私たちを憐れんでください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

賛美唱 詩編31編10節‐17節

10主よ、憐れんでください/わたしは苦しんでいます。/目も、魂も、はらわたも/苦悩のゆえに衰えています。

11命は嘆きのうちに/年月は呻きのうちに尽きています。/罪のゆえに力はうせ/骨は衰えていきます。

12わたしの敵は皆、わたしを嘲り/隣人も、激しく嘲ります。/親しい人々はわたしを見て恐れを抱き/外で会えば避けて通ります。

13人の心はわたしを死者のように葬り去り/壊れた器と見なします。

14ひそかな声が周囲に聞こえ/脅かすものが取り囲んでいます。/人々がわたしに対して陰謀をめぐらし/命を奪おうとたくらんでいます。

15主よ、わたしはなお、あなたに信頼し/「あなたこそわたしの神」と申します。

16わたしにふさわしいときに、御手をもって/追い迫る者、敵の手から助け出してください。

17あなたの僕に御顔の光を注ぎ/慈しみ深く、わたしをお救いください。

本日の聖書日課

主の僕の忍耐

50:4主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。

主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。

6打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。

主なる神が助けてくださるから/わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている/わたしが辱められることはない、と。

8わたしの正しさを認める方は近くいます。誰がわたしと共に争ってくれるのか/われわれは共に立とう。誰がわたしを訴えるのか/わたしに向かって来るがよい。

9a見よ、主なる神が助けてくださる。

第二日課 フィリピの信徒への手紙 2章5節‐11節 (新)363頁

2:5互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。10こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

福音書 マタイによる福音書 26章14節‐27章66節 (新)52頁

ユダ、裏切りを企てる

26:14あそのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、15「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。16そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

過越の食事をする

17除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。18イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」19弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。20夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。20一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」22弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。23イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。24人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」25イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

主の晩餐

26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」27また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。29言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」30一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

ペトロの離反を予告する

31そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。32しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」33するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。34イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」35ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。

ゲツセマネで祈る

36それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。37ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。38そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」39少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」40それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。41誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」42更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」43再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。44そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。45それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。46立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

裏切られ、逮捕される

47イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。48イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。49ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。50イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。51そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。52そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。53わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。54しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」55またそのとき、群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。56このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

最高法院で裁判を受ける

57人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。58ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。59さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。60偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、61「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。62そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」63イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」64イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」65そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。66どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。67そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、68「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。

ペトロ、イエスを知らないと言う

69ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。70ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。71ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。72そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。73しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」74そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。75ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

ピラトに引き渡される

27:1夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。2そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。

ユダ、自殺する

3そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、4「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。5そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。6祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、7相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。8このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。9こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。10主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。」

ピラトから尋問される

11さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。12祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。13するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。14それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。15ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。

死刑の判決を受ける

16そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。17ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」18人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。19一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」20しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。21そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。22ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。23ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。24ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」25民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」26そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

兵士から侮辱される

27それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。28そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、29茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。30また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。31このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

十字架につける

32兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36そこに座って見張りをしていた。37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。42「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

イエスの死

45さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。48そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。49ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。50しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。51そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、52墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。53そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。54百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。55またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。56その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。

墓に葬られる

57夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。58この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。59ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、60岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。61マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。

番兵、墓を見張る

62明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、63こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。64ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」65ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」66そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。

【説教】

 本日は、キリストのエルサレム入城とキリストの受難という出来事を覚える主日が与えられています。今週から始まる聖週間は、主イエスの十字架への道の最後の一週間です。本来であれば、この週は毎日の礼拝を通して十字架への備えをしますが、この主日にその始めのエルサレム入城と終わりの十字架の死を御ことばを通して覚え、復活への備えの時として過ごします。

 さて、イエスはエルサレム入城の時には、人々から「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」という熱狂的な歓待をもって迎えられます。まるで王による勝利の帰還です。しかしながら、その僅か数日後に彼らは「十字架につけろ」と叫ぶ者となったのです。

 神の御心を本当に悟っていたならば、人々はこのような声を上げることはなかったでしょう。なぜ「十字架につけろ」と叫びを上げたのでしょうか。それは「ねたみ」のためでした。この言葉の原意は「腐る」「堕落」という意味があります。すなわち、私たちがキリストを十字架につけろと叫ぶその心は腐ってしまっていたのです。非常に不都合な真実です。

 なぜならば、この出来事を扇動した祭司長やファリサイ派とは、自分たちこそが正統である、ユダヤ人の中のユダヤ人であるという自負がありました。それを突然現れたイエスによってその地位が危ぶまれた。自分たちが長い間大切にしてきたことを覆され、聞いたこともない教え、見たこともない御業によって、自分たちを脅かすような存在が現れたことに恐れを抱いたのです。

 その恐れが彼らの心を腐らせた、堕落させたのです。その思いが人の罪を露にします。神である御子をののしり、侮辱します。つばをはきかけ、棒で打ち、荊の冠を被せ、衣を裂き、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」とキリストの御ことばを引き合いに出しています。彼らは、ねたみのゆえにキリストの御ことばすらも嘲りの言葉にしてしまうのです。

 それは丁度、キリストが荒れ野で40日間の誘惑に遭われた時と類似しています。悪、言い換えるならば罪へとキリストを招こうとする。神の御力を見せたら、御ことばの上げ足を取ってののしる姿を通してあの悪魔に取りつかれているのが私たち自身であることを暴きます。つまり、キリストを十字架に架けたのは、わたしの内に蔓延る悪であり、罪なのです。主を主としながらも、私たちの心はいつでも「腐敗」し、「堕落」します。罪の力に勝つことは適いません。

 そのような悪に対してキリストは、ピラトの尋問を受けている所からひと言も発しません。ただただ沈黙のうちにこの出来事に臨まれています。何故なのでしょうか。このような時こそキリストの御力を示す時ではないかと思わされます。しかしながら、キリストのこの世でのお働きは「主が預言者を通して言われていたことが実現するため」(マタイ1:22)です。

 まさに、このキリストのお姿は、本日の第一日課のイザヤ書の御ことばの通りです。

「打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。」とあるようにこのことを十字架の場面で実現されました。そして、これが「罪から救う」(マタイ1:21)という神の御心の実現でもあるのです。

 この場面において主の御心を真に悟り、その御心に従順だったのは、キリストお一人でした。誰もが心にあるねたみに囚われ、腐敗し、堕落していました。また弟子たちも女性たちも「あなたがたは皆わたしにつまずく」(マタイ26:31)とキリストが語られていたように、キリストを離れていました。御心を真に悟っていたならば、泣くことも、悲しむこともなかったでしょう。ですからここにいた人々すべてが神から離れた存在となってしまっていました。

 そのようにして神から離れた者を神は見過ごすはずがありません。本来であればこの罪、堕落、腐敗、つまずきのゆえに私たち自身が裁かれるべきでした。つまり、このキリストが遭われた数々の侮辱、ののしり、痛みは私たちが負うべき重荷だったのです。裁かれるべきはわたしなのに、この十字架の場面ではあたかもわたしが神のようになって、御子キリストを裁くという大変に横柄で、傲慢な態度を神に取ってしまっているのです。

 あの十字架上での痛みも、嘆きも、死も私が受けるものであったことを福音は知らせています。しかしながら、神はそれを良しとするのではなく、私たちを罪から救うために御子を遣わし、御子もまた「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順」に歩まれたのです。それがこの場面における長い沈黙の意味です。

 この沈黙は、言葉を発する力がないのではなくて、神の御心に徹底的に従順に生きられた証しです。キリストが真に神の御心を生きられた、罪なき方であるしるしがこの沈黙でした。

 その沈黙を破ってキリストが発した叫びは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」でした。いかにも主の助けのない嘆きのように聞こえますが、そうではありません。これは詩編22編の御ことばです。このあとに続くことばに「5わたしたちの先祖はあなたに依り頼み/依り頼んで、救われて来た。6助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。」とあります。

 つまり、キリストは、私たちが担うべきあらゆる苦しみを負われるなかにあっても、主なる神に従順に生き、神こそが私の救いであることを十字架の上でも証しされているのです。ただ嘆きの内に死なれたのではなく、死を目の前にしても神にすべてを委ね、神こそが救い出してくださるという深い神への信仰の証言がこの「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉に示されています。

 救いが神から与えられることを最後までキリストは私たちにお示しになっています。私たちは、ねたみ、侮辱し、陥れようとします。私の罪があるだけにもかかわらず、それを見ようとせず、罪に罪を重ね続けます。荒れ野の悪魔が自分自身だとは気が付くことができない弱く乏しい罪人に過ぎないことが露わにされました。そのような私たちの救いのためにキリストは従順に、沈黙し、神の御心に従い続けてくださいました。

 この十字架の贖いがあったからこそ、私たちは救われています。神の御子の死を通して、いかなるときであっても神への深い信頼と従順をお示しになりました。いま、新型コロナウイルスの猛威が迫っています。礼拝の公開中止という現実の中で、ご一緒に集うことの適わない悲しみもあります。しかしながら、この苦難をもキリストは共に担っており、黙しながらも、私たちがその中で救いを得るように働いてくださっているのです。

 このキリストの従順と、神への深い信仰を私たち自身も倣い、キリストがそうであられたように、今こそ私たちも他者の痛みや苦しみを連帯し、共に担う者として歩んでまいりましょう。

 「見よ、主なる神が助けてくださる」この主の救いの出来事を見る者とされている恵みと喜びを覚えてこの聖週間、この困難の時を過ごしてまいりましょう。

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 

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