5月10日(復活節第5主日)の式文と説教
- ltnishinomiya
- 2020年5月10日
- 読了時間: 10分
礼拝式文 復活節第5主日
2020年5月10日(日)
1. 沈黙 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)
2. 祝福の挨拶
司式)父と子と聖霊のみ名によって
会衆)アーメン
3. キリエ ※ご家族と交唱してくださっても良いですし、お一人の場合は司式部分をお読みください。
司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。
司式)キリストよ、憐れんでください。 会衆)キリストよ、憐れんでください。
司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。
讃美唱 詩編31編2節‐6節、16節‐17節
31:2主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく/恵みの御業によってわたしを助けてください。
3あなたの耳をわたしに傾け/急いでわたしを救い出してください。砦の岩、城塞となってお救いください。
4あなたはわたしの大岩、わたしの砦。御名にふさわしく、わたしを守り導き
5隠された網に落ちたわたしを引き出してください。あなたはわたしの砦。
6まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。
16わたしにふさわしいときに、御手をもって/追い迫る者、敵の手から助け出してください。
17あなたの僕に御顔の光を注ぎ/慈しみ深く、わたしをお救いください。
4. 主日の祈り
A
司式)祈りましょう。
全員)全能の神様。御子イエス・キリストは道であり、真理であり、いのちです。私たちが互いに愛し合い、主の戒めの道を歩んで、御子の復活の命を世界中の人々と分かち合ことができるように恵みを与えてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
5. 聖書朗読
第一日課 使徒言行録 7章55節‐60節 (新)227頁
第二日課 ペトロの手紙一 2章2節‐10節 (新)429頁
福音書 ヨハネによる福音書 14章1節‐14節 (新)196頁
イエスは父に至る道
14:1「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。4わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」5トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」6イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。7あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」8フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、9イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。10わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。11わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。12はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。13わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。14わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
6. 説教 「父のみ名によって」 竹田大地牧師
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるよう に。
復活の出来事を覚える復活節にあって、キリストの復活を心に留めながら過ごしています。そのよう中で今日与えられている福音の御ことばは、キリストへの信仰の恵み、復活の豊かさをキリストご自身が顕してくださった福音です。ご一緒に与えられている福音を通して、神がお示しくださった復活の喜びと恵みについて聞いてまいりましょう。
私たちはいま苦難の時を過ごしています。これまで経験したことのないような苦難です。礼拝は1ヵ月近く皆さんで集うことができていません。皆さんの生活も一変したことだろうと思います。子どもたちは、新年度が始まっても普段のように幼稚園、保育園、学校に行くことができていません。大人も今までにない社会生活を強いられています。テレワークという聞きなれない言葉の働き方が突如表れました。同時に、これまでに当たり前と思っていた事がらが覆されたり、壊されたりして、新しい私たちの生き方を模索しなければならない段階に突入しているように思います。
いずれにしても、私たちの生活のありとあらゆる部分が、老若男女問わずに揺り動かされています。しかしながら、それでもなお、私たちの主の言葉は前進し続けていると思わされますし、この時にあって私たちを力づけ、導きをお与えくださっていると感じます。
その一つの基が今日の御ことばには記されています。それが「わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」という御ことばです。
私たちは神を見失います。モーセたちの荒れ野での40年が人間の姿を物語っています。彼らは何度も何度も神を見失い、神に背いてしまいます。しかしながら、彼らの前にはいつも雲の柱、火の柱が先導し、約束の地まで導いて下さいました。それは神がモーセたちと共に生きて働いてくださっている証しでもありました。
この事がらが、キリストを通して私たちにも示されています。私たちは、誰しもが弱さを担っています。強く見える人でも弱さがあります。その弱さのゆえに苦しむことも、悩むこともあります。そして、その弱さの最も現れるところは、死という出来事です。誰も死に抗うことができません。どんなに健康に過ごしても、どんなに権威があっても、病を負っていたとしても、貧しくとも人は死には勝つことができません。
そういう絶対的な力に対して人間はなす術もないというのが正直なところです。その弱さの頂である死をキリストも担われました。それが十字架の死です。神である方が、私たちの弱さを担ってくださったのです。全ての人のために死なれたということは、私の死を神が担われたということです。そして、その弱さの結果、絶望が残ったのかというならばそうでありませんでした。
キリストは三日目に復活されました。全ての人の弱さを担った神である方が復活されたということは、全ての人がこの弱さを克服する方の恵みに服していることを意味しています。つまり、キリストは、私たちとは関係のない者ではないということをお示しくださっているのです。もし、無関係であれば、キリストの死と復活は私たちにとって無意味でしかありません。
しかしながら、キリストが「わたしは道であり、真理であり、命である。」と語られたということは、キリストが私たちの道、真理、命となってくださっているという真実を告げています。キリストが私たちにとってなくてはならない存在として関係し、共に在るのだと語られているのです。
そして、たとえ私たちが「死」に服したとしても、その死をもキリストは共に担ってくださっているのですから「わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」という言葉の通りキリストは共におられるのです。キリストも私の死の所に居られ、そのキリストが復活を通して、キリストを通して示された永遠の命の営みの中に私たちが居ることを教えてくださっています。
つまり、キリストの行くところに私たちも共に在り、私たちの行くところにキリストが共に在る。永遠に続くキリストとの関係の中で私たちの命があることを今日の福音は伝えてくださっています。
新型コロナウイルスによって私たちはいつも以上に死を身近に感じています。また、病を覚えてそのことに心を砕かれている方もいらっしゃいます。死の恐れが私たちの心を取り巻いています。
そのような中でキリストは「わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」と語り掛けています。私の弱さ、苦しみ、悩み、悲しみのうちにキリストが居られ、キリストがそれを担い、それらにたとえ肉体的に、心理的に殺されても、復活が示されているように、それらを打ち破り、滅ぼす希望が与えられていることを十字架と復活を通して示してくださいました。
永遠に神と共に歩ませていただいている恵みを心に留めたいと思います。今だからこそこの福音が多くの人々にとって無くてはならない恵みと希望であることを思わされます。死の恐れが世界中を取り巻く中でキリストは「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と語り掛けます。
ただキリストを仰ぎ見、キリストの導きを信じ、この導き主であるキリストが、私たちを永遠に生きる者とし、死で終わらない希望を啓示してくださっていることを心に留めてまいりましょう。キリストと共に在る永遠の住みかに、私たちは既に今、導き入れられていることの平安を覚えてまいりましょう。
あなたの命は既に復活の希望の内にある。あなたの命はいつも、いつまでも神と共にある。
このことの恵みを豊かに受けつつ、今こうして死が渦巻いている時代にあって、この事がらを知らない方々にこの恵みと喜びの使信を隣人にお伝えする日々としてまいりましょう。
「心を騒がせるな」と語りたもう平和の神が皆さんと共に在って、皆さんを神にあって強くしてくださいますように。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
7. 信仰告白
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。
そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、お とめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
8. 教会の祈り
・みことばへの応答
・新型コロナウイルスと対峙している医療従事者、スタッフの方々を覚えて
・るうてるホームに入所している方々の生活、スタッフのお働きを覚えて
・西宮教会に集う方々を覚えて
9. 主の祈り
司式)祈りましょう
全員)天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
(アーメン)
10. 祝福
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。
父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)アーメン
11. 讃美歌 教団讃美歌 152番
1. 陰府のちからは うちくだかれて、
つきぬいのちの 花さきいでぬ。
ハレルヤ、ハレルヤ、 主よみがえりぬ。
2. あまつみつかい、 琴をかなでよ、
地なるもろびと、 よろこびうたえ。
ハレルヤ、ハレルヤ、 主よみがえりぬ。
3. よみのちからも 罪も失せたり、
死よ、汝(な)が刺(はり)は いずこにありや、
ハレルヤ、ハレルヤ、 主よみがえりぬ。
12. 沈黙
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