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5月16日(主の昇天主日)の式文と説教

主の御名を讃美いたします。 みなさんいかがお過ごしでしょうか。コロナによる緊急事態宣言もなかなか成果を出せていないようです。先行きが不安になります。ましてや、医療従事者の方々、学生の方々をはじめこの状況で普通の生活から切り離されている人々の心と体の疲れが幾何ばかりかと思わされます。 このコロナによってネットの利便性が以前にもまして注目されています。zoomやYouTube、さまざまなSNSの勃興などが挙げられるでしょう。 内田樹氏の「街場の共同体論」という著作の中に、ネットにおける人格と現実の人格が乖離している人が昨今増えているという指摘がされていました。 しかし内田氏は本来人間は「がさつだが優しいところがある」「謹厳に見えるが巧まざるユーモアがる」など複数の人格要素が同一人物の中に共存している。 それを「奥行」「幅」がある。 「清濁併せ呑む」「酸いも甘いも嚙み分けた人」というプラス価値を賦与されている。 でもネットでは攻撃的な性格の人間はどこまでも同一で攻撃的で、複雑な風味を出すことができない。 場面が変われば内向的な人、また変われば優しい人とすべての人格が乖離している。 というような内容が書かれていました。 人間の複雑さ、人間の奥行、幅。 それを無視した単一の見方をすること自体「あの人はこういう人だ」という答えありきで人や事物を見ることはとても危ういのだということに気が付かされます。 私たちの社会にもいろいろな問題があります。 抑圧されている人、被害にっている人の側に立つと、そちら側の意見ばかりを見てしまい、相手の中にある善いところも見逃してしまいます。 そういう意味で、人や事物が複雑で色々なことが共存しているということを忘れてはならないし、この事を念頭にしながら人や物事を見る目を養うことは大切なことだと思います。 キリストは、そのよう人間のただ中で生きられ、弱くされている人を強め、癒しもしました。しかし、同時にファリサイ派や祭司長たちの破れをも救おうとしました。 人間の複雑さ、奥行、幅を見つめながら、そのすべてを受け入れ、すべての人を救いへと導く方として私たちのもとに来られ、私たちと共に生きられたのです。 このキリストが私たちを一致へと導いてくださっているのだと気が付かされます。 様々に乖離があり、分離があり、分断がある中で真の一致を目指して歩まれたキリストに倣いつつ歩んでいければと願うばかりです。 引き続いて無会衆の礼拝です。皆さんと一つのところに集えないことは悲しいですが、これ以上の感染拡大を防ぐうえでも微力ながら教会として協力していきましょう。 本日も10時20分からライブ配信をいたします。 以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。 それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。 日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube

YouTubeでは、式文と讃美歌の歌詞を掲載して、YouTubeを見ながらご覧になれます。 どうぞそれぞれのところで神様のみ恵みに与かってまいりましょう。 皆さんの命が守られますようにお祈りしています。 在主 牧師


礼拝式文 主の昇天主日



1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)


2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって

 会衆)アーメン


3. キリエ

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。

 会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。


4. 主日の祈り

全員)全能の神様。御子は天に上げられ、御座の前で私たちのためにとりなしてくださいます。全世界のための私たちの祈りを聞き、終わりの時にすべてのものをあなたの栄光のうちに入れてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


5. 聖書朗読

第一日課 使徒言行録 1章1節‐11節 (新)213頁

はしがき

1:1‐2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。


約束の聖霊

3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」


イエス、天に上げられる

6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」


第二日課 エフェソの信徒への手紙 1章15節‐23節 (新)352頁

パウロの祈り

1:15こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、16祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。17どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、18心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

19また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。20神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、21すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。22神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。23教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。


福音書 ルカによる福音書 24章44節‐53節 (新)161頁

24:44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。49わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」


天に上げられる

50イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。51そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。52彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。


6.讃美歌 159番



7.説教


私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


今日はキリストの昇天を覚えて主日をご一緒に過ごしています。キリストは復活された後、40日間弟子たちとともに過ごされました。それは、「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」(使徒1:3)と記されているように、「神の国について話され」るためでした。そして、そのためにキリストは「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」くださったのです。


「神の国」とは、救いについて語られたということです。すなわちキリストが弟子たちに現れて語られたことは、神の救いとは何か明らかにするためだったのです。そして、それに不可欠だったことは「心の目を開いて」とあるように、私たちがあらゆる思いから自由になることだったのです。なぜこのようなことが必要だったのでしょうか。このことを考えることは、今日の昇天主日について深く理解する上で大切なことだと考えます。


そこで目を向けていきたいのは、使徒言行録でのキリストと弟子たちとのやりとりです。弟子たちは「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」(1:6)と尋ねます。

ここで弟子たちが語る「立て直す」とは「復興」「返還」するという意味の言葉がギリシャ語聖書では用いられています。そして、「時」という言葉は、ギリシャ語の数ある「時」という言葉において「クロノス」という言葉が用いられています。


クロノスという言葉における時とは、平たく言うならば、時の経過を意味する言葉としての時を表しています。それは言うなればどんどん流れていき、どんどん過去となっていく時です。もう一つ聖書で重要な時という意味で用いられる言葉に「カイロス」という言葉がありますが、これは決定的な時、「今この時」を表す意味として用いられています。


聖書においてはこの「カイロス」における時が重要です。神は初めから終わりまで永遠に時を支配し、「今」私たちに恵みを与えてくださっています。時の流れに過ぎ去っていくものではありません。もし私たちが神の永遠の時に目を向ける目があれば、神の恵みを過ぎ去るもの、あの時は良かったと過去を懐古するようなことはしないでしょう。


しかし、弟子たちは、過去の栄光を見ています。「イスラエルのために国を立て直す」ことに意識を取られています。過去のイスラエルの栄光、栄華、力強さに目を向けています。今、死から復活して永遠の命、時の中にあることをお示しくださったキリストを通して、私たち一人ひとりが神の永遠の支配の中に触れていること、置かれている事を理解していません。


キリストに対する期待は、ユダヤ人たちのそれと同じようにイスラエルの復興、かつての栄光、栄華、権威の帰還を夢見ている。未だにキリストの復活の意味を理解しきれていない姿を露呈しています。私たち人間は、本当に鈍く、頑なな心の持ち主でしかない存在であるといいうことを聖書から教えられています。


だからこそキリストは「父が御自分の権威をもってお定めになった時(クロノス)や時期(カイロス)は、あなたがたの知るところではない。」と語るのです。神の永遠の時の中にある神が下される決定的な「今」は神の領域であり、その時の流れについては、神の出来事であり、人間が恣意的に決めることではないと語られるのです。

私たちは、ただ純粋に神の永遠の時の中に生かされている存在であるという事を受け入れ、信じ、委ねていくことより他ないのです。


私たちには色々な願いがあります。コロナにおける事柄においても「イスラエルのために国を建て直す」時はいつだろうかという思いを抱きます。しかし、神の時は、常に恵みの今を刻みながら、神の国の完成へと進んでいきます。コロナ以前のあの時が良かったではないのです。私たちに与えられている時は、実はいつも神の「決定的な今」を刻み続け、神の大いなる恵みに富みたもうのです。


このようにして、人間が過去に囚われ、かつての栄光を夢見て、それを望む事をご存知だからこそ、キリストは、私たちの心の目を開き、知らせ、悟らせてくださるのです。もし、この事がなければ、たちまちに弟子たちはキリストがいた頃を懐かしみ、かつてのイスラエルの栄光を懐かしんでしまう事でしょう。


しかし、神の国の完成に向けて、神は常に働きかけています。そして、常に今この「時(クロノス)」に私たちのためにその御力を発揮し、恵みで満たしてくださっています。だからこそ、パウロは「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場」だと語るのです。


確かなる神からの賜物、キリストの受難と復活が今、私たち一人ひとりを満たし、教会もキリストにおいて全てが満たされています。ですから、神は私たちに神の永遠の時を見つめる目を与えられたのです。今、あなたはキリストの名により、キリストの十字架により、キリストの復活により大きな、大きな恵みと賜物で満たされている。


この福音の使徒として私たちは遣わされています。あらゆる国々でこの福音を待ち望んでいる方々が沢山おられます。永遠の時の中で、決定的な今に与えられている恵みを知らずに、絶望し、抑圧され、死に瀕し、涙している方々が沢山おられます。私たち自身もその一人でしたが、福音を通して「永遠の今」「決定的な今」を生きる喜びと希望を与えられました。


この希望を、喜びを宣べ伝えていきましょう。コロナ禍の困難、苦難の中にあって、また様々な社会的な問題を孕んだ世の中に生きながら、暗闇が支配してしまいそうな中で、真の光、真の希望、喜びの源であるキリスト・イエスを力強く共に世に伝えていきましょう。そして、この福音を聴くキリスト者である皆さんも、そうでない皆さんがこれからも神の御手の内にありますように祈りを合わせてまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


8. 信仰告白(起立)

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)


9. 献金


10. 教会の祈り


11. 主の祈り (起立)

司式)祈りましょう

 全員)天の父よ。

 み名があがめられますように。   

 み国が来ますように。

 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、私たちの犯した罪をお赦しください。

 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

 (アーメン)


12. 祝福 (起立)

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。

 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。


13. 後奏

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