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5月17日(復活節第6主日)の式文と説教

礼拝式文 復活節第6主日

2020年5月17日(日)

1. 沈黙 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)

2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって

会衆)アーメン

3. キリエ ※ご家族と交唱してくださっても良いですし、お一人の場合は司式部分をお読みください。

司式)主よ、憐れんでください。   会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。  会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。   会衆)主よ、憐れんでください。

讃美唱 詩編66編8節‐20節

66:8諸国の民よ、我らの神を祝し/賛美の歌声を響かせよ。

9神は我らの魂に命を得させてくださる。我らの足がよろめくのを許されない。

10神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。

11あなたは我らを網に追い込み/我らの腰に枷をはめ

12人が我らを駆り立てることを許された。我らは火の中、水の中を通ったが/あなたは我らを導き出して/豊かな所に置かれた。

13わたしは献げ物を携えて神殿に入り/満願の献げ物をささげます。

14わたしが苦難の中で唇を開き/この口をもって誓ったように

15肥えた獣をささげ、香りと共に雄羊を/雄山羊と共に雄牛を焼き尽くしてささげます。

16神を畏れる人は皆、聞くがよい/わたしに成し遂げてくださったことを物語ろう。

17神に向かってわたしの口は声をあげ/わたしは舌をもってあがめます。

18わたしが心に悪事を見ているなら/主は聞いてくださらないでしょう。

19しかし、神はわたしの祈る声に耳を傾け/聞き入れてくださいました。

20神をたたえよ。神はわたしの祈りを退けることなく/慈しみを拒まれませんでした。

4. 主日の祈り

A

司式)祈りましょう。

全員)永遠に生きておられる全能の神様。あなたは天と地のすべてを一つに結び付けてくださいます。豊かな憐れみによって、あなたのすべての子どもたちの祈りを聞き入れ、全世界に真理と平和の聖霊を授けてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

5. 聖書朗読

第一日課 使徒言行録 17章22節‐31節 (新)248頁

第二日課 ペトロの手紙一 3章13節‐22節 (新)432頁

福 音 書 ヨハネによる福音書 14章15節‐21節 (新)196頁

聖霊を与える約束

14:15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。20かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。21わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

6. 説教 「命と息とすべてを与える方」 竹田大地牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

キリストは、私たちが掟を守るから救われると語られませんでした。キリストが求められたことは、キリストを愛することでした。この事によって掟は守られると語られたのです。

これはまったく新しい教えでした。なぜならば、キリストの時代、掟は絶対でした。これに準ずることが救いにおいて最も重要な事がらと考えられていたからです。

しかしながら、私たちはこの掟を守ることができません。十戒すらも私たちは守ることはできません。「わたしの他に神が在ってはならない」と語られる主なる神以外のものを神としてしまう私に気づかされます。刻んだ像を造ってはならないと聞いていながら、お金や権威、綺麗な服、また人に魅せられます。

どうしても私たちは神から与えられた掟を守ることができないのです。しかしながら、キリストは冒頭に述べたように掟を守ることによって神との義しい関係に生きるのではなく、まず神を愛すること、キリストを愛することをはじめとされたのです。

すなわち、そこには新しい関係が神と人との間で結ばれているということを現します。それまでは、神との義しい関係の在り方は、神から与えられた掟、すなわち律法を守ることによって保たれると考えられていました。しかしながら、そうではないとキリストは語るのです。では、その新しい神との義しい関係とはどのように結ばれるのか。

それが「愛」なのです。しかもこの愛はアガペーの愛です。アガペーは、人にまったく見返りを求めない愛の姿です。これをしてくれたから愛するという交換条件の愛ではありません。ですから、掟を守るから愛されるという愛はアガペーではありません。そのような愛の形を主イエスは打ち壊されたのです。

では、このアガペーによる関係はどのように結ばれるのかということが問題となります。私たちはどうしても見返りを求めようとします。愛しているのだから愛してほしい。これだけしたのだから、これだけの見返りが欲しい。と自分のしたことに対する対価を求めるのです。

では、キリストを愛し、掟を守るということはどういう事なのかと申しますならば、神の御心に委ねて生きるということです。「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」「わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいること」と語られているように、キリストもまた人として生きられ、そのキリストに神が生きているから、キリストも生きたのです。

十字架のキリストは、人々から排斥され、罵られ、裏切られ、殺された姿そのものでした。しかしながら、このお姿こそがキリストが神にすべてを委ね、神と共に生きた徴でした。自分が理想とする姿ではありませんでした。キリストご自身深い悩みのうちにこの杯を取り去ってほしいと願った姿です。

しかし、キリストは、「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」こと、言い換えるならば神の命こそがご自身の命であり、生きることだと信じたのです。それは神のなすがままを生きることです。

この苦しみ、痛み、孤独を担われた姿に、私の罪、掟を守りえない自分、神の命のなすがままを生きられない自分のために、キリストが神のなすがままを生きられ、私たちにアガペーをお示しになったことを知るとき私たちは神から愛されていることを知るのです。

理想の自分、神と義しい関係に生きている自分になることではなく、キリストの十字架の死を受け入れるとき私たちはキリストを愛することができるのです。そして、このキリストを愛することができるのは、私たちがその十字架に委ねたからではありません。

私たちは本質的には、神のなすがままを生きることはできませんし、それを否もうとする罪の力が働いています。罪人でしかないという現実がなすがままであることを妨げるのです。

だからこそこの妨げを打ち破る者をキリストは遣わすと約束されたのです。それが「真理の霊」です。真理とは、どのような事態、状況にあっても、またキリストのように排斥され、裏切られ、痛みを負い、苦しみを担い、死んでも神のなすがままを生きることです。この「真理の霊」が私たちに注がれる時、私たちはキリストの十字架を通して示されるアガペーを知るのです。

神のアガペーを知り得なかった私たちは「真理の霊」によって知る者とされ、神のなすがままを生きること、すなわちキリストの掟を守ることができるのです。そして、その基がアガペーであるのですから、なすがままを生きるとは、キリストが私を愛されているという真理をそのままに受け入れるのです。

この事によって最も大事な掟である「互いに愛し合う」ことが成るのです。神と愛し合い、キリストと愛し合い、隣人と愛し合い、アガペーの命を生きる者とされ、見返り、報酬、対価を求める愛、理想的な自分だから愛されているのでなく、キリストのなすがままの命を生きる者とされていることによってのみ喜びと平安が与えられるのです。

愛すること、何かをすること、守ること、行うことではなく、キリストの愛をそのままに受け入れることによって私たちは生きるということです。キリストの命を生きるのですから、それは復活によって示されたように永遠に神と愛し合い、キリストと愛し合い、隣人と愛し合いながら生きることの現実が成るのです。

いま、私たちの取り巻く状況は、他者をそのままに受け入れ、それを守ることができないでいます。医療従事者やその家族が差別や偏見の目に晒され危機に陥っていますし、ライフラインを守っている人々に罵声が浴びせられ、社会的な弱者が益々弱められて、神によって与えられた命をそのままに守ることができていません。為政者たちも真に隣人が神のなすがままに生きることを守るためではなく、むしろ妨げているような働きをしているようにしか思えないような状況です。

そのような中で今日与えられたことは、神から愛されていることによって、私たちの命は聞かざる必要が無く、神のなすがままに生かされていること、神と互いに愛し合う関係、隣人と愛し合う関係の中に生かされ、隣人の命をそのままに守ることを知らされています。

一つの命も失われたままにしておかない神が私たちを愛し、働いてくださっていることを覚えてまいりましょう。この神のお働きによって私たち自身もまた隣人を神のなすがままの命に生かす者とされ、必要が全て満たされていることを語りかけるキリストの御ことばを心に刻みながら歩んでまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

7. 信仰告白

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、お とめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)

8. 教会の祈り

 〇みことばへの応答

 〇為政者たちが神の御心に沿って人々を守る働きをなすように。

 〇新学期を迎えている子どもたちを覚えて

 〇西宮教会に集う方々を覚えて

9. 主の祈り

司式)祈りましょう

全員)天の父よ。

み名があがめられますように。

み国が来ますように。

み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

私たちの犯した罪をお赦しください。

私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

(アーメン)

10. 祝福

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。

会衆)アーメン

11. 讃美歌 教団讃美歌 156番

1. 主は活きたもう、 死ははや敗れて、 いのちのかどは 今しもひらかる、 ハレルヤ。

2. 主はいきたもう みまもりうくれば、 世も死も陰府も わが身をうばわじ、 ハレルヤ。

3. 主はいきたもう、 あめつちこぞりて、 主の主とあがめ、 きみとしたたえよ、 ハレルヤ。

4. 主はいきたもう、 みくにのやすきと つきせぬいのち うくるぞうれしき、 ハレルヤ。

アーメン

12. 沈黙 

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