礼拝式文 聖霊降臨主日
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)
2. 祝福の挨拶
司式)父と子と聖霊のみ名によって
会衆)アーメン
3. キリエ
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
司式)キリストよ、憐れんでください。
会衆)キリストよ、憐れんでください。
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
4. 主日の祈り
全員)全能の神様。あなたは枯れた骨に命の息を吹きこみ、聖霊によってこの世に真理を顕されました。私たちに聖霊を注ぎ、あなたの真理によって造り変え、福音の言葉を告げ知らせる者にしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
5. 聖書朗読
第一日課 使徒言行録 2章1節‐21節 (新)214頁
聖霊が降る
2:1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
5さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」12人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。13しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
ペトロの説教
14すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。15今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。16そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
17『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。
18わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
19上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。
20主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。
21主の名を呼び求める者は皆、救われる。』
第二日課 ローマの信徒への手紙 8章22節‐27節 (新)284頁
8:22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。24わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。25わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
26同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。27人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
福 音 書 ヨハネによる福音書 15章26節‐27節,16章4節b‐15節 (新)199頁,200頁
15:26わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
聖霊の働き
16:4b「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。5今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。6むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。7しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。8その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。9罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、10義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、11また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
6. 讃美歌 186番
7. 説教
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
今日は、聖霊降臨祭、ペンテコステとして私たちは礼拝の時をご一緒しています。キリスト教における三大祝祭日の一つであり、聖霊降臨祭は教会の誕生の日とも言われています。この出来事をもって弟子たちが福音を世界中に宣べ伝え、各地に教会を誕生させたことに端をはする出来事だからです。そういう意味で、それは現在にまで続けられている働きです。私たちもまた、この聖霊降臨の出来事を受け継ぎ、この力を受ける者として今ここにあるのです。
キリストは、この聖霊の働きについて「世の誤りを明らかにする」と語られます。これは、ヨハネ福音書においてイエスとニコデモの対話の中で「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。」(3:20)という言葉の中に示されています。「明るみに」という言葉は、この16章8節の言葉と同じ言葉が用いられています。
この言葉は「晒す」「明るみにする」という意味に加えて「有罪を宣告する」「叱責する」「非難する」という意味があります。すなわち、キリストの福音を証しするということは、世の罪が明らかにされるということです。私たちが与えられている福音の恵み、喜びとは、この「罪が明らかにされる」ことによってより恵み深いものとなることを示します。
パウロは、この人が罪人であるという事実について「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」と表現しています。私に罪が在るという認識は、「うめき」と「産みの苦しみ」を味わうようなものなのです。それは言い換えるならば心の痛みと、身体的な痛みを伴っているということです。何故ならば罪の結果が死であるということと深くかかわります。
「死」は心身両面で人に大きな苦しみを負わせます。私たちは等しく誰もが死に向かって歩みながらも、それが迫ると恐怖し、いよいよ死が近いとき身体的にも大きな痛みがあることも知っています。キリストの十字架の場面がそうであったように、鞭で打たれるような、釘で十字架に打ち付けられるような、そして人々から凌辱され、侮辱されるようなあの痛みが死というものが迫る時襲うのです。
この痛みを私たちは負う者です。しかしながら、私たちはこのことが無いかのように生きてしまいます。この真実に蓋をして、時に自堕落に、時に自分勝手にといったように、死は確かに在るのに、それを無いものとして生きようとする。そして、この死を見つめずに生きるということは、神を見つめずに生きるということです。先週の説教の中でも申し上げましたが、私たちの命は神の時の中に在ります。そして、それを私たち自身でコントロールすることなどできません。生きるも、死ぬも神の時、神の決定的な時であるカイロスの出来事です。
死を見つめないということは、その神の決定的な時、御手を見つめないということ、神の時の中で生きているということを見つめない事であり、延いては神を見つめないで生きているということです。本当は、私たちの営みには常に死がある。罪が在る。それを忘れてしまい、場合によっては意識的に隠してしまうのが人間です。そうしていれば楽なのです。自分が罪人であること、その結果の死による裁きもないかのように生きられるからです。
真理の霊が明らかにすることは、この私たち一人ひとりが、そして人間全体が抱える罪と死を明かにすることなのです。聖霊は、私たちが恐れて目を逸らしている現実、事実を明らかにするのです。「私は罪人である」という変えることのできない真実を聖霊は明らかにするのです。あなたは、死ぬ者であるという真実の蓋を外し、明るみに出すこと、それが聖霊のまず一つの働きなのです。そういう意味で、聖霊によって齎されることは、ひどく先鋭的で、残酷なことです。
しかしながら、そのような真実を明るみに出しながらも同時に「その方がわたしについて証しをなさる」とキリストが語っているように、キリスト御自身について証しをしてくださいます。
「キリストについての証し」とは何か。それは、キリストが、この今、明るみに出され、非難され、有罪を宣告している私たち一人ひとりの罪を十字架によって負い、担い、私たちの代わりに死の痛みを伴われ、十字架の上で死なれ、三日目に復活されたということです。
このキリストの受難と復活によって、私たちの命が罪に死ぬ命ではなく、神の働きにより永遠に生きる命へと変えられたという真理を知らせるのです。キリストのお働きが、一言一句が、それまでは分からずにいた弟子たちが、この聖霊の力づけによってすべてを悟り、キリストの受難、復活、昇天の出来事、そして、今日の福音で語られている16章の御ことばの意味もすべて悟らせていただき、イエスは、救い主であるという証し人へと造り変えたのです。
そして、この力は「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」とあるように、そこに居るすべての人の上に注がれている神からの力です。「家」とありますが、それはこの時、弟子たちが居た家のみならず、それは世界をも意味しています。すなわち、世界中にこの聖霊の御力が満ちて、一人ひとりの上に注がれているのです。
私たちは、この聖霊降臨の出来事を通して、一人ひとりが聖霊によって罪人であることを明らかにされます。これによって、私たちは否が応にも自分自身の罪、死と向き合うことを神によって示されます。その上で、聖霊は、キリストについて証しをし、私たち一人ひとりがキリストの十字架と復活によって救いへと導かれていることを明らかにされるのです。
罪と福音が聖霊によって明らかにされる。これによって私たちはより一層福音が大いなる恵みとなり、この神の栄光を豊かに受け取る者とされるのです。
罪だけが明らかにされるのでも、福音だけが明らかにされるのでもないのです。どちらも大切な神の御ことばなのです。
罪が明らかにされるからこそ、十字架によって義とされている。
義が明らかにされるからこそ、罪人であることが明らかにされる。
このことの証し人として私たちは力づけられ、遣わされています。福音だけ、言い換えるならばいいことだけを語るのが宣教ではありません。罪と義(福音)を宣べ伝えることが私たち教会に与えられた召しです。そして、それは私の力、知恵によるのではなく、聖霊によるのです。その聖霊がこの世界に満ち溢れています。私たちの上に豊かに注がれています。
この力に満たされながら、この御力を通して与えられる御ことばとその恵みを世に力強く明かしていきましょう。キリストは見えずとも、神は見えずとも、そして、この聖霊が見えずとも、この聖霊が私たちと何時も共にあり、これからも私たちを豊かに導いてくださる神が在ることを覚えてまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
8. 信仰告白(起立)
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
9. 献金
10. 教会の祈り
11. 主の祈り (起立)
司式)祈りましょう
全員)天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
(アーメン)
12. 祝福 (起立)
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)アーメン。アーメン。アーメン。
13. 後奏
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