礼拝式文、週報のお知らせを掲載いたします。
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礼拝式文 復活節第4主日
1. 沈黙 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)
2. 祝福の挨拶
司式)父と子と聖霊のみ名によって
会衆)アーメン
3. キリエ ※ご家族と交唱してくださっても良いですし、お一人の場合は司式部分をお読みください。
司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。
司式)キリストよ、憐れんでください。 会衆)キリストよ、憐れんでください。
司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。
讃美唱 詩編23編
23:1【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
2主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
3魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
4死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。
5わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。
6命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。
4. 主日の祈り
私たちの羊飼いである神様。あなたは私たちひとりひとりの名を呼んで、死の谷を越えて安らかな地へと導いてくださいます。あなたの家に用意されている喜びの宴に向かって確かな足取りで歩むことができるよう、御声をもって私たちを導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
5. 聖書朗読
第一日課 使徒言行録 2章42節‐47節 (新)217頁
第二日課 ペトロの手紙一 2章19節‐25節 (新)431頁
福音書 ヨハネによる福音書 10章1節‐10節 (新)186頁
6. 説教 「主の声によって一つ」 竹田大地牧師
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるよう に。
本日の主日に与えられている讃美唱は、詩編23編です。現在、私たちを取り巻く状況下にあって、とても力づけられる詩編が与えられたと感じずにはいられません。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」という遠い昔の詩編作者の証しが、私たちを豊かにし、力づけてくれているからです。
さて、福音の御ことばに目を転じてみますと、イエスは「わたしは羊の門である」「わたしは門である」と語られています。その御ことばに続いてイエスは、「わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。」と語られています。
この言葉から分かることは、キリスト以前と以後という時の変位点があったということです。それは何かと言うならば、十字架の死と復活と言ってよいでしょう。この出来事が決定的な出来事として私たちにとっての命の本質の意味をすっかり変えてしまったのです。それは生き方の転換をもたらしたと言えます。
それは、私たちの罪に対する在り方です。イエス以前は祭司長や律法学者、ファリサイ派、サドカイ派という人々こそが救いに与ると考えられていました。この思考は、神の救いに与るうえで律法が絶対的な権威とされていたことに起因します。つまり、律法に従っているということが神の救いに与るために必要不可欠と考えられていたのです。
しかしながら、多くの人々は、これが必要不可欠な事がらであると分かっていながらも、それがならないということも痛感していました。特に主イエスの周りに居た人々は、この必要不可欠な事がらに欠けを覚えていた人々だったのです。自分たちには救いの確信に至る確たるものが無いという不安を抱えて生きねばならなかったのです。
この救いの在り方の転換を迎えたと申し上げましたが、それは「わたしを通って入る者は救われる。」という御ことばに集約されています。「わたしを通る」とありますが、これはどういうことでしょうか。この言葉は「enter」という意味があります。この意味を取って文字通り訳すならば「わたしに入るならば誰でも救われるだろう」となります。
キリストに入るとは、言い換えるならばキリストに委ねるということではないかと思うのです。皆さんも経験が無いでしょうか、初めて入る門の前で躊躇をしてしまうことを。そこに入ることに、一種の不安や、恐れがあります。ましてや、キリストに入るということは、私たちの知恵で言うならば、死の象徴である十字架に身を委ねていくことです。さらに、死んだ人が復活するという考えられないような出来事に委ねるということです。
その姿に救いがあるとは思えない十字架上のキリストに、まったく人間の知恵では信じられない復活に委ねることにも、私たちは躊躇してしまいそうになります。しかしながら、キリストにすべてを委ねる時、私たちの命は、神によって命を受けるのです。私たちは弱く乏しい羊です。何の力も持っていません。ましてや、罪に打ち克つ力など到底持ちえない私たちです。
滅ぼされるばかりです。時の宗教指導者たちは、律法を守ることのできない者を排除し、救いから遠ざけようと試みてきます。また、そのような人たちだけでなく、神から遠ざける力として、権威、地位、知識、お金、家、着る物、時には家族、友人など様々な事がらが列挙できます。悪の力、罪はそれらを用いて私たちを神から遠ざけようとありとあらゆる手段を使って、その関係に分断をもたらそうとするのです。
今、私たちを取り巻く状況は、色々なことに分断、欠けが生じています。信仰生活においては、教会に共々に集い、ご一緒に礼拝の恵みに与ることもままなりません。また、生活や健康に不安を覚えなければならない毎日です。そのような中で、医療従事者や運送業の子どもが保育園から登園拒否をされ、レジで心無い言葉を浴びせられたりする事件を毎日のように耳にします。平時であれば何とも思わなくても、欠けていることが多くなってきますと、人々に愛や優しさを施し、分け与えたりすることも躊躇してしまいます。
人々の不安や恐れが、人々の間に分断を生み、さらにはそれは神の愛、隣人愛に生きさせなくしているのですから、神との関係においても分断が生じていることを感じざるを得ません。しかしながら、キリストを通る、入ることによって、その思いや分断は滅ぼされるのです。
使徒言行録に「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、45財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」とあるように誰も欠けを覚えることなく、喜んで分け合い、支え合った姿が示されています。
さらにキリストは、羊飼いであると今日の福音に続いて語られているように、キリストご自身が私たち羊一頭々々のために働いてくださるのです。詩編23編にあるように、このキリストに委ねていく時、私たちには「何も欠けることがない」という確信を与えられるのです。それは時には、世の知恵や常識と反することもあるでしょう。かえって自分自身が苦難や困難さを抱えなくなってしまうこともあるでしょう。
しかしながら、ペトロが「キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残された」と勧めているように私たちはその苦難が苦難で終わるのではなく、神の羊、神を羊飼いとしているのですから、「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」ことを覚えていきたいと思うのです。
恐れは取り払われ、死はキリストの十字架の死と復活によって滅ぼされています。恐れが取り巻き、優しさが消え入りそうな小さな火となっている現状にあって、私たちは、それでも消えない希望の光を与えられていることを自分自身の心に刻みながら、同時にこの光があなたにも与えられているということを伝えていきたいと思うのです。
今こそ、教会が教会としてキリストの御ことば、犠牲、愛、奉仕とありとあらゆる事がらを示す時だと思います。その為にお一人おひとりが神から召されています。神との分断から一致、そして、それは私たち人間同士の分断をも克服していきます。「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」とあるように神が私たちの群れに仲間を加え、一つとしてくださいます。
キリストの十字架の死と復活を信じ、キリストに入り、神こそを羊飼いとする時、神によって一つとされる恵み、力強さ、平安を覚えてまいりましょう。キリストの復活を信じる一歩を踏み出していくことの喜びを覚えつつ歩んでまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
7. 信仰告白
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。
そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、お とめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
8. 教会の祈り
・みことばへの応答
・弱くされている人々の健康が守られるように。特に路上生活を余儀なくされている方を覚えて
・子どもたち、保護者、支える方々を覚えて
・西宮教会に集う方々を覚えて
9. 主の祈り
司式)祈りましょう
全員)天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
(アーメン)
10. 祝福
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。
父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)アーメン
11. 讃美歌 教会讃美歌108番
12. 沈黙
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