主のみ名を讃美いたします。
教会の紫陽花が咲き始めました。梅雨の風物詩、風景が広がっています。
夙川沿いを、苦楽園方面に行きますと紫陽花の並木道があります。まだ行けていませんが、きっとそちらも色鮮やかに紫陽花が咲き始めていることでしょう。
コロナ禍に見舞われてからいつの間にか季節が移っていく日々となっています。
フッと目を凝らすと紫陽花が咲いているのを見つけて「あぁ梅雨なんだ」と気が付きます。
日本の気候には四季がありそれを古より大切にし、楽しんできましたが、それすらも奪われている状況にあります。
コロナ病棟の医療従事者の方々の中には、ホテル住まいを余儀なくされ、家族や恋人、友人たちと会うことも叶わない状況にあるそうです。そんな日々で四季を愛でることなどできないでしょう。
一日も早く四季を楽しみ、桜、紫陽花、向日葵、朝顔、秋桜が咲くことを喜べる日々が来るように祈るばかりです。
この瞬間も感染された患者さんを治療されている方々が沢山おられます。
病と闘っている患者さん、医療従事者の方々、保健所のスタッフの方々のためにお祈りください。
緊急事態宣言の延長が決定いたしました。合わせて西宮教会においても礼拝の公開自粛を6月20日まで継続することといたします。
自粛期間の延長は大変残念なことですが、どうぞそれぞれのところで引き続き主日の恵みに与ってまいりましょう。
パソコンが壊れてしまいましたので、先週に引き続いてフェイスブックで配信をいたします。10時15分頃にから配信を開始いたします。
お手数をおかけしますがインターネットで「フェイスブック 日本福音ルーテル西宮教会」と検索していただくか、下記のリンクからご覧ください。
また、礼拝後には速やかにYouTubeに礼拝の録画を掲載いたします。どうぞそれぞれのご都合のよろしい時に用いてください。
礼拝式文 三位一体主日
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)
2. 祝福の挨拶
司式)父と子と聖霊のみ名によって
会衆)アーメン
3. キリエ
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
司式)キリストよ、憐れんでください。
会衆)キリストよ、憐れんでください。
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
4. 主日の祈り
全員)天地の主である神様。宇宙が創られる前、時の始まる前から、あなたは三位一体の神として、創造の主、永遠の救いの御言葉、命を与える知恵の霊です。あなたの霊によって真理をことごとく悟り、キリストが啓示したすべてを宣べ伝え、栄光の喜びに共に与ることができますように。栄光と賛美が父と子と聖霊であるあな たに今も後も永遠にありますように。アーメン
5. 聖書朗読
第一日課 イザヤ書 6章1節‐8節 (旧)1069頁
イザヤの召命
6:1ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。 2上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。3彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
4この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。5わたしは言った。
「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。
「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
8そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。
「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
第二日課 ローマの信徒への手紙 8章12節‐17節 (新)284頁
8:12それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。13肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。14神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。15あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。16この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。17もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
福音書 ヨハネによる福音書 3章1節‐17節 (新)167頁
イエスとニコデモ
3:1さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。2ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」3イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」4ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」5イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。6肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。7『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。8風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」9するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。10イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。11はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。12わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。13天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
6. 讃美歌 70番
7. 説教
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
教会暦は聖霊降臨後の主日を迎えています。神が送ってくださった聖霊の御力に導かれながら歩む日々を覚えて過ごしていきます。そして、聖霊降臨のできごとを覚えた次の週は、三位一体主日として礼拝の恵みに与ってまいります。私たちの信じる神が父と子と聖霊のみ神であることを覚える日として与えられています。そのような中で与えられている御ことばは、イエスとニコデモの対話からです。この与えられている福音を通して、今日与えられている神のみ恵は何か聴いてまいりましょう。
さて、「彼(キリスト)を通じて世が救われるためである。」とキリストは語られます。救いの真理についてこの言葉はよく顕しています。私たち人間の救いとは、「キリストを通じて」のみ適うということです。これは、私たちにとってはどちらかと言うならば、世の通念や観念からするならばあまり受け入れられることではありません。なぜならば、私たちは何か報酬を得るのであれば、その代価が必要だと考えるからです。野菜一つ手に入れるのに、畑を耕し、その野菜を育てる労力か、その作物を買うための金銭が必要になります。そして、この運動は当たり前だと誰もが考えています。
しかしながら、この「キリストを通じて」救いに至るという運動は、そういった等価交換の観念を打ち破るものなのです。そのことをキリストは「新しく生まれなければ」得ることはできないと語ります。それは正しく「新しく」されるということです。命の転換をしなければ私たちは神の救いに与ることが出来ないのです。
そのことについて今日の第一日課のイザヤ書におけるイザヤの召命の記事によく顕されています。イザヤは、神の顕現を目の前にして怖れを抱きます。何故ならば、神を見るということは、即ち死を表すからです。そのことにイザヤは恐れをなします。なぜ恐れるのか。その理由は明白です。神との関係性において正しい関係に生きられていないからです。人間同士でも後ろめたさがあると、その人と顔を合わせたり、鉢合わせしたときにバツが悪いということはあります。
神との関係性において、関係が正しくない状態というのは、神に対して罪を犯しているということですから、それは即ち裁きと死が待ち受けているのです。だから神を見ることを人は恐れるのです。しかしながら、そのような人間に対して神は、「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」と語ります。私たちが何かをしたから赦されたのではなく、神ご自身が臨み、私たちの罪を一方的に赦すことによって、その関係は回復したのです。
この回復の出来事がキリストの十字架の死と復活です。このことによって、神と人との敗れた関係は回復し、私たちは救いに与る資格を得たのです。まさに「キリストを通じて世が救われ」たのです。本来であれば私たちは、神の裁きによって死ぬべき存在でした。それにもかかわらず、神はキリストを世に遣わし、このキリストの出来事によって私たちを救いへと導いてくださったのです。
そして、この確信は「新しく生まれる」ことによって真に悟ることが出来ます。その大切な要素としての「水と霊」をキリストはお示しくださいました。それは、洗礼の恵みを思い起こさせます。洗礼は、水による死と清めを意味します。そして、キリストの洗礼の時に霊が降ってきて、「わたしの愛する子」という声が天から聞こえたと記されているように、霊によって私たちは罪人のままではなく、「神の子」とされるのです。それは今日パウロがローマ書の中で証しているとおりです。
霊によって私たちは父なる神、子なる神キリスト、聖霊なる神という三位一体の神、三つの位格を持ちながらも独りの神によって、古い命を捨てさせていただき、新しい命の内に生きる者と造り変えられることを深く悟るのです。
そして、この永遠の命は、初めにキリストが復活されることによってお示しになりました。だからこそ、私たちは「神の相続人、しかもキリストと共同の相続人」なのです。キリストと同じ命を得させていただいている存在とされている不思議を私たちは受けるのです。
私たちの命がいつも神の一方的なお働きの内にあり、まさに私たち一人ひとりの命が神の御手の内にあることを覚えます。神からの善いもの、キリストが受けられた栄光を私たちも受けています。ですから、例えどんなに自分が自分自身を蔑み、馬鹿にし、傷つけても、例え他者が私の命や存在を侮辱し、危機に晒しても、私の命は、神の恵みを受ける存在として、神から愛され、尊ばれ、大切にされているのです。
さらに造り変えられた私たちに神は「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」という呼びかけをなさいます。新しくされた私たちは神の子として、神の御ことば、恵みを隣人に宣べ伝える働きを要求されているのです。救われたことが終わりではありません。私たちは、そこから、自分自身のために生きる生き方ではなく、神の御ことばを宣べ伝える者として、神の恵みを隣人のために届ける働きに召されているのです。
これから、聖霊降臨後という教会暦の中でも一番長い期間に入ります。それは、教会の歩みを覚える時でもあります。そして、その始めの時にあって、私たちは神により新しくされ、遣わされていることを覚えています。ただ世に出ていくのではありません。新しい命を与えられることによって、即ちキリストを通ることによって私たちは神の御ことばを喜びと感謝をもって誉め称え、讃美しながら声高らかに宣べ伝える教会の働きに召されています。
私たちの歩みに父と子と聖霊の神が共に在り、神の子とされ、神の相続人とされている。真に豊かな神からのもので満たされながらの歩みです。今がそうであるように苦難、困難、艱難があります。しかしそれ以上の希望があります。喜びがあります。恵みがあります。栄光があります。あらゆる善いもので満たされながら共に神の福音を力強くこれからも宣べ伝えてまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
8. 信仰告白(起立)
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
9. 献金
10. 教会の祈り
11. 主の祈り (起立)
司式)祈りましょう
全員)天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
(アーメン)
12. 祝福 (起立)
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)アーメン。アーメン。アーメン。
13. 後奏
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