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ltnishinomiya

5月9日(復活節第6主日)の式文と説教

主の御名を讃美いたします。


おはようございます。


緊急事態宣言の延長が決定いたしました。

当初は本日まで礼拝自粛でございましたが、宣言延長に伴い5月30日の礼拝まで自粛を延長いたします。どうぞ皆さんご安全にお過ごしください。


立夏を迎え、暦の上では夏を迎えています。

この季節になるとバラが奇麗に咲き始めていますね。

神戸東教会に行くときに山手幹線を通っているのですが、岡本のあたりの交差点の一角には小さなバラ園があります。まさに満開。美しいバラが咲き誇っていて、徒歩の方はゆっくりバラを堪能している姿を目にします。


ルターの紋章は空色の地に白薔薇、その真ん中には黒い十字架、そのバラの周りを金色の円環があしらわれています。

白薔薇は慰めと平和と喜びの証し、霊の色であり、黒い十字架は罪と死を現わしています。そして、金環は、永遠の命を表現しています。

ルターの紋章にもルター神学、ルーテル教会の信仰が豊かに表されています。

この紋章を見るごとに私たちはキリストの十字架の死と復活によって永遠の命を与えられ、神の慰め、平和、喜びの内に生きていることを想い起したいと思います。


引き続いて無会衆の礼拝です。皆さんと一つのところに集えないことは悲しいですが、これ以上の感染拡大を防ぐうえでも微力ながら教会として協力していきましょう。 本日も10時20分からライブ配信をいたします。 以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。 それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。 日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube

どうぞそれぞれのところで神様のみ恵みに与かってまいりましょう。 皆さんの命が守られますようにお祈りしています。 在主


牧師


礼拝式文 復活節第6主日


1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)


2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって

 会衆)アーメン


3. キリエ

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。

 会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。


4. 主日の祈り

全員)神様。あなたはあなたを愛する者に、計り知れない喜びを与えてくださいました。思いをはるかに超えた約束に与かることができるように、すべてに優ってあなたを愛する愛を注いでください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


5. 聖書朗読

第一日課 使徒言行録 10章44節‐48節 (新)234頁

異邦人も聖霊を受ける

10:44ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。45割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。46異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、47「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。48そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。


第二日課 ヨハネの手紙一 5章1節‐6節 (新)446頁

悪の世に打ち勝つ信仰

5:1イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。2このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。3神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。4神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。5だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。


イエス・キリストについての証し

6この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。


福音書 ヨハネによる福音書 15章9節‐17節 (新)198頁

15:9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」


6.讃美歌 461番



7.説教

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


私たちの世には分断があります。力を持っている者と持っていない者、富める者と貧しい者、健常者と障がい者、高い者と低い者、同胞の者と異邦の者、異性愛者と同性愛者など多くの分断があることは火を見るよりも明らかです。そして、それらは互いに敵対し、傷つけ合い、力を持つ方は抑えつけたり、黙らせたりします。そういう光景を私たちは様々な所で見ます。今、議論されている入管法の改正の問題でもそれが噴出しています。また、コロナにおいても誰が悪い、この方策が良くないという分断が生れています。


人間は、いつの時代においてもそういう分断を社会の中に造り出し、人間本来の在り方を決めつけ、弱者や、数の少ない者を抑圧してきた歴史を刻んできました。そうして起きることは、社会の片隅で捨てられる人が現われ、放置されていくという事がらです。そこに愛があるとは思えません。もし、私たちが本当に愛を抱いていればそのようなことは起こらなかったでしょう。


今日の第一日課においてもそのような分断の姿を垣間見ることができます。「割礼を受けている信者」とはユダヤ教徒のことを指している言葉です。この出来事が起こったのはカイサリアというサマリア地方の街です。本来であれば、サマリアはユダヤ人たちと敵対している地方ですが、そこにもユダヤ教徒が居たようです。そして、この時ペトロの話を聞いていた人々の中には、ユダヤ教徒以外の人も居たようです。


ユダヤ教との視点に立つと、そのような人々に神の救いや力が及ぶなどとは思ってもみなかったのでしょう。当時のユダヤ教徒特有の選民意識が強くあることが分かります。

しかし、この時、キリストについての証しをしたペトロの言葉を聴いた異邦人の上にも聖霊の賜物が注がれたのです。それは、大きな驚きでした。異邦人が救われるなどとはユダヤ教徒の人々は誰も思いもしません。にもかかわらず、事実、彼らは、異邦人の上にも聖霊の賜物が注がれるという出来事を目撃したのです。


異邦人は汚れた存在であると考えが色濃くありました。彼がエルサレムに帰ったのちも、「割礼を受けている者たち」が彼を非難しました。キリスト者の間にも古い伝統に生き、異邦人との交わりをよく思わない人々が居たことが分かります。私たちは、聖書を通してキリストの愛、神の愛について再三にわたって教えられています。そして、その頂点がキリストの十字架であることも常に語られています。


そういう神の愛の出来事に与かりながらも私たちキリスト者の間にも分断が存在している。これは何も昔のペトロの時代の教会に限ったことではありません。今も確かに存在することです。本当につまらないことであり、くだらないことです。誰が上で、誰が信仰が篤いか、あの人はどういう人か、そんなつまらないモノを物差しにしてしまうことは教会の群れにも起こることです。


そこに愛はあるかと問われれば、そこに愛はありません。誰が上で下か、誰が優っていて、劣っているか、社会の中でも、教会の中でも起こりうることこの事象においては愛は無いと言えるでしょう。

それにもかかわらず、ヨハネは手紙の中で「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。」と言ってのけます。私個人にしてみればとても大胆なことのように思えます。何故ならば神を完全に愛せない自分が居ることに気づかされ、知っているからです。「神の掟は難しいものではありません。」などと言えない自分が居ることは明らかです。


しかし、ここで大切なことは、自分には愛が無いという気づきです。私たちは、自分自身では愛を全うすることはできないのです。そういう限界を思い知らされた時に思い出すのは、「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)という御ことばです。

キリストのみが人間としてのご生涯で唯一愛を全うされたかたなのです。


キリストは福音において愛を説いたのは「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるため」だと語られています。キリストにおける「わたしの喜び」とは何でしょうか。それは先のローマ書の引用にあるように私たちが罪人のままに死ぬことを良しとせず、罪を赦され、救いに至ること。これがキリストにおける喜びなのです。そのためにキリストは愛を全うし、十字架の上で死に、復活されたのです。


この愛を全うすることによって、私たちはキリストの僕でありながら、キリストにより友とされる。主従でありながら、同時に友として喜びを分かち合い、愛を分かち合い、永遠の命を分かち合う者とされているのです。私たちの生きる道が友であるキリストと共に歩む道であるという真実に気づかされます。

しかもそれは、私自身がキリストを見いだしたのではなく、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」とあるように枝である私たちが農夫である神によってキリストに接ぎ木され、キリストの死と復活に与かり、喜びの内に生きる者とされているのです。


釜ヶ崎で働かれている本田神父は16節の「わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるように」という箇所を「あなたたちがわたしを身に帯びて父に願うことはなんでも、父がかなえてくださるように、」と訳されています。手前勝手な願いではなく、キリストを身に帯びて願うこと、キリストの御心を御心として、それをこの世に実現するために願う時、それはかなえられるのです。

だからこそ「神の掟は難しいものではありません。」とヨハネは語るのです。私の愛ではなく、キリストの愛が私の内で豊かに働き、神の掟を全うさせてくださる。キリストの愛によって私たちの関係は真の愛で結ばれ、すべての人が喜びの道を歩む者となるのです。


いがみ合い、けなし合い、けん制し合い、腹の中を探り合い、疑い合う世にあって、キリストは愛を全うされました。すべての人を友としてご自身の許に招き、すべての人を救いへと導かれました。この大いなる賜物に与かっています。大きな喜びに満たされています。キリストの愛が、私たちの内で働き、キリストの愛が私たちを、分断のある世へと遣わしています。


私だけならば恐れ多く、不安に取りつかれ、疑心暗鬼になり、私自身が分断を生み出してしまうでしょう。しかし、今、私たち一人ひとりの内で働き、力の源となっているのは、「神の愛」です。キリストの奴隷ではなく、キリストの友として、キリストの同労者として私たち一人ひとりを召し出してくださっています。働きには色々あります。しかし、それらが一体となってキリストの愛を豊かに世に顕す共同体として歩んでいきましょう。


世にある人々が「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」(エフェソ3:19)これからも福音を通して示されるキリストの愛によってもたらされる喜びの道へと招く働きを共に担ってまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


8. 信仰告白(起立)

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)


9. 献金


10. 教会の祈り


11. 主の祈り (起立)

司式)祈りましょう

 全員)天の父よ。

 み名があがめられますように。   

 み国が来ますように。

 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、私たちの犯した罪をお赦しください。

 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

 (アーメン)


12. 祝福 (起立)

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。

 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。


13. 後奏

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