top of page
ltnishinomiya

6月20日(聖霊降臨後第4主日)の式文と説教

主のみ名を讃美いたします。 20日で緊急事態宣言が沖縄以外が解除されます。長い期間様々な場面で我慢を強いられる中、政治の矛盾、市井の人々の混乱などを通して人間の弱さ、自己中心という良くない部分を露呈したように思います。もちろん良いこともありました。 今週届いたある教会の巻頭言は、釜ヶ崎の本田神父が説明された炊き出しの列に並ぶキリストの絵についての言葉でした。 キリストをどこに見出すか。 キリストは弱きものの側に立つ方であるということを本田神父はいつも訴えておられます。 そうであるならば、私たちは弱いのだから、キリストは私たちの内に生きておられ、隣人がキリストであり、隣人から見るならば私もキリストを映し出す、醸し出す者であるということを覚えていきたいと思うのです。 この思いが広まれば、私たちの世、社会は互いに仕えあい、愛し合い、誰もが生きるようになるのではないかとつくづく思わされます。 27日から礼拝を再開します。コロナ対策を十分すぎるほど講じながら、霊的な苦しみを分かち合い、キリストの御ことばによって強められる恵みの時を誰もが待ち望んでおられます。やはり私たちの信仰の養いの中心が礼拝であることを覚え、弱さの中に、隣人の内にキリストを見出す目と耳と心を養っていきたいと思います。


ユーチューブから礼拝の模様を配信いたします。10時20分からライブ配信を開始します。 以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。 それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。 日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube 新しい一週間が守られますようにお祈りしています。 在主


牧師


聖霊降臨後第4主日


1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)


2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって  

 会衆)アーメン


3. キリエ 

司式)主よ、憐れんでください。      

 会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。  

 会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。      

 会衆)主よ、憐れんでください。


4. 主日の祈り

全員)すべてのものの創り主・永遠に輝く神様。あなたは海と陸を治め、光と風を司られます。強い御手で導き守り、あなたの知恵で諭してください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


5. 聖書朗読 

第一日課 ヨブ記 38章1節‐11節 (旧)826頁

主なる神の言葉

38:1主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。


2これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは。

3男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。


4わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。

5誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。

6基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか。

7そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い/神の子らは皆、喜びの声をあげた。

8海は二つの扉を押し開いてほとばしり/母の胎から溢れ出た。

9わたしは密雲をその着物とし/濃霧をその産着としてまとわせた。

10しかし、わたしはそれに限界を定め/二つの扉にかんぬきを付け

11「ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。


第二日課 コリントの信徒への手紙二 6章1節‐13節 (新)331頁

6:1わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。2なぜなら、

/「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」

と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。3わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、4あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、5鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、6純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、7真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、8栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、9人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、10悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。

11コリントの人たち、わたしたちはあなたがたに率直に語り、心を広く開きました。12わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。13子供たちに語るようにわたしは言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください。


福音書 マルコによる福音書 4章35節‐41節 (新)68頁

4:35その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。36そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。37激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。38しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。39イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。40イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」41弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。


6. 讃美歌



7. 説教

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


パウロの宣教の歩みは紆余曲折の歩みでした。彼は、最初ユダヤ教のファリサイ派の一人としてキリスト者たちを積極的に弾圧し、捕えていた側の人でした。ステファノが殉教した時にも彼は「ステファノの殺害に賛成していた」(使8;1)とある通りです。そして、彼がダマスコで回心するときも、「主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。」(使9:1,2)とあるように当初はキリスト者を捕えて殺すためだったのです。


このようなパウロが、主キリストと出会い、それまでの生き方をまさに180度転換し、キリストの使徒として福音を当時の世界中に宣べ伝える大変重要な働きを成し遂げ、後世になり、アウグストやルターに大きな影響を及ぼす者となっていったのです。しかし、この回心の出来事を機に彼は大きな苦難の道を歩むことになります。それまで仲間でったユダヤ教徒たちに捕まれば彼もまた殉教するからです。この回心によって彼は命の危機に晒されることとなっていくのです。


しかしながら、パウロはあらゆる人を苦しめる事がらを忍耐をもって臨んでいると語ります。そして、それは「純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、7真理の言葉、神の力によってそうしています。」と語っている通り、彼自身による力や知恵によるのではなく、神の力によって、多くの苦しみを耐え忍ぶことができているのです。


なぜ、そのようなことが可能なのかというならば、先週の種の譬えにおいても語られていることですが、この世に神の国、キリストの贖いと救いの恵みが大きく成長していることを信仰によって確信しているからです。この信仰によって与えられる確信が、パウロを人の目には大きな苦難の道であり、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓を乗り越えさせ福音の宣教者として強く立たせ、歩ませるのです。


しかしながら、これらの苦難は大なり小なり私たちの人生の途上においても起こり得ることです。今日の福音はそんな私たちの歩みを映し出しています。キリストは「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに告げ、舟に乗って漕ぎ出します。これまでに湖のほとりで教えられていました。おそらくその場所はカファルナウム(1:21)というガリラヤ湖の北西の所です。そこからガリラヤ湖を舟で行こうとされたのです。


その途上で彼らは突風と波によって行く手を阻まれます。キリストの弟子たちの中には昔から漁師を生業としている人々も多くいました。言うなれば舟の操舵について、こういった事態におけるプロです。しかしそれでも危機にあって、右往左往してしまっています。キリストに「おぼえれてもかまわないのですか」と悪態をついてしまう。


言うなれば、それは信仰の歩みに置き換えてみるならば、キリストを信じてもなお、私たちは疑いを持ってしまう様を映し出します。出エジプトにおいてもイスラエルの民は「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」(出エ16:3)と不満の声を挙げたのと同じです。


信仰の危機、人生の途上における苦難に私たちは非常に弱い存在です。キリストが私たちの罪を贖い、救い出し、永遠のいのち、神と共に生きる者としてくださっていると信じてなお、一たび大波、嵐が猛り、大風が吹けばそれが揺らいでしまうことがあります。きっと皆さんも神に対して疑いを覚えたことはあるかと思います。


この舟旅が人生行路ならば、そこにキリストは確かに居られます。そうであるならば力強い、心強い、心配は無いと考えます。しかしながら、それを忘れてしまうのです。神が共にあることを忘れて、目の前の苦難、襲い来る苦難に心を奪われ、キリストが居られることを忘れ、あろうことか出エジプトの民にように、この弟子たちのように神を疑い、神を冒涜し、神を試してしまうのです。


そのような私たちにキリストは「風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われ」ました。そうすると風はやみ、凪になったとあります。大きな奇跡の出来事です。しかしここで注目したいのは、「叱り」という言葉です。キリストは人々を苦しめる悪霊を追い出す時も、霊に向かって叱られます。そうして多くの人々を癒してきました。「叱る」ということによって、叱られた者、事柄が解決されていくということは、キリストの権威がそれらに優るものであることを示します。


キリストは、誰も打ち勝つことのできない悪の力、人が抗うことのできない自然の力にも優る権威を持つ方なのです。このキリストが私たちの人生行路に共に在るのです。時として、私たちは苦難や災厄によって神を見失います。信仰が揺らぎます。しかしながら、今日の福音において確かなことは、それらを圧倒される力と権威を持っている方が共に在るという確信を示してくださいました。


パウロは、この確信によって宣教の歩みを一歩一歩進んだのです。だからパウロにとっていつ何時であろうとも「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」なのです。そして、何よりも「向こう岸に渡ろう」と語られたのはキリストです。

「向こう岸」とはどこでしょうか。キリストが指示される行き先が、地獄や、死でしょうか。そうではありません。キリストが語られる「向こう岸」とは神の国、救いであり、命です。そうであるならば、私たちは人生の途上でどんな苦難に遭おうとも、キリストと共に向かう行き先は救いであり、慰めのあるところであり、癒しのあるところであり、神のみ国です。


「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」とキリストは弟子たちに語られます。神共に生きている。キリストが共に居てくださることを信じ切られない弱い私たちです。しかし、キリストは共に居られます。そうであるならば、先にも述べましたように私たちの人生行路の行きつく先は、神の国であり、救いであり、命のあるところです。この福音を私たちは御ことばを通して教えられています。


改めて、私たちの人生行路にはキリストが共におられ、あらゆる悪と苦難を沈め、平安を与えてくださる力をもって、私に代わって力を振るってくださる方があります。今、まさに新型コロナウイルスによって私たちは大きな苦難を味わっています。普段の生活においても大きな影響を及ぼしています。不安や闇が大風、大波となって人々の心を揺り動かしています。


そのような中ではございますが、この歩みにおいてもキリストは共におられることを覚えていきましょう。そして、私たちのこの歩みは何であれ、キリストが「向こう岸に渡ろう」と語られた、その道を歩んでいるのですから、その先には救いと、希望と光があります。これを見失うことのないように、キリストを信じ、委ねていくことの恵みを刻んでまいりましょう。どんなに苦難が襲ってきても「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」という確信を信仰によって与えられています。そのような命の営みを与えられていることを新しく始まるこの一週間覚えてまいりましょう。


そして、この福音を待ち望んでいる苦難の中にある方、悩みの中にある方、疑いと嘆きの中にある方にパウロ同様に福音の使徒として、隣人に福音を力強く宣べ伝えてまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


8. 信仰告白 (起立)

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやど

 り、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけら

 れ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そ

 して全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれ

 ます。

 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、

 永遠のいのちを信じます。

(アーメン)


9. 献金


10. 教会の祈り


11. 主の祈り (起立)

司式)祈りましょう

 全員)天の父よ。

 み名があがめられますように。

 み国が来ますように。

 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

 私たちの犯した罪をお赦しください。

 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

 (アーメン)


12. 祝福 (起立)

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。

 会衆)アーメン、アーメン、アーメン。


13. 後奏



閲覧数:11回0件のコメント

Comments


bottom of page