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ltnishinomiya

7月11日(聖霊降臨後第7主日)の式文と説教

更新日:2021年7月18日

主のみ名を讃美いたします。


熱海で発生した土石流、今週は島根県、また週末には鹿児島県を中心に大雨による災害が発生しています。熱海の土石流の現場では必死の救助活動が続けられています。この文章を書いている間も20人の方々が安否不明のままです。

ご家族やお知り合いの方々のお気持ちを察するに、本当に心が痛みます。

神様の励ましと慰めがあることを祈るばかりです。

私自身も何度か地震、豪雨の被災地支援に携わらせていただく機会がありましたが、どの被災地においても明日が奪われることの大きな不安は計り知れないと感じています。

明るく振舞っていても、時々途方に暮れたような表情をされる被災者の方々の姿に触れてきました。

そういう時に思うのは、どうにかできるか分からないけれども、この人と共にあろうという思いです。今も被災地で出会った被災者の方々のお顔を思い出すことができます。四六時中とは言いませんが、被害に遭った時期が近付くと祈ることも増えます。

連絡先は知りませんけれども、そうやって祈りを通してつながり続けることで、その方と出会い、会話し、ともに土砂や瓦礫を掻き出し、家での思い出やご家族のことを聞いたことは忘れえません。

そのような繋がりを私たちは大切にしています。イエス様と直接に出会ったわけではありません。しかしながら、祈りを通してイエス様と繋がっていることを覚えることができるように、祈りとは人と人をも繋げる大切な働きがあります。

信仰生活において祈りが大切にされているのは、第一にイエス様、神様、聖霊との繋がりを覚えること、そしてもう一つ大切なことは、出会ってきた人々との繋がりを神様を通して結び続け、執り成しあっていくことだと思います。

だから、今日も私は祈ります。


ユーチューブから礼拝の模様を配信しています。

10時20分から始まります。 以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。

それぞれ置かれた所で神様の御ことばの恵みに与かってまいりましょう。


新しい一週間が守られますようにお祈りしています。 在主


牧師


礼拝式文 聖霊降臨後第7主日



1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)


2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって

 会衆)アーメン

3. キリエ 

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。

 会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。

 会衆)主よ、憐れんでください。


4. 主日の祈り

全員)神様。聖なる望みも良い諭しも正しい業も、すべてあなたの賜物です。僕である私たちが、平穏な心で迷わず御旨に従うことができるよう、世にはないまことの平和をお与えください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


5. 聖書朗読 

第一日課 アモス書 7章7節‐15節 (旧)1438頁

第三の幻

7:7主はこのようにわたしに示された。見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる。

8主はわたしに言われた。「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「下げ振りです。」主は言われた。「見よ、わたしは/わが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない。

9イサクの塚は荒らされ/イスラエルの聖なる高台は廃虚になる。わたしは剣をもって/ヤロブアムの家に立ち向かう。」


アモスと祭司アマツヤ

10ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。

11アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて/その土地から連れ去られる。』」

12アマツヤはアモスに言った。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。13だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから。」14アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。

15主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。


第二日課 エフェソの信徒への手紙 1章3節‐14節 (新)352頁

神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる

1:3わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。4天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。5イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。6神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。7わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。8神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、9秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。10こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。11キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。12それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。13あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。14この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。


福 音 書 マルコによる福音書 6章14節‐29節 (新)71頁

洗礼者ヨハネ、殺される

6:14イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」15そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。17実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。18ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。19そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。20なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、22ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、23更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。24少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。25早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。26王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。27そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、28盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。


6. 讃美歌




7. 説教

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


キリストの先駆者として遣わされたヨハネがへロディアの調略によって殉教していった出来事が今日与えられた福音です。ヘロデのヨハネの評価は、「正しい聖なる人」だということは非常に興味深いと思います。どこか心の片隅では、彼に対して神の聖性について見出し、それが真実ではないかという思いがあったという事実を伝えています。そして、そんな彼の教えに「喜んで耳を傾けていた」と書かれているほどに心酔していた様子も描かれています。


そういう評価を領主がしていますから、ヨハネを恨むヘロディアは、ヨハネを処しかねていたのです。そんな彼女に「良い機会が訪れた」のです。これはヘロディアにとっては良い機会ですが、神を信じる信仰に生きる者たちにとっては逆に「悪い機会が訪れた」ということになるでしょう。事実、ヨハネの首を要求されたヘロデは、「非常に心を痛めた」とあります。ヘロデにとって、まさに悪い機会となってしまったのです。


神と敵対する者、罪の力、悪の力は、常に機会を狙っています。狡猾に立ち回り、私たちを神から遠ざけようとしています。どんなに私たちが神を信じる信仰に喜びを見出し、毎週のように礼拝に出席し、御ことばに毎日触れていようとも、私たちはこの悪の狡猾さによってたちまちに罪に陥る様が、このヘロデの姿を通して教えられています。同時に人間の信仰の弱さをもヘロデの姿から教えられます。


と、言うのは、「誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。」とあるように世間体や、社会的な体裁を優先してしまうのです。キリスト者として歩みながら、キリスト者であることをどこか恥ずかしがって公表できない場面に出くわすことは誰でも経験があることがあると思います。この世的な思いが勝って、信仰の歩みを真っすぐに歩むことができなくなるのが人間です。


神に完全に従っていくことができない。むしろ、私たちは社会的な圧力、自分の体面を整えること、また乱されることを恐れて神の御心、神の聖性から自分自身を切り離していくのです。悪がいつも罠を張って、私たちを罪へと誘い、死に至らしめている。これが私たちの現実です。私たちの命は常に危険に晒されているのです。それは、信仰者であろうと、そうでなかろうと関係ありません。悪は私たちの命を根絶やしにしようといつも企んでいるのです。


神に従おうと願いながらも、従いえない。良心の痛みを覚えながら、悪事を犯してしまう。神の救いを求めながら、建前に縛られ、罪を犯し救いから遠ざかってしまう。そうして人間はいつも神に敵対しながら生きてしまうのです。それほどまでに悪の力、狡猾さは強力で、私たちの心を時に魅了し、時に困惑させながらも神に反させます。


また、このヨハネの死はヘロディアの執拗な恨みから起こった出来事です。自分たちの婚姻を律法違反だと公然と批判するヨハネに対してヘロディアは鼻持ちならない。時の権力者に盾突く人間など居ない。事実、この場面においても、ヘロディアの娘の要求に対して取り巻き連中は正規の裁判を経ないヨハネに対する処遇に誰も声を挙げていません。権力の腐敗、人々の怠慢が蔓延していたことが感じ取れる出来事です。


このヨハネの死は、そういった人間の罪の姿をことごとく浮き彫りにします。ヘロデとヘロディアの婚姻の罪、正しい事を成すことができない罪、罪あることであると気がついていても、神の御心よりも世間体や、自分の保身を優先してしまう信仰の弱さ、つまりこの出来事は権力者の横暴ではなく、私たち自身の姿を浮き彫りにする出来事なのです。


罪人の故にヨハネは死にました。キリストの先駆者として神から遣わされた洗礼者は、無残にも人の罪によって死に至ったのです。しかしここで気が付かされることは、このヨハネの死は、キリストの死の予型だったということです。キリストもまた罪人のために死にました。しかも、その裁判は、極めて不当な、言いがかりによる罠によってでした。ペトロがキリストと居たではないかと問い詰められたときに、ペトロは三度キリストを知らないと自分の保身のために偽りました。ピラトはキリストに罪を見出すことができなかったにもかかわらず民衆の暴動を恐れて、キリストを引き渡しました。


まさに、キリストの十字架の場面と同じことがヨハネの死の場面において起こっているのです。つまり、ヨハネの死は、キリストの死を伝える出来事だったのです。人間の罪の故に「正しい聖なる人」が死ぬ。しかし、このヨハネの死の予型によって、より一層キリストの死が私たちの罪の贖い、赦しの業であったことを鮮やかに描き出します。


ヨハネは、キリストの先駆者として「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝え」ていました。ヨハネの宣教はキリストの「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」といいうキリストの宣教の内実の先駆けとしてなされていました。そして、この死についてもヨハネはキリストの先駆けとして、罪人のために、救いに与かることなどできない者のために命を賭してくださったキリストの十字架の死を予型したのです。


このヨハネの死を通して私たちはキリストの十字架の死をその背後に見る者とされたのです。私たちの罪は重い、罪に罪を重ね、自分中心な生き方をしてしまう。手前勝手な存在であり、本来であれば救うに値しない私のためにキリストは死んでくださった。自分の命を贖いの生贄として献げられることにより救いを成し遂げてくださった。この福音を宣べ伝えるためにヨハネは生きるにしても、死ぬにしてもキリストを徹頭徹尾その生涯において証しし続けたのです。


今の社会の中で殉教するということはそうそうあることではないかもしれません。しかし、私たちもまた一人のキリスト者として再び来られるキリストの先駆けとして一人一人がこの世に命を与えられ、召しを与えられ、キリストの福音、神の御心を宣べ伝える者として立たされています。ですから、私たちもまた生きるにしても、死ぬにしてもキリストの恵み、キリストがなされた救いの御業を証しする者として歩んでいきたいと思うのです。


宗教離れ、宗教嫌いによって世間の風は厳しい、時として自分がキリスト者であることを隠してしまう。世間体を気にしてしまうことも経験します。本当に弱く、罪深い私たちです。しかしながら、それでもなお、今日の福音にあるヨハネの姿を通して示されているように、徹頭徹尾キリストを証しする命を与えられていることを覚えて、キリストが再び来られる時まで一心に、キリストの御心を御心としてキリストの恵み、神の愛を宣べ伝えていきましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 


8. 信仰告白 (起立)

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)


9. 献金


10. 教会の祈り


11. 主の祈り (起立)

司式)祈りましょう

 全員)天の父よ。

 み名があがめられますように。

 み国が来ますように。

 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

 私たちの犯した罪をお赦しください。

 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

 (アーメン)


12. 祝福 (起立)

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。

 会衆)アーメン。アーメン。アーメン。


13. 後奏





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