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7月19日(聖霊降臨後第7主日)の礼拝と説教

  • ltnishinomiya
  • 2020年7月18日
  • 読了時間: 11分

主日礼拝は5日10時30分から行います。


以下のURLをクリックしていただくと、ライブ配信がご覧になれます。


1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)

2. 祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって

会衆)アーメン

3. キリエ 

司式)主よ、憐れんでください。   

会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。  

会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。   

会衆)主よ、憐れんでください。

讃美唱 詩編86編11節‐17節

86:11主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように/一筋の心をわたしにお与えください。

12主よ、わたしの神よ/心を尽くしてあなたに感謝をささげ/とこしえに御名を尊びます。

13あなたの慈しみはわたしを超えて大きく/深い陰府から/わたしの魂を救い出してくださいます。

14神よ、傲慢な者がわたしに逆らって立ち/暴虐な者の一党がわたしの命を求めています。彼らはあなたを自分たちの前に置いていません。

15主よ、あなたは情け深い神/憐れみに富み、忍耐強く/慈しみとまことに満ちておられる。

16わたしに御顔を向け、憐れんでください。御力をあなたの僕に分け与え/あなたのはしための子をお救いください。

17良いしるしをわたしに現してください。それを見て/わたしを憎む者は恥に落とされるでしょう。主よ、あなたは必ずわたしを助け/力づけてくださいます。

司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、

会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン

4. 主日の祈り

全員)AE憐E(あわ)AれみAE深E(ふか)AいAE裁E(さば)AきAE主E(ぬし)A・まことのAE神E(かみ)AAE様E(さま)A。あなたはあなたのAE子E(こ)AどもたちをAE確E(かく)AAE信E(しん)AとAE憐E(あわ)AれみのうちにAE顧E(かえり)Aみてくださいます。AE御E(み)AAE子E(こ)AのAE道E(みち)AにAE根E(ね)Aざすことができるように、AE御E(み)AAE国E(くに)AにAE生E(い)AきるAE私E(わたし)AたちをあなたのAE霊E(れい)AによってAE養E(やしな)Aってください。AE救E(すく)AいAE主E(ぬし)A、AE主E(しゅ)Aイエス・キリストによってAE祈E(いの)Aります。アーメン

5. 聖書朗読

第一日課 イザヤ書 44章6節‐8節 (旧)1133頁

44:6イスラエルの王である主/イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。

7だれか、わたしに並ぶ者がいるなら/声をあげ、発言し、わたしと競ってみよ。わたしがとこしえの民としるしを定めた日から/来るべきことにいたるまでを告げてみよ。

8恐れるな、おびえるな。既にわたしはあなたに聞かせ/告げてきたではないか。あなたたちはわたしの証人ではないか。わたしをおいて神があろうか、岩があろうか。わたしはそれを知らない。

第二日課 ローマの信徒への手紙 8章12節‐25節 (新)284頁

8:12それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。13肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。14神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。15あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。16この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。17もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

将来の栄光

18現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。20被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。21つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。24わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。25わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

福音書 マタイによる福音書 13章24節‐30節&36節‐43節 (新)25頁

「毒麦」のため

13:24イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。25人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。26芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。27僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』28主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、29主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。30刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

「毒麦」のたとえの説明

36それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。37イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

6. 説教 「神に聴く」 竹田 大地牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

先週の「『種蒔き』のたとえ」に続いて、今日もキリストの譬え話から聴いています。今日は、畑に毒麦が蒔かれてしまったときの主人の采配についてキリストは語られています。そして、この譬え話の重要なことは、「天の国」についてキリストが私たちに啓示してくださったということです。

キリストが天の国について明らかにしてくださった譬え話ですが、皆さんは、「天の国」という言葉を聞いたときにどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。恐らく多くの人は、神さまと一緒に居て、とても幸せで、心も平和で素晴らしい所だと想像することだろうと思います。たしかに「天の国」とはそういう側面もあると思います。しかし、果たして本当にそれだけが「天の国」を顕すイメージだと聞かれるならば、今日の譬え話に照らすとどうもそうでないようです。

何故ならば僕と主人のやり取りから考えてみますと、どこからか毒麦が蒔かれて、毒麦も育ってしまっているわけですから、キリストの語る「天の国」には、良い麦も悪い麦も存在しているのです。すなわち、「天の国」という所は、完全な善人が100パーセント、純粋に住む場所ではないということです。

このように明らかにされて見えてくることは、「天の国」とは、私たちが生きるこの世に似ているということです。そこで言葉に注目してみるとキリストは「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。」とあるように良い種を蒔く人なのです。このことからまさに天の国とは、キリストを指しているのです。

また、たとえの説明でキリストは、「畑は世界」と語られていますが、この「世界」とは「地」とも訳すことができます。キリストは、天の国について語られていますが、それは即ち私たちの生きるこの世にキリストご自身が来られ、天の国を実現してくださるということを顕しているのです。


キリストは私たちの生きる「地」に来られ、良い種を蒔いてくださいましたが、「地」には、悪も存在します。その悪もまた種を蒔き、悪い麦を生らすのです。「地」においてキリストと悪魔が存在しているという現実の中に私たちは生きているということです。

そういう現実の中で私たちはよい種が蒔かれているにもかかわらず、悪が入り込んで毒麦を生らしてしまうのです。悪や罪の力に抗えず、本来であれば「燃え盛る炉の中に投げ込ま」れる者でしかない。そういう現実に私たちは苦しむほかありません。神の救いをいただきたい、良い麦となりたいと願いながら、それが適わない。悪の力は強く、私にはどうにも抗いきれない、そういう弱さを自覚せざるを得ないのです。

しかし、それこそが私たちの信仰の歩みです。神を信じながらも信じ切れない時がある。神に従っていきたいと願いつつも、従い得ない時がある。誰一人として完全な者、義しい者、すなわち良い麦として成長することは適わないのです。そういう私を、天使たちは刈り取ろうとします。

けれども、主人、つまり神はそのままにしておきなさいと僕たちに命じました。神は、良い麦も、悪い麦もそのままにしておくのは何故なのか。それは、終わりの裁きについては、神がなさることです。

さらにキリストは悪だから即裁かれるのではなく、その裁きの在り方とは、悪を根絶やしにすることではなく、悪をも内包し、救いへと導くことが神の御心だと語るのです。そういう憐れみ深い神が私たちのいのちの只中で働いているのです。

「世界」を私たちの心として置き換えて考えてみるとこの神の御心がより味わい深くなるのではないでしょうか。私たちには神への信仰、良い麦と神への不信仰、悪い麦が混在しています。私たちの中に存在する善と悪がある。本来であれば善であり、義しい者が救われるべきだと考えます。悪は根絶やしにしようとします。まるで罪人であるのに自分が義しい天使のような振る舞いをしてしまいます。

また私たちは、天の国には完全な者がお互いを労わりあい、仕え合い、愛し合う素晴らしく麗しい光景の広がる場所だと考えます。しかしそうではない。天の国とは、完全な者だけが生きるのではなく、善も悪も混在し、尚且つ悪に勝てない弱い罪人ばかりなのです。それはまさにキリストのもとに罪人が招かれている出来事に似ています。

ですから天の国は死後に行く世界ではなくて、今、この私たちが生きる世に天の国はあるのです。その中に私たちは生かされながら、成長しているのです。そしてその中で、神の霊に導かれながら「神の子」として生かされているのです。悪い麦を生らす心であるにもかかわらず、神はその私をそのままにするのではなくて、霊を送り、導き、義しい者へと造り変えてくださっている。

尚、私たちは悪の力に支配されて、苦しみます。悩みます。悲しむこともあります。どうしても神に従い得ない自分に絶望することだってあるでしょう。しかしながら、神の霊がその私たちを悔い改めへと導き、救いへと至らせます。悪である私を神の方へ向き直させてくださいます。その罪人の赦しの初穂すなわち良い麦の模範となられたのがキリストです。

キリストは、神の国、義しい人であったにもかかわらず、罪人の姿を取り十字架の死と復活を通して罪人に赦しを与えてくださいました。この希望によって私たちは生きているのです。悪のまま、燃え盛る炉に投げ込まれる者ではなく、この悪い麦である私を贖い、救い出してくださった方が与えられているという希望が私たちを生かし、天の国でつまり、父なる神、キリスト、聖霊なる三位一体の神と共に生きる者とされている。今、神からの希望によって、神と共に生かされている平安を得る者とされているのです。

そのような希望に照らされて、私たちは喜んで神に従い、仕え、そしてキリストが模範となってくださったように、隣人のためにこの神の救いの輝きを輝かし「太陽のように輝く」者として神の栄光を証ししていきましょう。苦しみがあり、悩みがある、悲しみがある、思い煩いがある、その中でこの福音に出会った喜び、つまりキリストは私たちの内に生きてあなたのために働いてくださっているという希望を世に力強く証ししてまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


7. 信仰告白

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)

8. 献金

9. 教会の祈り

10. 主の祈り

司式)祈りましょう

全員)天の父よ。

み名があがめられますように。

み国が来ますように。

み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

私たちの犯した罪をお赦しください。

私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

(アーメン)

11. 祝福

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。

会衆)アーメン、アーメン、アーメン。

12. 讃美歌 187番 (1節)

主よ、いのちの ことばを あたえたまえ、 わが身に。

われはもとむ、 ひたすら 主よりたまう みかてを。

アーメン


13. 後奏

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