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8月15日(聖霊降臨後第12・召天者記念主日)の説教

「わたしの肉を食べ、血を飲む」



主日の祈り

限りなき愛である神様。御子は世に いのち を与える生きたパンとしてご自身をお与えくださいます。御子の臨在を悟り、いつもあなたに仕えていけるよう復活の いのち によって、強め、守ってください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


聖書日課

讃美唱 詩編34編10節‐15節 (旧)865頁

34:10主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。

11若獅子は獲物がなくて飢えても/主に求める人には良いものの欠けることがない。


12子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう。

13喜びをもって生き/長生きして幸いを見ようと望む者は

14舌を悪から/唇を偽りの言葉から遠ざけ

15悪を避け、善を行い/平和を尋ね求め、追い求めよ。


第一日課 箴言9章1節‐6節 (旧)1002頁

知恵の勧め(四)

9:1知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。

2獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え

3はしためを町の高い所に遣わして/呼びかけさせた。

4「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」意志の弱い者にはこう言った。

5「わたしのパンを食べ/わたしが調合した酒を飲むがよい

6浅はかさを捨て、命を得るために/分別の道を進むために。」


第二日課 エフェソの信徒への手紙5章15節‐20節 (新)358頁

5:15愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。16時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。17だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。18酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、19詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。20そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。


福 音 書 ヨハネによる福音書6章51節‐58節 (新)176頁

6:51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」


【説教】

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


「来て、私のパンを食べ、私が作り出したワインを飲みなさい」と箴言において語られ、続いて「愚かさを捨てて、生きるために知恵の道を歩みなさい」と語られています。

考えてみますと、私たちは自分のものを自分のものとして認識しています。そして、それをたくさん持っていることを正義だと考えています。食べ物にしても、着る物にしても、私のものという意識が人間はどうも強いように思います。


これらのものは果たして私たちを本当に喜びに溢れさせ、生かすものなのでしょうか。もちろん、その瞬間は満足し、喜びが溢れるでしょう。しかしそれは一瞬のことであり、時が過ぎれば薄れていきます。すなわちそれが永遠に人を喜ばせ、希望に溢れさせ、満足させるものではないということです。けれども、それを得るために人は本当に四苦八苦し、躍起になっています。


富の分配が叫ばれて久しい世の中です。富の殆どが地球の北半球に偏っているということは皆さんもご存じでしょう。それは、今私たちの生活に猛威を振るっている新型コロナウイルスのことについても言えることです。ワクチンが圧倒的に南半球に集中する発展途上国や極貧国には足りていないのです。一方で先進国は、三回目のワクチンを打った方が良いなどと報道されています。何とかワクチンを確保するために誰もが躍起になっています。市井の人にしてもワクチン予約が取れた、取れないの話題で盛り上がっています。


私たちは何かを分かち合うことが本当に下手な生き物です。自分が生きることについ集中して他者を陥れたり、蹴落としてでも何かを得ようとしてしまうのです。今日与えられている讃美唱ではそんな人間の姿に対して戒めのように「13喜びをもって生き/長生きして幸いを見ようと望む者は14舌を悪から/唇を偽りの言葉から遠ざけ15悪を避け、善を行い/平和を尋ね求め、追い求めよ。」と歌い上げています。


私たちが真に喜び、満足し、希望の内に歩む最善であり、最短の道は「平和を尋ね求め、追い求めよ」ということなのです。「尋ね求め、追い求めよ」とは何をすればいいのでしょうか。私たちの考える平和を求めていけばいいのでしょうか。先の大戦においては、アジアの恒久平和のために日本はアジアへと侵略をしていきました。その結果は皆さんもよくご存じのことと思います。


まさに私たちは愚かであることを私たちの歩んできた歴史が証ししています。私たちの歩む道は、私たち自身によるならば愚かであり、平和などありえない道なのです。だからこそ、神は御ことばを通して、ご自身のもとへと招いてくださっているのです。第一日課の箴言の言葉を冒頭に述べましたが、これは私が訳しなおした箴言の言葉です。この9節の言葉において重要なことは「来て」という言葉なのです。私のもとに来なさいという主の招きがあり、そして主が私たちにご自身で用意してくださったパンとぶどう酒によって食卓を共にする麗しく、素晴らしい光景を示してくださっているのです。


私たちが真に平和の道を歩むうえで大切なことは、主の食卓に集い、主のパンとぶどう酒に与かることから始まる。すべてを分かち合い、平和の内に歩むために欠かせないこととしての主の招きと主の食卓が示されています。そして、それはキリストにおいてさらに深められていきます。キリストは「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」と語り、それが一瞬、一時の充足ではなく、永遠の命という限りない恵みとして与えられていることを掲示してくださっているのです。


そして、これは「このパンを食べる」ことによって与えられます。これは言い換えるならば「この私を信じる」ということです。キリストを信じる信仰によるならば、私たちは永遠に生きるのです。なぜならば、キリストは死を打ち砕き、復活し、天に昇られたからです。死ぬことなく、生きたまま、今も天において神の右に座っている。まさに永遠に生きておられる方の初穂として私たちの内に現れ、生きた方だからです。


この方を通して私たちは本当に満たされ、平和を得るのです。そして、分かち合うことの大切さを学び、いま与えられているすべてが誰から与えられているかを深く悟る知恵によって歩む者とされるのです。この信仰に生かされているのですから、私たちは平和です。もし、また愚かな道を歩み、自分の一時の充足を求めるのであればたちまちに神を離れ、神の恵みを失い、死に追いやられることでしょう。希望も、豊かさも、平和も失うことでしょう。


だから私たちは今日の福音を通して「パンを食べる」すなわち「キリストを信じる」信仰に生きることを刻み、知恵の道を歩んでいきたいと思うのです。そして、今日は召天者主日としても礼拝に与かっています。まさに先達の信仰者のお一人おひとりは、「キリストを信じる」ことによりそのご生涯を送り、天の祝宴のテーブルに帰っていきました。今も天でキリストと共に生きておられます。


つまり、キリストの信仰によって私たちは地においても、天においても結ばれている。今も共に神の恵みの内に生かされている存在として、祝福された存在として在るのです。同じ神からのパンとぶどう酒の恵みに与かり、同じ神の用意してくださった祝宴のテーブルについているのです。だから私たちは絶望しないのです。死が分かつことは無い、なぜならばキリストを信じる信仰により永遠に生きていることを確信しているからです。


この恵みと喜び、希望を私たちは分かち合っていきたいと思うのです。すべての人に主の「来なさい」という招きがあることを宣べ伝え、一時の充足ではなく、永遠に恵みの内に生かされている、いまもあなたは神の祝福の内に生かされ、キリストと共に在るという福音を宣べ伝えていきたいと思うのです。

いま、新型コロナウイルスによって様々なところで分断が起こり、分かち合うことに恐怖している世にあって、福音は神が備えてくださったパンとぶどう酒を分かち合うことによる恵みを示してくださいました。それは「キリストを信じる信仰」です。


この信仰に生かされている私たち自身、これを真の喜び、平和、平安、愛、豊かさ、恵みであることを覚えながら、力強く主を讃美しながら、詩編を口ずさみつつ、祈りを合わせ、福音を主と共に宣べ伝えてまいりましょう。主の平和が実現するように、先に召された者も、いまこの世で生きる者も、神の豊かな祝宴に与かっているという希望を宣べ伝えてまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

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