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礼拝式文 聖霊降臨後第12主日
2020年8月23日(日)
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)
2. 祝福の挨拶
司式)父と子と聖霊のみ名によって 会衆)アーメン
3. キリエ
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
司式)キリストよ、憐れんでください。
会衆)キリストよ、憐れんでください。
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
賛美唱 詩編138編1‐8節
138:1【ダビデの詩。】わたしは心を尽くして感謝し/神の御前でほめ歌をうたいます。
2聖なる神殿に向かってひれ伏し/あなたの慈しみとまことのゆえに/御名に感謝をささげます。その御名のすべてにまさって/あなたは仰(おお)せを大いなるものとされました。
3呼び求めるわたしに答え/あなたは魂に力を与え/解き放ってくださいました。
4地上の王は皆、あなたに感謝をささげます。あなたの口から出る仰(おお)せを彼らは聞きました。
5主の道について彼らは歌うでしょう/主の大いなる栄光を。
6主は高くいましても/低くされている者を見ておられます。遠くにいましても/傲慢(ごうまん)な者を知っておられます。
7わたしが苦難の中を歩いているときにも/敵の怒りに遭っているときにも/わたしに命を得させてください。御手を遣わし、右の御手でお救いください。
8主はわたしのために/すべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの慈しみが/とこしえにありますように。御手の業(わざ)をどうか放さないでください。
司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、
会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン
4. 主日の祈り
全員)神様。あらゆる時代の信じる者たちとともに、いのちの岩であるあなたをほめたたえます。私たちの堅い土台となって、私たちを御子のからだに形づくり、喜んで全世界に仕える者としてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
5. 聖書朗読
第一日課 イザヤ書 51章1節‐6節 (旧)1146頁
シオンへの帰還
51:1わたしに聞け、正しさを求める人/主を尋ね求める人よ。あなたたちが切り出されてきた元の岩/掘り出された岩穴に目を注げ。
2あなたたちの父アブラハム/あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。わたしはひとりであった彼を呼び/彼を祝福して子孫を増やした。
3主はシオンを慰め/そのすべての廃虚を慰め/荒れ野をエデンの園とし/荒れ地を主の園とされる。そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く。
4わたしの民よ、心してわたしに聞け。わたしの国よ、わたしに耳を向けよ。教えはわたしのもとから出る。わたしは瞬く間に/わたしの裁きをすべての人の光として輝かす。
5わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ/わたしの腕は諸国の民を裁く。島々はわたしに望みをおき/わたしの腕を待ち望む。
6天に向かって目を上げ/下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち/地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても/わたしの救いはとこしえに続き/わたしの恵みの業が絶えることはない。
第二日課 ローマの信徒への手紙 12章1節‐8節 (新)291頁
キリストにおける新しい生活
12:1こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。2あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
3わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。4というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、5わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。6わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、7奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、8勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。
福音書 マタイによる福音書 16章13節‐20節 (新)31頁
ペトロ、信仰を言い表す
16:13イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。14弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」15イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」16シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。17すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。18わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。19わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」20それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
6. 讃美歌 494番
7. 説教 「イエスとはだれか」 竹田 大地牧師
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
イザヤは、神への背信を繰り返すイスラエルに向かって神から「わたしに聞け、正しさを求める人/主を尋ね求める人よ。」という預言を与えられ語りかけています。
ここに示されている「正しさ」という言葉は、直訳するならば「正義」であり、キリスト教のことばに置き換えるならば「神の義」ということができます。
「神の義」とは何でしょうか。それは救いという事柄と同義の言葉です。キリストが「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい」と教えられた御ことばを思い出します。
キリストがこう語られるということは、その背後には私たちが「神の義」を有していないという真実を浮き彫りにします。つまり、私たちは神の救いについては獲得していない存在でしかないということです。
しかし、私たちは、キリストの十字架の死と復活を通して神の義、すなわち救いが与えられていることを知らされていますし、このことによって私たちの命は神の救いの内に在り、真の平和と素晴らしい賜物に日々生かされながら、希望を持って歩む喜びを与えられています。
このことを成し遂げられたのは、主なる神です。「あなたたちが切り出されてきた元の岩/掘り出された岩穴に目を注げ。2あなたたちの父アブラハム/あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。わたしはひとりであった彼を呼び/彼を祝福して子孫を増やした。」と語られているように、イスラエルの始祖であるアブラハムは「切り出されてきた元の岩」であり、その祝福の証は、長年不妊に悩んでいたサラに対する憐みと慰めでした。
この神への信仰がキリストを救い主、メシアであると告白させ、先に述べた恵みや賜物、喜びといった善いもので満たし、命を輝かすのです。私たちは本質的には「神の義」を自分自身の力や知恵、行いによって得ることはかないません。すべてが神からの一方的な恵みによって成し遂げられることを今一度覚えるように聖書は語りかけているのです。
そこで「神の義」という恵みについてもう少し掘り下げてみましょう。イザヤ書にある「正しさ」という言葉はヘブライ語では「ツェダカー」という言葉です。この言葉は原意としては「追い求める」という意味があります。この意味から導かれることは、神の義とは、神を求めることなのです。
つまり、神の義とは、神との義しい関係に生きることであり、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白して歩んでいくことです。
神と真っすぐに向き合い、神を真っすぐに見つめながら、横道、罪に陥り、逸れることのない関係を結び、救いの内に生かされていることが「神の義」であるということです。
しかしながら、始めに述べましたように私たちは罪を犯します。罪を犯すということは真っすぐに神を求め、神との関係から逸れている状態です。神は、このようなどうしようもない私を捨てて、関係を閉ざすのではなく、サラにイサクを与えたように私たち一人ひとりに憐みと慰めを与え、私たちが再び神との義しい関係に生きるように働いてくださるのです。それは「主はわたしのために/すべてを成し遂げてくださいます。」と今日の讃美唱で読んだ詩篇にある通りです。
また、キリスト御自身も「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と語られています。私たちは、この神の御働きによって神との義しい関係に生かされていることを示されています。神によって私たち一人ひとりは、罪人でありながら主を救い主、メシアと告白し、神の救いに与る者へと造りかえられているのです。ですから、信仰は私たちの心の内から沸き起こってきた内的な感情の変化ではなく、神が外から与えた完全に外的な恵みなのです。
だからこそ罪人のままであれば、いつまでもそのような告白はできないのです。なぜならば、私たちは罪の力に勝てないからです。罪が私たちを神から離れさせています。しかし、神はこの弱い私をご存知だからこそキリストを世に遣わし、この罪の力から解放するために、ご自身を罪の贖いの献げ物として十字架に架かられたのです。
罪の報酬は死でした。しかしながら、キリストはこの死から三日目に復活されました。すなわち、神が罪の力に勝利され、私の罪を完全に贖い、神の義に生きる者としたことの証しです。この神の働きに私たちは与るだけなのです。
この恵みに生かされながら、私たちはキリストから「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」という働きを与えられています。この言葉の意味することは、私たちを通して多くの人々がキリストに真っすぐに向き合う、追い求めるようになるために召され、多くの人々が救いへと導かれるために働き人として召し出されているということです。
だからこそ、私の一挙手一投足、一言一句は、神を指し示すように注意深くなくてはならないのです。パウロが「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」とローマの信徒へ語っているのは、私たちが与った宝を台無しにしないためです。
もし私たちが弱くされている人たちを無視すれば、キリストとの出会いが未だ与えられていない人たちはキリストを見いだし、キリストとの出会いを与えられるでしょうか。もし、私たちが家族を蔑ろに、口汚く罵倒したら、自分の家族はキリストと出会い、キリストを見いだすでしょうか。
私たちはキリストの恵みを感謝しながら、神の国と神の義に生きる者とされていながら、神がすべての人を招いておられる神の国の門を閉ざし、神との関係の内に生きる喜びを閉ざしてしまう者となってしまっていないか、今日の御ことばを通してそのようなことを問われているのです。
「わたしを何者だと言うのか。」と問われた時、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えて生きていくということは、私は神からの恵みに生きる者、神を主とし生きる者であり、この世の権威や力、富に頼り、それらによって承認欲求を満たす生き方ではなく、この罪人の神は目を向けて、憐れんでくださっているという深い慰めと励ましこそが幸いであり、私を生かすのだということを覚えたいのです。
同時に、隣人に対してあなたもこの神の御許に生きているということを証しするということなのです。今、ご自身を振り返っていただきどうでしょうか。本日の御ことばを通して、主を真っすぐに求めているか、イエスを救い主、メシアと告白しながら、神の御心から逸れてしまっていないか問い直していきたいと思います。
すべてを成し遂げるのは神御自身でありますが、神は私たちを豊かにし、神の国へと導く、つなぐ大切な働きに召し出していることをも心に刻みながら、これからも「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白し、隣人に仕え、キリストを指し示す生き方をしていけるように互いに祈り合い、神の義を求め、神からの恵みに生かされる喜びを世に証してまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
8. 信仰告白
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。
そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
9. 献金
10. 教会の祈り
11. 主の祈り
司式)祈りましょう
全員)天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
(アーメン)
12. 祝福
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。
父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)アーメン アーメン アーメン
13. 後奏
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