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  • ltnishinomiya

8月8日(聖霊降臨後第11主日)の説教

「キリストを信じることは神の業」



主日の祈り

恵み深い神様。御子は世に命を与えるため、まことのパンとして天から下(くだ) りました。このパンを私たちにいつもお与えください。この食べ物によって御子が私たちの内に、私たちが御子の内に生き、強められ、世にあって御子の体として生きることができますように。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン


聖書日課

讃 美 唱 詩編34編2節‐9節(旧)864頁

34:2どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。

3わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。

4わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。


5わたしは主に求め/主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。

6主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。

7この貧しい人が呼び求める声を主は聞き/苦難から常に救ってくださった。

8主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。


9味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。


第一日課 列王記上19章4節‐8節(旧)565頁

19:4彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」5彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」6見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。7主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。8エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。


第二日課 エフェソの信徒への手紙4章25節‐5章2節(新)357頁

新しい生き方

4:25だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。26怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。27悪魔にすきを与えてはなりません。28盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。29悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。30神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。31無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。32互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。5:1あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。2キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。


福音書 ヨハネによる福音書6章35節,41節‐51節(新)175頁

6:35イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。


41ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、42こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」43イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。44わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。46父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。47はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。48わたしは命のパンである。49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」


【説教】

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


人間の一般的な考え方は何かを得るためには自分の努力とその成果によって得られるのだと考えます。しかしながら、「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。」とキリストは語られています。すなわち、私たちは私の努力による成果として神に近づくことはできないのです。


それは、言い換えるならば救いとは完全に神の御業であるとキリストは明らかにしているのです。先にも申し上げましたように人間は、人間によっては救いに至ること、神に近づくことはできません。「父を見た者は一人もいない」とある通りです。むしろ父なる神を見た者は、死んでしまう。私たちは神の後ろ姿しか見ることができません。あの大預言者の一人であるモーセですらもその後ろ姿しか見ることは適いませんでした。


また、ユダヤ人たちがつぶやいているように、常識に囚われている限りキリストは「ヨセフの息子」でしかありません。「先生」と敬うようにキリストに従いながら、そのキリストの内に神を見出すことはできないでいるのです。だからこそキリストをキリストとして受け入れる唯一の道は、信仰であるということを覚えたいのです。信仰を通してでないと私たちはキリストをいつまでも「ヨセフの息子」としてでしか見ることができないでいて、キリストが私たちの救い主として受け入れることはできないのです。


信仰によってキリストを信じるとき、私たちはキリストを「命のパン」の恵みとして豊かに受け取り、まさに永遠に生きる者として神と共にある確信を得させます。「信じる者は永遠の命を得ている」とキリストが語られている通りです。私たちの命には限りがあります。いずれ誰もが天に召される時が与えられます。私たちは限界の中で生きる者です。しかもその歩みは第一日課の列王記上のエリヤに示されたように「この旅は長く、あなたには耐え難い」のです。


私たちの人生は長く、耐え難い。悩みがあり、嘆きがあり、苦労があり、心や体に病を抱え、悲しみもたくさん経験していきます。エリヤ自身も人々がバアルの神に傾倒し、主なる神から離れる姿を見、王であるアハブから命を狙われ、何度となく危機に遭います。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。」と神に嘆願しています。そういう思いを私たちも折々にそのような嘆きを覚えることがあります。


真に弱く乏しい命です。そのような私たち一人ひとりの命を見つめながら神は、私たちが生きるのに必要なものを与えてくださるのです。「あなたには耐え難い」とあるように、神はそのことをご存じでありながら、そのままにするのではないのです。一日、一日、神は私たちに臨み生きるに必要な物を満たしてくださっている。神の目に私たち一人ひとりの命がとまっているのです。神から離れてしまう。神に嘆きを言ってしまう。けれども、神は私たちを捨てるのではなく敬い、養ってくださるのです。


そういう神の御手の中で私たちは生かされているのです。そして、その最上の恵みとしてキリストが与えられました。しかも「わたしをお遣わしになった父が引き寄せて」くださることによってです。私たちが努力をしたから、素晴らしい力を持っていたからではありません。私たちは弱く乏しいのです。そして、限界のあるものでしかありません。その私たちをとらえて、神はキリストを遣わし、この方を信じる恵みを明らかにしてくださったのです。


キリストを信じることにより与えられる最善であり、最高の恵みが神から与えられていることを覚えていきたいのです。この世を生きるための糧ではなく、神と共に生きる糧であるキリストを信じ、滅びる命ではなくて永遠の命の内に生かされていることを教えられています。この恵みがすべての人に与えられています。


そうであるならば、私たちは今日の讃美唱にあるように「ひとつになって御名をあがめ」ていきたいと思うのです。誰もが一つの命によって生かされ、一つの共同体とされている。今、隣、前後に座っておられるこの教会の群れ、そしてここから遣わされていく先々で出会う人々、あらゆる人々がキリストと共にあって、キリストに生かされている共同体である。


私たちはバラバラではないのです。私の命はキリストの命に結びあわされている。そして、キリストにより隣人と結びあわされている。そのような繋がりをキリストはもたらすのです。命のパンであるキリストが、私たちには不可能な一致をもたらしてくださるのです。

「あなたには耐え難い」しかし、神が共にいるならば、耐え忍び、乗り越え、生きることができる。私を神の糧、命のパンであるキリストがみ胸の内に引き寄せてくださっている。この恵み、喜び、御力に満たされていることを心に刻みながら新しい一週間を歩んでまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

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