8月9日(聖霊降臨後第10主日)の礼拝と説教
- ltnishinomiya
- 2020年8月9日
- 読了時間: 12分
本日から集っての礼拝を再開してまいります。
ただし、感染予防に努めてまいります。
また、健康にご不安のある方、できますればご高齢の方の出席は重症化のリスクなどもございますのでくれぐれもご無理をなさらないようにお願いいたします。
ライブ配信も引き続き行ってい参ります。
以下のリンクを選択してくだされば明日の10時30分頃よりご覧になれます。
また、礼拝後は教会のYouTube(ユーチューブ)に掲載しておきますので、そちらからでもいつでもご覧になれます。以下のリンクを選択してください。
どうぞ、感染対策をとりくれぐれもお気をつけてお過ごしください。神様によって健康が守られますようにお祈りしています。
礼拝式文 聖霊降臨後第10・召天者記念主日
2020年8月9日(日)
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう) 2. 祝福の挨拶 司式)父と子と聖霊のみ名によって 会衆)アーメン 3. キリエ 司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。 司式)キリストよ、憐れんでください。 会衆)キリストよ、憐れんでください。 司式)主よ、憐れんでください。 会衆)主よ、憐れんでください。 4. 詩編 詩編85編9節‐14節 85:9わたしは神が宣言なさるのを聞きます。/主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。 10主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。 11慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし 12まことは地から萌えいで/正義は天から注がれます。 13主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたあします。 14正義は御前を行き/主の進まれる道を備えます。 司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、 会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン 5. 主日の祈り 全員)私たちをお守りくださる神様。私たちの内と外に吹き荒れる嵐は私たちを恐れさせます。あなたの民を絶望から救い出し、あなたの子どもたちを恐れから解き放ち、御子を信じる信仰の内に私たちを守ってください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン 6. 聖書朗読 第一日課 列王記上 19章9節‐18節 (旧)566頁 19:9エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」10エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」11主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を/裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。12地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。13それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」14エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」15主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。16ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。17ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。18しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」 第二日課 ローマの信徒への手紙 10章5節‐15節 (新)288頁 万人の救い 10:5モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。6しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。7また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。8では、何と言われているのだろうか。 「御言葉はあなたの近くにあり、/あなたの口、あなたの心にある。」 これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。9口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。10実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。12ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。13「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。 14ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。15遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。 福音書 マタイによる福音書 14章22節‐33節 (新)28頁 湖の上を歩く 14:22それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。 7. 讃美歌 271番(教会讃美歌)

8. 説教 「信仰によって救われる」 竹田 大地牧師 私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 私たちの人生の途上では様々に、自分自身を悩ます問題が起きます。病、家族などの人間関係、職場での仕事のことなどさまざまな問題が私たちには起こります。本当に私たちは悩みが全くないという時は殆ど無いように感じるほどです。 試練や困難、苦難の期間が長いほどに私たちは疲れます。今、私たちの生活を一変させている新型コロナウイルスによって及ぼされてる事がら一つひとつも当てはまるでしょう。このウイルス自体の毒性はインフルエンザと比べると強くないそうです。しかしながら既に半年以上も私たちは未知のウイルスの感染の恐れに取り憑かれています。 世界中すべての人々に多大な影響を及ぼしているウイルスの脅威があります。また個人においてもそういった苦難や困難さは起こります。今日お読みした第一日課に登場したエリヤもそうでした。彼はユダヤ人たちが次々と異教の神を崇拝し、祭壇を打ち壊す様子に命の危機を覚えます。またこの危機によって信仰的な危機をも覚えていました。 このエリヤの状況は、私たちにも当てはまることとして考えられます。例えば、長い間病に冒されている人がいたとすれば、初めは身体的な苦痛を伴い、そのうちになぜ自分だけがこんな病に罹って苦しまなければならないのかと精神的な痛みを伴うようになっていきます。そして、それは信仰にも大きな影響を及ぼすようになるのです。 私はこんなにも苦しんでいるのに神はちっとも私を省みてくださらない。神は私のことなど見捨てたのではないか。神は私のことを愛してくださって無いのでないか。そういう疑いを持ち始めてしまいます。それは病に限らず、人を悩ます様々な事柄に共通に言えることではないでしょうか。そうして、この疑いが神への不信を抱かせ、神から離れさそうとする力として作用してくるのです。 私自身も牧師家庭に生まれたこと自体を恨んだこともあります。それ故に教会から離れ、神への信仰など無くとも生きていけるし、必要ないと考えていた時期もあります。その内面には、なぜ好きでもないのにこの家庭に生まれたのか、色々なことを我慢して過ごさなければならないのか、教会の人たちに勝手に将来は牧師になるのでしょと決め付けられないといけないのかという思いがあったからです。自分の道は自分で切り開くものであって、神や他人からとやかく言われる筋合いはないとも思っていました。 悩みにはいろいろありますが、総じて言えることは、人間はそういった苦難や試練に陥ると、神がそこに居られるにもかかわらず、神を仰ぎ見ることも、神の御心に聴くこともしなくなってしまうということです。そして手前勝手に神を恨むのです。大預言者と言われているエリヤでさえ「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」と神に訴えています。 しかしながら、実はオバドヤという宮廷長もまた信心深く神を畏れ敬う人で百人の預言者を匿って守っていました。エリヤはあまりの苦難に囚われ、神のしたがっているのはわたし一人だけで、それ故に命を狙われている。私だけが正しく神に従っていると訴えているのです。 人間が苦難に陥った時の姿を様々な形で聖書は露わにします。今日の福音においてもイエスが舟に近づいた時、弟子たちは幽霊だと怯えます。苦難は怯えと恐れを抱かせます。ペトロのようにイエスと気づき、湖上を歩けるようにしてほしいと願いでて、イエスの招きを信じながら、一度強風に煽られるとまた恐れが生じて湖に沈み、溺れそうになります。苦難は私たちを神から離そうといつも企てていますし、私たちはそれになす術もないのです。 信仰を表しながらも、おそれに取り憑かれ、不安が大きくなると直ぐに神から離れてしまう心の持ち主でしかありません。そのような現実を私たちは受け入れなければならないのです。神への信仰の薄い者でしかないという現実の中で、苦難が吹き荒れる私たちの歩みの中で歩む者です。 しかし、その現実の中でパウロが語っているように、私たちは同時に信仰の計り知れない恵みをも聖書を通して示されています。私たちは主への信仰によって救いを得ているのです。これは確かな約束です。ただ主を信じるという告白によって、弱さ、苦難、困難、不安から解放して下さる方の御手の内に生かされる恵みを与えられるのです。 神は見返りなど求めません。溺れそうなペトロに向かってすぐに手を伸ばしてくださいました。不信仰と疑いの中に沈んでいる私たちを引き上げてくださる御手を伸ばしてくださっているのです。また、エリヤの出来事に示されているようにあらゆる困難や天変地異の中で「静かにささやく声」があるのです。 苦難の中に、心を捉えて離さず不信仰へと手を引く力が蔓延る中でも、神はそこに居まして、私たちを救いへと引き上げてくださっています。宣教の歩みにおいても様々な困難さがあります。歴史の中で先達の信仰者たちはきっとたくさんのご苦労を強いられてきたこともあるでしょう。教会の自給を目指した時の苦労、戦時下の苦労、現実主義の渦の中での苦労など数えればきりがないでしょう。 そのよう中で神の助けと導きによって宣教の歩みは進められ、お一人おひとりの信仰の歩みは守られてきました。この神の出来事は、今を生きる私たちにも同じ恵みが注がれ、同じ信仰によって生かされているのです。先達の信仰者との連帯、絆はこの神から与えられる信仰によって結ばれ続けます。 人は初めから終わりまでこの神への信仰によって救われるという揺るぎない約束に生かされています。吹き荒れる生き辛さ、そこから湧き起こる不安や恐れに弱い私たちを神は救い出そうと生きて働いてくださっています。「静かにささやく声」を聴く耳を与えてくださいという願いと、神に従い生きることができるようにという祈りをこれからも共に慕い求めながら、信仰の恵みを豊かに受け取る光栄を与えられている喜びを覚えつつ歩んでまいりましょう。 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 9. 信仰告白 司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。 全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。 そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。 聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン) 10. 献花 ※先に召された兄弟姉妹たちを覚えて「み霊が御許にあって平安であります ように」という祈りを込めてお献げください。 11. 献金 12. 教会の祈り 13. 主の祈り 司式)祈りましょう 全員)天の父よ。 み名があがめられますように。 み国が来ますように。 み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。 私たちに今日もこの日の糧をお与えください。 私たちに罪を犯した者を赦しましたから、 私たちの犯した罪をお赦しください。 私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。 (み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。) (アーメン) 14. 祝福 司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。 主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。 主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。 父と子と聖霊のみ名によって。 会衆) アーメン アーメン アーメン 15. 後奏
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