9月26日(聖霊降臨後第18主日)の式文と説教
- ltnishinomiya
- 2021年9月26日
- 読了時間: 13分
いくぶん朝晩が涼しくなりました。ようやく秋の気配でしょうか。
今週は4本目の親知らずを抜歯することになっており、とうとう親知らずすべて抜くことになりました。オーラルケアは大切ですね。皆さんもどうぞお気を付けください。
本日の礼拝のお知らせをいたします。
本日まで集っての礼拝を自粛しております。今週政府から今後の対応について発表されますので、正式発表がされたら皆さんに来週からの対応をお知らせいたします。
もう少しの辛抱ですが、どうぞ皆さんが安全に礼拝に与かることができますようにお祈りを合わせてまいりましょう。
本日もユーチューブから礼拝の模様を配信しています。
10時20分から始まります。
以下の「日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube」という文字を10時20分頃にクリック(選択)していただければご覧になれます。
式文につきましては、申し訳ございませんが、流れのみを概要欄に掲載しています。聖書などはご自身のお用いいただくか、朗読をお聞きください。どうぞご了承ください。
日本福音ルーテル西宮教会 - YouTube
新しい一週間皆さんの生活と健康が守られますようにお祈りしています。 在主
牧師
聖霊降臨後第18主日礼拝
1. 前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)
2. 祝福の挨拶
司式)父と子と聖霊のみ名によって
会衆)アーメン
3.キリエ
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
司式)キリストよ、憐れんでください。
会衆)キリストよ、憐れんでください。
司式)主よ、憐れんでください。
会衆)主よ、憐れんでください。
4.主日の祈り
全員)恵みの神様。御子は、私たちがあなたとの平和を得るためにいのちをささげてくださいました。あなたの霊を分け与え、御名を証しできるよう強めてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
5.聖書朗読
第一日課 民数記 11章4節‐6節,10節‐16節,24節‐29節 (旧)231頁
11:4民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。「誰か肉を食べさせてくれないものか。5エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。6今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」
10モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。11モーセは主に言った。「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。12わたしがこの民すべてをはらみ、わたしが彼らを生んだのでしょうか。あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。13この民すべてに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか。彼らはわたしに泣き言を言い、肉を食べさせよと言うのです。14わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。15どうしてもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺してください。あなたの恵みを得ているのであれば、どうかわたしを苦しみに遭わせないでください。」16主はモーセに言われた。「イスラエルの長老たちのうちから、あなたが、民の長老およびその役人として認めうる者を七十人集め、臨在の幕屋に連れて来てあなたの傍らに立たせなさい。
24モーセは出て行って、主の言葉を民に告げた。彼は民の長老の中から七十人を集め、幕屋の周りに立たせた。25主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言状態になったが、続くことはなかった。
26宿営に残っていた人が二人あった。一人はエルダド、もう一人はメダドといい、長老の中に加えられていたが、まだ幕屋には出かけていなかった。霊が彼らの上にもとどまり、彼らは宿営で預言状態になった。27一人の若者がモーセのもとに走って行き、エルダドとメダドが宿営で預言状態になっていると告げた。28若いころからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、「わが主モーセよ、やめさせてください」と言った。29モーセは彼に言った。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」
第二日課 ヤコブの手紙 5章13節‐20節 (新)426頁
5:13あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。14あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。15信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。16だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。17エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。18しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。
19わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、20罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。
福音書 マルコによる福音書 9章38節‐50節 (新)80頁
逆らわない者は味方
9:38ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」39イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。40わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。41はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」
罪への誘惑
42「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。43もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。
†45もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。†47もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。48地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。49人は皆、火で塩味を付けられる。50塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」
6.讃美歌

7.説教
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
私たち神を主とする共同体には度々試練や苦難が与えられます。今日の第一日課の出エジプトにおけるイスラエルの民はその代表と言ってよいでしょう。エジプトでの迫害、脱出、荒れ野での40年の道のりと、私たちにとっては想像しがたい長い道のりを常に苦難と共に歩んでいました。
今日の個所では、そのような苦難続きの中で民たちの内に不満が爆発し、まだあの頃の方が良かったという言葉が出てきます。「魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。」と言うのです。奴隷状態であり、迫害されていたが、あの頃は食べる物に困らなかった、今の方がマナばかりでよっぽど辛いとモーセに不満を漏らしています。
翻って私たち自身の姿を見てみましょう。私たちはまさに今、苦難、試練の中に置かれています。新型コロナウイルスという小さなウイルスの影響により、普段の生活において、また信仰生活において大変な不便を強いられています。仕事が減って不安を抱える人、学業において満足のいく勉学に励めない学生たち、医療現場ではこのウイルスの対策に心を割き続けて疲弊している人々、これまでは自由にどこへでも出かけられていたのに抱える病によってそれがままならない人、信仰生活においては、礼拝に集うことが自粛されて、パソコン、スマートフォンの画面を通してしか与かることのできない人、またそれすらもままならない人、教会での交わりが失われて寂しい思いを抱えている人、この試練の中で信仰が何の役に立つのだろうか、キリスト者として生きていくことはどういうことなのだろうかと悩んでいる人など本当に挙げればキリがないほどに、新型コロナウイルスによってすべての人たちが苦難、試練を味わっています。
そのような時に私たちは、不満や不安を覚えつつ、あの頃はよかった、あの頃に戻りたいと自然と思ってしまいます。私自身、新型コロナウイルス前のように皆さんとマスクなしで顔と顔を合わせて、礼拝での交わりを自由にしたい、あの頃の方が良かったといつも考えてしまいます。このようにして自粛期間で皆さんとお会いできずにいること、訪問すらも憚れる状況にあることは大きなストレスです。
そのような人々の不満、不安、憤り、悲しみをモーセは一人で請け負っていくにつれて、彼自身もまた悩みます。なぜならば、モーセは民たちの思いにおいて神が憤っておられることを知っていたからです。
なぜ神は憤っていたのでしょうか。それは、試練や苦難に心を奪われ、神が奴隷状態から導き出し、救いの御手を伸ばしてくださっていることを忘れてしまっているからです。つまり、人間が神を見ず、神の御ことばに耳を傾けずに、自分の思いに囚われて、神を離れてしまっている不信仰からです。
そのような背信の民に対して神は憤られています。しかしながら、神はそのような中で70人の長老を集めさせ、モーセに与えた霊を彼らに分け与え、預言状態にさせます。この神の行為は民たちの不満や不安に対する根本的な解決とは思えません。本来であれば、肉や魚を与えれば済むことです。事実、この直後に神はイスラエルの民たちにうずらを与えます。しかし神がまずなさったことは、神の言葉を語る力を70人の人々に与えたということです。
それは何を意味するのでしょうか。それは、苦難や試練の中でこそ神の御ことばの力を信じる信仰によって歩んでいくこと、そして、その福音を一人ひとりが宣べ伝える者として神からの霊を受けているということなのだと思うのです。試練や苦難を受けますと語る言葉も少なくなっていきます。苦しみで黙してしまいます。キリストもまた苦難の時、あの十字架への歩みの中で何も語らず、黙しておられました。大きな苦難は、人間から言葉を取ります。
しかしながら、あの苦難の行きつく先にあったものは何でしょうか。すなわち、キリストの十字架の死に示されている事とは何でしょうか。それは神の愛です。神の憐みです。神の赦しです。そして、神から与えられる恵みに生かされ、救い出されている希望です。苦難の先に、苦難の内に神の栄光が示されていることを私たちはキリストの十字架を通して示されています。
「人は皆、火で塩味を付けられる。」とキリストは語られます。火は苦難の象徴的な意味とも取れます。実際にマルコ福音書が書かれた時代は大変な迫害が起こり、自由にどこでも礼拝などできませんでした。皆、隠れて、隠れた所で礼拝を強いられていました。それが明るみに出れば捕らえられて、処刑される、命を賭して神を信仰していました。そのような人々に対して、「人は皆、火で塩味を付けられる」と語り掛けられているということは大きな希望です。
なぜならば、塩は無くてはならないものです。人間にとっても、食べ物腐食から守るためにも重要な役割を持っています。すなわち、苦難を通して、私たちは世において無くてはならない存在とされていくとキリストは語るのです。私たちはその中に置かれると不満や不安を抱え、神を見ようとせず、御ことばに耳を傾ける信仰を失ってしまうような弱い者です。しかしながら、「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(ペトロ一1:7)と記されているように、この神から与えられる試練を通して私たちの信仰は本物とされ、キリストの栄光を顕すようになるのです。
本当に今私たちは苦しい、辛い、悩ましい状況に置かれています。あの頃の方が良かったと思ってしまいます。この試練は何ゆえに与えられているのかと迷いそうになります。モーセのように主に立って生きることと世の人々の思いに板挟みにあって深い孤独と嘆きを覚えることもあります。
しかしながら、キリストが受難を通して神の栄光、愛、憐み、赦し、癒しといった救いの恵みを与え、示してくださっています。
すなわち、苦難は苦難のままに終わることは無い、神から与えられる希望がこの与えられている苦難、試練の先にあることを御ことばを通して教えられています。ですから私たちは、この御ことばに立って、この時を耐え忍んでいきたいと思うのです。同時に「主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」(ヤコブ5:16)とあるように、この苦難の中にあって互いに祈り合い、それが互いを豊かに生かし、主の平和の内に歩ませる働きであることを覚えていきたいと思います。
肉体的には共に集うことは適いません。肉的にも、霊的にも孤独を覚えますが、祈りを通じて私たちは主にあって一つとされ、主による癒しが与えられています。苦難の十字架の恵みがお一人おひとりの命に今、豊かに、深く注がれています。この苦しみの内に主の平安がお一人おひとりの内に豊かにあることを覚えつつ歩んでまいりましょう。そして、今こそこの希望を主の霊に力づけられ、助けられながら隣人に宣べ伝えてまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
8.信仰告白 (起立)
司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。
全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。
そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊 によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)
9.献金
10. 教会の祈り
11. 主の祈り (起立)
司式)祈りましょう
全員)天の父よ。
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
私たちの犯した罪をお赦しください。
私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)
(アーメン)
12. 祝福 (起立)
司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。
主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。
父と子と聖霊のみ名によって。
会衆)

アー メン アー メン ア ー ー ー メン
13. 後奏
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