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9月6日(聖霊降臨後第14主日)の礼拝と説教

ライブ配信を引き続き行ってい参ります。

以下のリンクを選択してくだされば明日の10時30分頃よりご覧になれます。

 また、礼拝後は教会のYouTube(ユーチューブ)に掲載しておきますので、そちらからでもいつでもご覧になれます。以下のリンクを選択してください。

これまでの礼拝をアップしてありますし、本日の礼拝後に本日分をアップロードいたします。


どうぞ、暑さ対策、感染対策をとりくれぐれもお気をつけてお過ごしください。


礼拝式文 聖霊降臨後第14主日


1.    前奏 (神様への思いを向ける準備をいたしましょう)

2.    祝福の挨拶

司式)父と子と聖霊のみ名によって  会衆)アーメン

3.    キリエ 

司式)主よ、憐れんでください。      

会衆)主よ、憐れんでください。

司式)キリストよ、憐れんでください。  

会衆)キリストよ、憐れんでください。

司式)主よ、憐れんでください。      

会衆)主よ、憐れんでください。

讃美唱 詩編119編33‐40節

119:33主よ、あなたの掟に従う道を示してください。最後までそれを守らせてください。

34あなたの律法を理解させ、保たせてください。わたしは心を尽くしてそれを守ります。

35あなたの戒めに従う道にお導きください。わたしはその道を愛しています。

36不当な利益にではなく/あなたの定めに心を傾けるようにしてください。

37むなしいものを見ようとすることから/わたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って/命を得ることができますように。

38あなたの僕に対して、仰せを成就してください。わたしはあなたを畏れ敬います。

39わたしの恐れる辱めが/わたしを避けて行くようにしてください。あなたは良い裁きをなさいます。

40御覧ください/わたしはあなたの命令を望み続けています。恵みの御業によって/命を得させてください。

司式)父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、

会衆)初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン

4.    主日の祈り

全員)主なる神様。あなたの限りない憐れみによって、教会を活かしてお守りください。私たちは脆く、あなたの助けなしには何もできません。あらゆる危害から遠ざけて、命と救いへと導いてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

5.    聖書朗読

第一日課 エゼキエル書 33章7節‐11節 (旧)1350頁

33:7人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。8わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。9しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。10人の子よ、イスラエルの家に言いなさい。お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか』と。11彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

第二日課 ローマの信徒への手紙 13章8節‐14節 (新)293頁

隣人愛

13:8互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。10愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

救いは近づいている

11更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。12夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。13日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、14主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。

福音書 マタイによる福音書 18章15節‐20節 (新)35頁

兄弟の忠告

18:15「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。16聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。17それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。18はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。19また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。20二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

6.    讃美歌 271番(教会讃美歌)


 


7.    説教 「教会の存在意義」 竹田 大地牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

今日皆さんで交読をした詩編119編の御ことばを読んでみますと、さまざまな願いが祈られています。「掟に従う道」を守ること、「律法を理解」し、守ること、「戒めに従う道」を喜ぶこと(私訳)などの言葉が並べられています。

このような祈りを祈る背景には何が在るのでしょうか。それは私たち人間が、神の掟に従えず、律法を理解できず、戒めに従えない現実が在るということです。この詩編作者は、そういう人間の実像を痛感しながら、自分自身もまた神の掟、律法に従えない罪人であるということを悟っているからこそこのような祈りを祈ったということです。

なぜそのように悟ることができたのかと言うならば、それは神と誠実に向き合っているからです。神と対峙した時、自分の義しさを知るようになるのではなく、どこまでも自分が罪人でしかないことを知るようになるのです。信仰者とは、神の救いを確信する者です。と同時に、その確信は自分が罪人であって、この罪に陥った状態から引き上げてくださった方が神であることを味わい、喜んでいる人こそが信仰者なのです。

この罪からの救い、赦しという福音を私たちは宣べ伝える召しを一人ひとりが神から与えられているのです。そして、この福音宣教という働きこそが教会の存在意義なのです。それは、時として人知を超えた御心を示します。イザヤ書で「あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。」とあるように、時として人間の願いや、通念、常識を打ち破り、破壊するような事柄を伝える役目をも与えられます。

しかしそれは、先ほどの詩編のことがらで触れたように、人間の思いや行いが神の御心に反し、罪、悪の道、力に従っているからです。そして、いつの世に在っても我々人間は罪を犯します。神の御心に従っていない姿を浮き彫りにします。

いま、新型コロナウイルスによって私たちは様々な社会の歪みを露見しました。貧富の格差、教育の格差、仕事や職業による峻別、差別、また他者との協調を拒む姿勢など私たちの弱さや隣人を愛しえない姿が日々露見されて、嫌になるほどです。

そのような現状の中で私たち教会の働き、存在意義とは何かを改めて問われています。まずその根本は何かと言うならば、福音をたゆみなく語ることであり、私たち自身も福音、つまり神の御心にいつも聴き、従い、行なっていくことではないでしょうか。この事が教会の存在意義です。

ともすれば教会でさえ時として組織の維持や教会の存続のためにこの世的になってしまいます。特に今は信徒減少、牧師不足など声高に訴えられ、その対応、対策に追われて久しいです。私が神学校に入る以前から懸案事項として幾度となく論じられてきましたが、そのようなことは誤解を恐れず言うならばどうでも良いのです。

なぜならば、福音を宣べ伝えることこそが教会だからです。もし、人の思いや、施策、この世的に教会がなるならばそれは無くなって当然です。無くなってもよいとも言えます。しかし教会が教会としてこの世に立てられている以上、私たちに与えられている使命は、私たちは罪人であり、神との関係において破れがある。それ故に人と人との関係や、社会の中に様々な歪みを来たらしているということを伝えなければならないのです。

神はそのような私の状況、私たちの状況、社会の現実を神は嘆き、哀しみ、怒っておられる。しかしながら、同時にエゼキエル書に示されているように「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。」とあるように、私たちが神の御心に聴き従い、律法を理解し、戒めに従う道を愛するように神が働きかけてくださっているのです。

つまり、神は、この罪人である私のために働き、赦しを与えてくださっているのです。この出来事の現場が「教会」なのです。神の赦しが響き渡る現場、誰もが疲れを癒され、哀しみを慰められる現場。これが教会であり、その中心には神が居られ、神の福音がいつも鳴り響いているのです。

この神の働きに私たちは召されています。なぜならば「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」という御ことばがそのことを現わしています。

これはペトロが信仰を告白した時にキリストがペトロに与えた御ことばです。ペトロの信仰告白の場面では「あなた」だったのが、この場面では「あなたがた」となっており、神と人とを繋ぐ働きにペトロだけが特権的に与えられていることではなく、キリストに従う私たち一人ひとりが召されていることを顕しています。

わたしは知識も経験も乏しい、牧師です。ただの主婦です。子どもです。医者です。しがない会社員です。この世で置かれている立場は色々あります。しかしながら、私たちは福音を聴いた者として、そしてこの福音によって神の憐みと愛を知り、癒され、慰められ、強められた現場に導かれ、信仰を与えられた者として、この神に信頼し、誠実に与えられた福音宣教という道を歩んでいかねばならないのです。

ですから、誰であれ神の福音を取り次ぐ者として一人ひとりが宣教者として立てられ、神の愛を宣べ伝えていくのです。そして、そのことにおいて重要なことは、神の働きが中心にあるということです。この世の尺度や自分自身で限界を決めてここまでしかできないと考えるのではなく、神の御ことばがすべてを切り開き、救いへと導いてくださるという確信のもとに私たちは在るのです。

ですから、私たちは神の働きを顕す器でしかありません。本来であればすべての人が罪人なのですから誰もその器に相応しくない、神の働きをなすに相応しくない者でしかありません。その私を神は愛し、憐み、赦してくださいました。私の負債の一切を引き受け、ご自分のものとし、帳消しにし新しい命へと送り出してくださっています。

新しい命とは、信仰によってキリストを頭とする有機体となり、キリストの命に生きているということです。パウロが語るように、もはや働いているのは私ではなくキリストであり、私たちの働き一つ一つがキリストの働きであり、すなわちそれが教会の働きの本質なのです。

そこで私たちは何が真の神の御心かを聴きながら、119編の詩編作者が祈ったようにその器に相応しくない私ですが、どうかこの罪人の祈りを聞き届け、神の御心を私の心、あなたの行いを私の行い、あなたの祈りを私の祈りとすることができるようにと共に祈りを合わせる共同体として歩んでいきたいと願わずにはいられないのです。

今、未曽有の混乱の中に私たちは置かれています。目の当たりにする現実、歪みの内に隠されている神の福音を聴くことの難しさをも覚えますが、私たちはこうして毎週の主日を通してゆるしの現場、福音を受ける恵みの時を与えられています。この神の恵みに大胆に委ね、それ故に大胆に語り、行っていきたいと思うのです。

神の御心が世に響き渡り、すべての人が神の御許に立ち帰り、生きるようになるように、世の歪みのゆえに哀しみ、嘆き、置いていかれ、捨てられ、絶望を覚えている人々が神の愛に照らされ、真の喜びと恵みに生きる、新しい命に連なり、キリストを通して一つとされる喜びを現実の者としていくために、キリストを中心に、キリストの福音に聴き従い、キリストの愛の共同体として神に仕え、世に仕えてまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

8.    信仰告白

司式)使徒信条によって、信仰の告白を共にしましょう。

全員)天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。

聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(アーメン)

9.    聖餐式 讃美歌 205番(1節)



10. 献金

11. 教会の祈り


12.    主の祈り

司式)祈りましょう

全員)天の父よ。

み名があがめられますように。

み国が来ますように。

み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。

私たちに今日もこの日の糧をお与えください。

私たちに罪を犯した者を赦しましたから、

私たちの犯した罪をお赦しください。

私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。

(み国も力も栄光もとこしえにあなたのものだからです。)

(アーメン)

13.    祝福

司式)主があなたを祝福し、あなたを守られます。

主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたに恵みを与えられます。

主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わります。

父と子と聖霊のみ名によって。


会衆)アーメン アーメン アーメン


14.    後奏

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